第36話 一心ファイル
思わぬ形で再会を果たしたシグネとご老人たちに案内され、俺たちは彼らの拠点へと辿り着いた。
「おお!」
「すごっ!」
「ふぇ~」
その拠点は鹿江大学サークルコミュニティ以上のしっかりとした村……いや、もはや町と言っても過言ではなかった。
全てが木造建築のようではあるが、中には2階建ての家屋もあり、道もアスファルトではないにしろ、かなり整地が進んでいる。それと何より人の多さとその活気だ。恐らく200人以上がここで生活しているのだろう。
「これを僅か8カ月で?」
「ふふ~ん、凄いでしょう?」
俺たちの驚いた顔にシグネは自慢げに胸を張った。
「鹿江町内会には元大工さんや配管工の経験者がいたからね! しかも職業スキルを選択していたから、すっごく早く町を整備してくれたの!」
「配管工……まさか水道も通っているのか!?」
よくよく観察してみると、確かに家屋の側面などに管が見られる。あれは水道管だろうか?
「本当に凄いわね……。私たちも拠点には結構自信があったんだけど……」
「あははぁ、これを見た後だとねぇ……」
佐瀬と名波は自分たち以上の拠点を作り上げていた彼女らを見て、少し落ち込んでいた。
「いや、佐瀬たちのコミュニティも十分凄かったぞ? だが、ここは余りにも……」
いくら何でもこんな短期間にここまで大きく出来るのだろうか? それに確か鹿江町内会コミュニティは多くても3、40人程度のこぢんまりとした集団だった筈だ。その殆どがお年寄りで構成されていると思っていたが、明らかに若い世代の姿も見かける。これは一体どういう事だろうか?
「あはは、ここまでコミュニティを大きく出来たのはイッシン
「え? 俺の?」
シグネの言葉に俺は首を捻っていると、案内人の一人であるご老人、田中源次郎さん(通称源爺)が教えてくれた。
「あんた、矢野一心って言うんだろう? なら確かに兄ちゃんのお陰だ! あの一心ファイルの情報で俺たちは助かったんだからなぁ? 本当に感謝しかないぜ!」
「へ? 一心ファイル? ……ああ! もしかして、あの異世界チート情報ファイルの事か!」
「な、なにそれ?」
俺の叫び声に佐瀬が思わず尋ねてきた。
そう、俺はこの世界に転移する前、異世界で役に立ちそうなありとあらゆる情報を自宅のプリンターで用紙切れになるまで印刷し、それをファイルに纏めてリュックの中に仕舞っておいたのだ。
その事を佐瀬と名波に説明する。
だが、そのファイルは予期せぬ事件に巻き込まれた所為で、転移の際に荷物ごと全て置いてきてしまった——そう思い込んでいたのだ。
「まさか俺の荷物はここにあるのか!?」
「うん、私が預かっているよ! もう転移する直前だったし、あのままだと置いていってしまいそうだったから、私とパパで分担して持ち込んだの」
「そうか! ナイス判断だ!」
これで俺の荷物は無事この世界にも持ち運ぶ事が叶った訳だ。水や食料などは既に使わせてもらったとシグネから謝罪されたが、どうせあの状況では俺との再会も絶望的だった訳だし、気にしていないとフォローした。
「あのファイルの知識は凄く参考になったぞ! 町造りや農業にも役に立っとったし、それに病気なんかにも対応できた。兄ちゃんのお陰で栄養失調気味だった妻にも適切に処置できたんだぞ! あんたは俺の家内の命の恩人だ!」
どうやら源次郎さんの奥さんは慣れぬ異世界の食事情で体調を崩していたそうだ。そこで役に立ったのが俺のファイルという訳だ。
俺は医療の知識には明るくないが、ある程度の症状と解決策については思いつく限りネットから情報を拾ってきてコピペし印刷していた。その中に確か栄養失調についてもある程度の症例を纏めていた筈だ。どういった症状ならどの成分が足りないのか、見分けられるのではと考えたからだ。
「俺のファイルが少しでも役に立ったのなら作った甲斐がありました。それに俺の荷物をきちんと持ち込んでくれたシグネもファインプレーですね」
「ああ、そうだな! ありがとうな、二人とも!」
「えへへ」
源次郎の謝辞にシグネは照れ笑いを浮かべた。
それから俺たちは町の中を進むと、あちこちから声を掛けられた。いや、正確には俺たちではなく、シグネに声を掛ける者が多かったのだ。
「シグネちゃん! さっき勝治さんがイノシシを狩ったんですって! 後でお肉持って行くから楽しみにしていてね!」
「はい! ありがとう、おばさん!」
「おう、シグネ嬢ちゃん! 今度また将棋の相手しないか? 何時でも受けて立つぞ!」
「うん! 今度は負けないよ!」
「シグネちゃん! 俺、大分強くなったと思うんだ! 今度またアドバイスをくれよ!」
「いいよ~! 今ちょっと忙しいから、今度ね!」
少し歩いただけで何人にも声を掛けられていた。その光景に俺たちは唖然としていた。
「す、凄い人気ね」
「えへへ、みんな良い人たちだよ」
確かにここの人たちは皆が明るい笑みを浮かべていた。それに日本人だらけの町中に金髪碧眼の愛らしい彼女は浮いていた。その可愛らしい容姿もあってか、ちょっとしたアイドル的存在だ。
ただ解せないのは、ただ彼女が可愛いからという訳ではなく、何か相談事を受ける場面も見受けられた。これではまるで、彼女がこの町のリーダーのようであった。
そんな中、俺たちについて尋ねる者もいた。
「おう、源さん! この子たちはどっから来たんだい? あまり見かけない子らだけど……」
二人のご老人が源次郎へ声を掛けた。
「聞いて驚け! この兄ちゃんこそが矢野一心君だ! 生きていたんだよ!」
「「ええ!? あの一心ファイルの!?」」
どうやら俺の名前は相当広まっているようだ。確か荷物の中には免許証などが入っている財布も入れていた筈だ。そこからフルネームが露見しているのであろう。プライバシーの問題がと思わなくもないが、逆の立場なら俺も故人だと決めつけて、生き残るために遺品を物色したかもしれない。
しかしさっきから気になる事がある。俺たちに対する町の人の反応だ。俺たちの事を見かけない者だと言いつつも、そこまで驚いた様子は感じられなかった。それにコミュニティの人数増加も気になる。
これはもしかすると…………
そんな事を考えていたら、いつの間にかシグネの自宅だという立派な木造家屋の前へと辿り着いていた。どうやら中に上がらせて貰えるようだ。源次郎たちは町会長へ報告に行くという事なので、一旦ここでお別れだ。
彼女は玄関の戸を開けると元気な声を上げた。
「ただいまー! お母さん、お父さん帰ってる?」
「あら、シズネ。今日は早かった——まぁ、お客さん!?」
シズネの後ろで突っ立っている俺たちの姿を見て彼女の母、確かジーナ・リンクスと言っただろうか。彼女は慌てだした。
「うん! それがすっごいんだよ! さっき外で——」
「——おや、お客様かい?」
すると奥からもう一人男性がやってきた。当然彼の姿にも見覚えがある。あの時転移前の公園で知り合ったシグネの父、ダリウス・リンクスだ。
「お父さん! イッシン兄だよ! 生きていたんだよ! ほら、髪は
「いや、
そこは重要な所なので訂正しておいた。決して老化などで髪の色が変わった訳ではない……筈だ。
「ほ、本当にイッシン君なのかい?」
「言われてみれば、確かに顔立ちは……」
娘の言葉に二人は半信半疑であった。流石に半年以上前にあっただけで、しかも異国の人間だ。ぱっと見で判断できる筈がないと思っていた。
だが彼女の次の言葉で流れは変わった。
「間違いないよ! しっかり【鑑定】したもん! この人はヤノ・イッシンだよ!」
(やはり鑑定持ちか)
多分そうじゃないかとは薄々感じてはいた。勝手に視るのは、まぁ仕方がないと思う。名前以外の情報は漏洩していないので許容範囲だろう。彼女もそこは弁えているのか、俺の異常な魔力数値に関しては今のところ全く触れていない。
どっかの追放された鑑定士に見習わせたいものだ。
娘が【鑑定】スキルを持っている事は当然二人も把握していたようで、ダリウスは感極まって俺にハグしてきた。どうせならジーナさんの方にと思ったが、彼女も続いて俺に優しく抱き着いてきた。何故か佐瀬の表情が険しくなったがここはスルーだ。
二人はあの時の事をとても感謝していた。日本の言葉が分からず、転移についての情報も碌に知らなかった家族を救ってくれた恩人として、どうやら俺という存在は多少神格化されていたようだ。
仏壇みたいな場所に俺の免許証が飾られているのには流石に若干引いたが、髪の色以外は顔写真と一致するのも確認が取れ、無事俺が矢野一心本人であることが証明された訳だ。
ここでも俺の荷物を勝手に漁って使った事に詫びを入れられたが、俺は笑ってそれを受け入れた。どうやら俺の一心ファイルとやらは彼らリンクシ家が管理してくれており、しっかり町造りに活かしてくれたようだ。
お陰でこうして俺たちもその恩恵を授かっているという訳だ。
「うわぁ! これ、お米ですよね!?」
「これって炭酸ジュース!? そんな物まで作れちゃうの!?」
「はは、それもこれも全部イッシン君のお陰だよ! 農業の経験者は多くても、詳しい肥料や加工の仕方までは知らない人が多かったからね」
農業と言ってもただ種を植えて育てればいいという訳では当然ない。適した気候や土地でそれぞれのやり方も変わってくる。
何せ全く知らない土地へ転移するのだ。現代作物はどれも品種改良されて優秀ではあるが、使い方を間違えるとそれも無意味になるのだ。温かい場所用、寒い地域用と改良された種の選別や育て方がそれぞれにある。
それと折角収穫した作物を適切に管理し調理する方法も重要だ。当然冷蔵庫などの電化製品は期待薄なので、何か代用品が必要であった。
そこで俺は簡易的な冷蔵庫の作り方を始め、氷室・燻製・糖藏・乾燥・塩漬けなど、様々な環境で食料を長期保存できる方法を探してファイルに残した。この辺りは温かく氷などはなかったが、どうやら冷たい川の水や魔法などで氷室や冷蔵庫擬きを作成できたようだ。
治水・利水・貯水関連の情報も載せていたので、農業用水や下水整備にも一役買っていたそうだ。
「しかし君が戻ってきたからには、このファイルはお返ししなければならないな」
当然だと言わんばかりにダリウスは、貴重であろう一心ファイルを俺に手渡した。だが俺はそれを辞退した。
「いえ、俺にはこいつがあるんで大丈夫です」
俺はマジックバッグから巻物を取り出した。これは以前にダンジョンで得たマジックアイテム≪模写の巻物≫だ。こいつを使えば文字情報はそっくりそのままコピーできる筈である。
それを説明するとシグネちゃんが食いついた。
「凄い! マジックアイテムだなんて初めて! ねぇ、鑑定しても良い?」
「ああ、いいぞ」
シグネは俺に断りを入れると、≪模写の巻物≫を鑑定してから結果を告げた。
「模写の巻物、一等級、触れた文字を巻物に模写する、か。一等級って何?」
「……いや、俺にも分からないけど、多分マジックアイテムのレア度だと思う」
というか、≪模写の巻物≫が一等級だなんて初めて聞いた。ギルドの鑑定士め! 名前と効果しか伝えなかったな。
それと以前やらかした鑑定士、斎藤からマジックバッグは伝説級だったと聞きだした記憶がある。尤も犯罪者の言なので話半分に聞いていたが、どうやら本当にマジックアイテムには階級が存在するそうだ。
今度機会があればシグネにマジックアイテムを鑑定して見せるか?
流石にまだマジックバッグを公表する気はないので、そこは様子見である。
それから俺たちはリンクス家と食事を取りながら、お互いに情報交換を行った。そこで重要な事実が判明した。
「え!? 他のコミュニティとも交流があるんですか!?」
「ああ、そうだよ。鹿江町内会以外だと隣町や企業コミュニティ、SNSコミュニティなど、どうやらこの辺りは飛ばされて来た人たちが多いらしい。ま、一番栄えているのはうちだろうけどね」
ダリウスさんの言葉に俺は漸く合点がいった。先ほど町を通った時の俺らに対する反応は、珍しくはあるものの、そこまで過剰ではなかった。俺らが外からのファーストコンタクト者ではないだろうと思っていたが、それにしても多くのコミュニティが存在するという情報には驚きだ。
どうも鹿江大学の新拠点付近の森は危険だと判断され、余り奥深くまで踏み込めていないそうだが、それ以外の場所なら割かし危険度は低いらしく、シグネのような未成年からお年寄りまで魔物を狩りに出かける程らしい。
その際に幾つかのコミュニティを発見し交流を持つようになり、場合によっては一番栄えているこちらの町へ移住する者もいたそうだ。どうりで人が多いと思った。
逆にリンクス家からは外部の情報に驚いていた。聞くところによると、ここら一帯のコミュニティでは、まだ現地人と遭遇した者はいないようだ。エイルーン王国の領土内だという事も知らなかったらしい。
「本当に外に文明があるとは……」
「ここは半島の東部だったのねぇ」
現地人の生活圏へ踏み込み接触を図る為には、どうしてもある程度のリスクや時間が生じる。だがこれまで必死に町造りを行ってきた彼らにその意欲はなかったようで、精々森の浅い場所で魔物と戦闘をするくらいであった。外よりも内側の整備を重視したのだろう。
俺たちが遭遇したアサルトベアーはシグネたちも何度か見掛けたそうだが、確実に勝てるようになるまでは手を出さなかったようだ。何でもあの熊は森の外へ出るのを躊躇うらしく、今のところは戦う必要性もなかったのだとか。
「いいなぁ。ダンジョンに冒険者ギルド……わくわくするね!」
「だよね? だよねぇ?」
俺たちの話に一番興奮していたのはシグネのようだ。それに同調する形で名波と話し込んでいる。どうやら二人は似た者同士のようだ。
その様子にダリウスさんの表情が一瞬だけ曇ったのが少し気になった。
結局その日はダリウス家で寝泊まる事になり、明日はこの町の責任者である町会長さんのご自宅にお邪魔する形となった。さっき源五郎さんがわざわざ伝言しに来てくれたのだ。
俺とダリウスさんの男性陣はリビングで寝る事となった。そこで彼と少し話をした。それはシグネちゃんの事であった。
「実はシグネは大のファンタジー好きでね。外の世界にとても興味を抱いているんだ」
「……やはりそうですか」
見ていれば一目瞭然であった。
ダリウスさんの話では、彼女は日頃から外の世界を見て回りたいと口にしていた。そしてその準備として常日頃から訓練をしたり、魔物狩りにも積極的に参加していた。
勿論ダリウスさんとジーナさんは反対した。こんな訳も分からない世界で可愛い一人娘を旅立たせるなど以ての外だ。
何度か説得を試みたが彼女の意欲は失せるどころか日々増していき、今では町一番の実力者となっていた。どうやら彼女が町の人から慕われている一端はそこにもあるようだ。
一応鑑定士は他にもいるそうだが、明るく可愛い彼女は町の人気者であった。そんな彼女は何時も“外の世界に行くんだ!”と言いまわっているようだが、町の人々の反応は様々だ。心配で反対する者、応援する者、中には付いて行くという者もいたようだが、明らかにロリコンっぽい雰囲気の男だったのでダリウスさんが娘に近づくなと威嚇したようだ。
幸い気の弱かったその男はそれ以来姿を見せていないらしい。
「もし、仮にだが……万が一、娘がどうしても旅立つと言い出したら、僕はイッシン君のような人に同行して貰いたい!」
「ええ!? そ、それは……」
なんとも重い信頼だ。どうやら転移直前の件と先程触りだけ話した外での冒険話で、彼の俺に対する評価は思っていた以上に上がっていたようだ。
「確か君たちは他のコミュニティも見て周るのだろう? どうかな、その際にうちの娘も一緒に同行させてみるってのは」
ダリウスさんの話ではシグネちゃんの情熱はどうも想像以上らしく、そろそろ暴発してもおかしくないと彼は読んでいた。家出みたいな形で無計画に旅立たれるよりかは、見知った上に信頼できる者と一緒に行動して貰う方が安心できると、親心を吐露していた。
それに今回俺たちは各コミュニティを周った後、一度鹿江大学の拠点に戻るつもりだ。彼らに他のコミュニティの存在とそのルート開拓を手助けする為だ。最初は安全確認だけ取れたら後は放り投げるつもりであったが、思った以上にこの辺りは治安がよさそうだ。また移住するのもアリかと俺は考えている。
勿論それを受け入れるかは双方の話し合い如何ではあるが、それまではシグネが帯同するのも問題ないだろう。最悪彼女が冒険に嫌気を差すか、逆に俺たちが問題有りだと判断したら、またこの町に送り返す事もできるからだ。
「……俺は構わないですが、佐瀬と名波の意見を聞いてからですね。彼女たちが嫌だと言ったら、そもそもこの話は無しでお願いします」
「ああ、それで構わないよ。僕としては、シグネが心変わりしてこの町に残ってもらう事が最良なんだけどねぇ……」
名波と楽しそうにお喋りしていたシグネの姿を思い起こすと、それは望み薄だなと俺とダリウスは二人揃って深い溜息をついた。
――女神アリスと地球の代表者たちによるQ&A情報――
Q:人種による差別はありますか?
A:国によります
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