第5話 ファーストコンタクト

 森を散策していたら、突如現れた女に剣を突き付けられていた。


「お前は何者だ? ここで何をしている」


 そう尋ねた女は20代前半の歳だろうか。青く長い髪を後ろで束ね、凛とした表情をしている。装備は胸甲という代物だったか胸部に軽そうな鎧と、手足にも軽く防具が取り付けられている。


「おい、何を黙っている。質問に答えろ!」


 相手を観察していたのを無視されたのだと勘違いした彼女は口調を強め、剣を俺の胸元へ更に近づける。俺は慌てて返答した。


「す、すまん。俺は矢野一心やのいっしん、ここには迷ってさっき着いたばかりだ」


 俺の返事がお気に召さないのか、彼女は眉間に皺を寄せながら少し考えると口を開いた。


「迷っただと? 何処から来た? お前の所属は?」


 今度の質問内容には俺も困ってしまった。相手の身なりから察するに、間違いなく彼女はこの世界の住人であろう。


 さて、そこでさっきの返答だが、どう答えたものだろうか。


 何処からって異世界の地球という星だよ。所属? 鹿江町内会です。


 そんな事を言っても信じてもらえるだろうか。


「異世界の地球から来ました。所属は鹿江町という町の者です」


 試しに馬鹿正直に答えることにした。


 下手に嘘をついて怒らせても不興を買うだけだし、俺だけだったらまだしも、80億超えの異世界人が来ているのだ。絶対他の誰かから異世界人の情報が漏れるに決まっている。


 だったらここは極力嘘を避ける方向で対話しようと考えた。それに俺は彼女の左手に装備されている指輪に気が付いた。あれがどうにも気になった。


(もしかしたら、あれが異世界版ウソ発見器のマジックアイテムかもしれねえじゃん! 危ない橋は渡りたくない)


 まだこっちの世界の事は何も知らないのだ。ならば極力友好的に話を進めるべきだ。例え問答無用で剣を突き付けられていたとしても、だ。


「何を言っているのだ? 貴様は……」


 うん、やっぱり信用してもらえなかった。


「それとその服だ。斬られた痕があるぞ? 誰かと戦闘をしていたのではないか?」


 彼女の指摘に俺は腹部を見る。傷は綺麗さっぱり治ったので傷跡一つもない。だが服までは直せなかった。それを見た彼女は怪しいと指摘した。


「……異世界に飛ばされる前、通り魔に刀で斬られた」


「またそんな戯言を……まあいい。結構深く斬られたんじゃないのか? 傷はどうした?」


「魔法で治した」


 嘘偽りなく答えていくと、彼女は更に表情を険しくした。何かおかしな事を言っただろうか?


「お前は……治癒魔導士なのか?」


「治癒魔導士? 聞いた事がないけど、魔法は昨日使えるようになった。【ヒール】だけだけど」


 あまりこういった情報は開示したくなかったが、【ヒール】だけなら問題がないだろう。


「……よし、確かめる。おい、絶対に動くなよ?」


「え? 何を――――」


 ――――するのかと尋ねる前に、彼女は剣を素早く動かしたかと思うと、再び俺の胸元に剣先を戻した。その直後、ピリッと左指に痛みが走った。


「痛っ! 指から血が!?」


 ほんの小さい切り傷だが、数滴血が垂れていた。ここでようやく俺は彼女に斬られたのだと理解し、思わず顔を顰めた。


「確認させろ。【ヒール】のみ使用することを許可する」


 自分で怪我させておいて何て言い草だと思いながらも俺は頷いた。


「……分かったよ」


 不貞腐れながらも俺は【ヒール】を発動させる。昨日さんざん使いまくったのだ。指先を治すくらい訳はなかった。


 だが魔法を発動させようとすると、彼女は顔色を変えた。


「ま、待て! 貴様、魔力を込めすぎだ! 【ヒール】にどれだけ魔力を注ぎ込むつもりだ!?」


「え? どれだけって……これって多いの?」


 困惑しながらも俺は【ヒール】を続けた。そういえば今更なのだが、魔法に詠唱は必要ないようだ。つまり無詠唱である。異世界あるあるチートのひとつが魔法の無詠唱化だが、果たして彼女の反応はどうだろうか。


 白い光を発光させると俺は指の切り傷を一瞬で治した。その様子に彼女は感心していたようだ。


「凄いな。回復速度も速い。その上、無詠唱か……」


「お? もしかして無詠唱って凄い事なの?」


 興味を持った俺は思わずフレンドリーに質問をする。その様子に彼女は一瞬だけ眉を寄せるも、きちんと俺の質問に答えてくれた。


「いや、それほど珍しい技術ではないが普通は詠唱するな。【ヒール】なんて短い単語だし、戦場でもなければ無詠唱の意味があるのか?」


 どうやらそれほど難しい技術でもないようだ。というか詠唱ってただ魔法名を唱えるだけだろうか? それなら納得の反応だ。無詠唱は長ったらしい呪文を短縮できる素晴らしい技術という訳ではなかったらしい。


「……質問の続きだ。お前は今後、どうするつもりだ?」


 ちょっと緩みかけた雰囲気を彼女は再び引き締めた。


「とりあえず、お腹が減ったので食料探しかな? というか、食べ物あったら恵んでください」


「……タダ飯を食べさせる訳にはいかない」


「なら働くって言うのは? 何か仕事を紹介してくれ」


 俺の提案に彼女は少し思案した。そういえばまだ彼女の名前すら聞いていなかった。


「ならばこの森の奥にいるブルトーを狩るというのはどうだ?」


「ブルトー?」


 生き物の名前っぽいというのは話の流れで分かるのだが、それがどんな生物なのか知らない俺は首を傾げた。


「人の倍くらいの大きさの魔物だ。魔法は使わんが鋭い牙と突進には注意が必要だぞ?」


「いや、無理無理」


 なんだその化け物は、倒せる訳がないではないかと俺がブンブン首を横に振ると彼女は不満そうであった。


「それだけの魔力を持ちながら、ブルトーも倒せないのか?」


「ん? 俺って魔力多い方なのか? けど【ヒール】しか魔法は持っていないんだが……」


 そう答えると彼女は怪訝な表情をした。


「いや、【身体強化】をすれば良いだろうに……まさか、出来ないのか?」


 とても残念な者を見るかのような目つきに思わず「出来できらあっ!」と答えたくなる気持ちをぐっと堪えて素直に頷いた。更に聞いた事もやり方も知らないと答えると彼女は唖然としていた。


「全く、折角の魔力も宝の持ち腐れだぞ。魔力を感じることは出来るか?」


 それに俺は再び頷く。


「ならば、それを全身に纏わせて身体を動かしてみろ。それほどの魔力保有者ならばそれだけでも多少の恩恵はある筈だ」


 そう告げると彼女は剣を引っ込めた。どうやら“危険な不審者”から“少しおかしな奴”にランクアップしたらしい。ただ剣を鞘に納めていない辺り、完全には信用されていないようだ。


 彼女からの助言通りに魔力を全身に纏わせようとする。最初は難しかったが【ヒール】をする際、傷口に魔力らしきものを集中させる代わりに、全身に魔力を広げるという感覚を身に着けた。


 すると何とも表現しがたい高揚感が全身を包んだ。


「お、おお!? 何だ、これ!? 身体が……軽い?」


 これが【身体強化】というやつだろうか。言葉通りなら身体能力が上昇するのだろう。俺は試しに軽く走ってみることにした。すると地面を蹴った瞬間、凄まじい加速が加わり、俺は超スピードの中――――盛大にこけた。


「ぶぎゃあっ!?」


「お、おい! 大丈夫か!?」


 間抜けな悲鳴が森の中に響いた。






「くははっ! あそこまで不器用だとは思いもしなかった」


「……ほっといてくれ」


 現在俺は泥と血まみれの身体を小川で再び洗い流していた。盛大にこけたおかげであちこち擦りむくは泥だらけになるはで散々な目に遭った。最初は心配そうにしていた彼女であったが、傷を【ヒール】で完治し終えると、先程の醜態を思い出し笑いしていたのだ。


「しかし本当に【身体強化】も出来ないとは……無駄に警戒して損したな」


「……警戒?」


 濡れた服を乾かしながら、俺は大きな岩に腰を掛けている彼女に尋ねた。


「ああ、今朝突然大きな魔力を感知して叩き起こされたんだ。それも私の10倍以上はありそうな魔力をだ。急いでここまで駆けてきた。最初はどんな化け物がやってきたのかと警戒していたのだぞ?」


「え、ええ……?」


 そんな事言われても自分には全く自覚がなかった。


(は!? もしかしてこれが、かの有名な「俺、なんかしちゃいました?」状況なのか!?)


 そうか、歴代の異世界主人公たちはこんな気持ちで注目を集めていたのか。俺がそんな頓珍漢な事を考えていると、彼女は剣を鞘に納めてこちらを見つめた。


「私の名はケイヤ・ランニス。この森の中にある開拓村で警備を任されている」


 やっと彼女の名前を聞けた俺は改めて名乗ることにした。


「俺の名前は矢野一心、矢野が家名で一心が名前。ケイヤは名前の方で合ってるか?」


 俺の問いにケイヤは頷いた。


「ふむ、君の故郷では家名が先にくるものなのか? それにしても家名持ちとは、自分の事を棚に上げるようだが、君は一体何をしにこんな辺境へ?」


 その言い草からして、やはり家名を持っているのは貴族階級だけなのだろうか。


「だから最初に言っただろう? 異世界から飛ばされて、迷ってここまで歩いてきたって」


 俺が答えるとケイヤは少し困った顔を浮かべた。


「イッシン、君の事は一先ず信用することにするが、異世界だなんて非常識な事は流石になぁ……何か証拠とかは無いのか?」


 魔法だなんて非常識なモノが存在する住人にそんな事を言われるとは思わなかったが、ここではこれが常識なのだろう。


(それにしても異世界人の証拠、か)


 少し悩んだ俺はポケットからスマートフォンを取り出すと、電源を点けて彼女にアルバムを見せた。


「な、なんだこれは!? 余りにも綺麗な絵が……しかもこっちの絵は動いているぞ!? 音も聞こえる!!」


「それは動画だ。それだけじゃなくて、こいつで音楽も聴けるし、遠くの人と会話する事もできるぞ?」


 驚いた表情で俺の説明を聞く彼女に、これが異世界である地球では一般市民に普及されている事を告げた。


「き、君の故郷ではこんな高価なマジックアイテムが普及されているのか?」


「マジックアイテムじゃないって。俺の世界では魔力も魔法も無いんだよ」


「馬鹿な!? それじゃあどうやって魔物を倒しているんだ!?」


「いや、魔物なんていないし……」



 そんなやり取りを何度も何度も交わしながら、俺たちはケイヤの住む開拓村へと歩を進めた。どうやら俺を村へと案内してくれるそうだ。


 そしていよいよ村に着くという直前で、彼女はようやく俺の話を信じ始めた。


「し、信じられん。まさか80億だなんて数の異世界人がこの世界にやって来ただなんて……」


「まぁ、気持ちは分かるよ。逆の立場だったら俺も鼻で笑ってるし」


「しかし、そうだとすると開拓村が……いや、それこそ我が国の危機ではないのか!?」


 青白い表情でケイヤが尋ねるも、俺はそこまで深刻な事にはならないのではと考えていた。


「う~ん、どうなんだろう? 流石にそんな好戦的な奴はそうそういないような……」


「でも君、こっちに来る前に斬られたんだろう?」


 そうでした。馬鹿は何処にでもいるもんだ。ましてやそんな奴が、全員スキル持ちで、更にこの世界の水準を大幅に超えた科学知識を得ているとなると、彼女が警戒する気持ちも十分理解できる。


 だが俺たち地球人はまだまだ魔力や魔法というものを理解していない。その証拠に、俺はケイヤに教わった【身体強化】を何度も試しているのだが、どうも上手くできなかった。魔力量はかなりあるらしいのだが、扱い方が全くなっていないようなのだ。


「ああ、そうだ。そういえば君のその魔力、抑えることはできないのか?」


「え? 出してるつもりは全くないんだけど、今も溢れ出てる感じなの?」


 驚いた俺に彼女は深刻な表情で頷いた。


「正直、魔力を感知できる者にとって君の魔力量は、こう威圧されると言うか……息苦しいんだ。村には私ほどではないが感知できる者もいる。どうにかできないか?」


「そんな事言われても……困ったなぁ……」


 なんとか魔力を抑えようと努力してみるが、一朝一夕で身に付きそうにはなかった。


「……はぁ、仕方がない。これを使え」


 ケイヤは自分の左手にはめている指輪を外すと、それを俺に放り投げた。それを俺は慌ててキャッチする。


「これは?」


「魔力隠ぺいの指輪だ。私のお気に入りなんだが……暫くそれを身に着けていろ」


 言われるままに指へはめると、魔力自体に変化はないが、外に漏れ出ていそうな気配が感じられないというか、どこか変な静けさを覚えた。これが魔力を隠ぺいするという感覚なのだろうか。


「悪いな、有難く使わせてもらう」


「いいな? 貸すだけだからな! それと森に出る際は十分注意しろ。恐らくさっきまではお前の魔力に恐れをなして魔物が寄ってこなかったんだ。その指輪をはめていると、臭いで察知するような魔物は嬉々として襲ってくるぞ?」


「げえ!? それじゃあ指輪を外した方が安全じゃないか!」


 俺の抗議にケイヤは苦笑しながら答えた。どちらにしても好戦的な魔物はお構いなしに挑んでくるらしい。しかもそれは強い魔物ほどその傾向にあるのだとか。竜やグリフォンなど、魔力感知能力の高い魔物ほど、魔力量の多い獲物を好んで襲い掛かかってくるとケイヤは警告をした。


(というか、やっぱ竜はいるんかい!? これだからファンタジーってやつは!)


 異世界二日目にして、ちょっと情報量が増えすぎだと思った。






 時は一日だけ遡り転移の直後、日本刀男を確保した男たちは共に同じ地へと転移させられた。


「……森と平地だけ、か?」

「おいおい、ここ何にもねえじゃんよぉ!」


 日本刀男を取り押さえたのは、たまたま近くにいた青年グループであった。男に追われていた可愛い女の子にいい恰好を見せたかったが、最初は危なく近づけられなかった。その間に一人の男に先を越された形となったが、詰めが甘く日本刀男に腹を斬られた。


 だがそこで隙を見せた男を捕らえる機会が巡ってきたので三人がかりで押さえつけることに成功した。これでアピール成功と思ったが、肝心の女の子はこちらに目もくれず、斬られた男の心配をした後、元のグループの方へと逃げてしまった。


 結局男たちは不審者と日本刀だけ得た形でこの異世界へと転移してしまったのだ。


「んだよ! 助け損じゃねえか!」


「まぁまぁ、良い武器と奴隷が手に入ったんだし、結果オーライじゃね?」


「ちっ、そうだな……。おい、テメエ!」


「は、はい!」


 日本刀を奪われ無手となった通り魔男は、自らの日本刀で脅されながら男に命令された。


「ちょっとあの森見て来い! 逃げんじゃねえぞ? 水も食料も預かっておくからなぁ」


「そ、そんな! 俺、スキルは【剣】しか無いんで、せめて武器を……っ!」


「ああ? 斬り裂き魔に日本刀なんか渡す訳ねえだろ、ボケ! 殺されたくなければさっさと様子見に行って来やがれ!」

「ひ、ひぃ! 分かりました……」


 通り魔の青年は慌てて森の方へと駆けていく。その様子を三人の男はゲラゲラ笑いながら見物していた。


(くそぉ、あいつら……! 今は我慢だ! その内、きっとチャンスがある……っ!)


 青年は殺意を押し殺しながら命じられるがままに行動をした。






 一方同じ頃、日本政府が呼びかけた国内最大規模のコミュニティも一斉に見知らぬ平地へと転移していた。


「ひ、蛭間総理、ここは一体なんて地名なんでしょう?」


「私が知る訳ないだろう。見た所、建物らしきものはまるで見えんが……」


 転移直前、まさかの小山総理の大失態でその日の内に辞職騒ぎとなった結果、新たな日本の代表者は蛭間大門元総務大臣が引き継ぐ形となった。


 彼は元総理である小山派閥と対立する、蛭間派の盟主でもあった。異世界転移というイレギュラーな形であれど、遂に念願の椅子に座る形になり、蛭間は大満足であった。


「まずは周辺の土地を調査させろ! 問題無ければ直ちに住居を作らせろ! テント暮らしなど我慢ならん! 一刻も早く卒業したいものだからな」


「全くです、総理」


 その様子を冷ややかな目で見つめる男がいた。小山派の懐刀と称された男、宇野正義防衛大臣であった。彼も小山総理のロリコン発言により肩身の狭い思いをしている政治家の一人であった。


(こんな状況で早速自分のベッドの心配とは……。さて、新総理のお手並み拝見、ってところだな……)


 蛭間派とは相反する立場の自分は、きっと遠からず防衛大臣の職から遠ざけられるだろう。新しい政府がどの様な舵取りをするのかは不明慮だが、小山派の自分を大臣の座に座らせ続けるとは到底思えないからだ。


 だがそれならそれで丁度良いとも思っていた。折角の異世界なのだから、少しフットワークが軽い立場の方が自分には気楽で有難かった。



 宇野はこれから始まるであろう苦難の日々に不安を覚えながらも、どこか興奮を抑えきれない自分に少し戸惑っていた。






――女神アリスと地球の代表者たちによるQ&A情報――


Q:地球の物を持っていくことは可能か

A:許可する。ただし手に持ったり背負ったりできる範囲に限定する。置いてある物に触れているだけでは持った事にならないので注意

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る