第4話 スタート

 遂に地球上に生きる全生物の異世界転移が開始された。観測者であるアリスと同僚のミカリスはその作業に大忙しであった。


「南米は終了! 次はそのまま北でいいの?」


「ええ、私は西側からやるから、ミカは北米終わったら、次は日本から始めちゃって!」


 転移作業自体はそこまで難しいものではない。今回の転移は指定した範囲にいる生物全てが対象なので、いちいち周囲に気を遣わなくても済むからだ。


 本当は地球全てを一括対象にして異世界に転移させても良かったのだが、転移させる場所に配慮する必要がある為、所々で区切って範囲選択をしては、安全な転移先へと指定して飛ばしていた。地球生物になるべく被害が出ないようにしたいアリスと、自分の世界への混乱を極力無くしたいミカリスの思惑が一致した形だ。


 それにただ転移させるだけといっても、開始し始めると様々なイレギュラーが起こった。何人かの愚かな人間が他人へ妨害行動を行ったのだ。極めつけは、あるアジアの国から放たれたミサイルだ。その標的は仲の悪い隣国であった。


「嘘でしょ!? このタイミングで……!!」


「チッ! 落下予測地点の辺りから先に転移させるよ!」


 機転を利かせたミカリスは着弾箇所にいる生物たちを簡易転移へと切り替えて指定した。通常の転移より作業時間を短縮させたものだ。その分、転移地点にも多少の誤差が生じる為、あまりお勧めはできない方法だが、このままミサイルで死ぬよりかはマシだろうと凡そ1分で転移を完了させた。


 なんとか転移で避難させた後、ミサイルを放った奴らとそれを指示した連中まとめて魔物が跋扈する森の中へと転移させた。


「くく、ざまぁ!」


 それからも二人は必死に転移作業を進めていくが、どうしても少なくない被害が出始めていた。そしてそれは、ミカリスがその作業を日本へ移した時にも同様な事件が起こった。


「くそ! こいつもか! 日本刀振り回しちゃって!」


「そんなタコ助、さっさと転移させなさい!」


 アリスの言葉に同意したミカリスはすぐさま簡易転移を実行しようとしたが、なんと近くにいた男がそのタコ助にタックルをかましたのだ。


「お、やるぅ!」


「よしよし、良い子ね!」


 卑怯極まりない連中に嫌気がさしていた二人であったが、その胸がすく行動に思わず手を止めて称賛の言葉を送った。


 だが、それが良くなかった。


 アリス達もその勇敢な男も油断していた隙に、起き上がったタコ助が日本刀で彼を斬り付けたのだ。


「何してくれてんのよ!?」


「あちゃ~、あれは致命傷だねぇ……」


 いくら神とはいえ、現地人へ直接介入する手段は限られている。ましてやここは魔法やスキルを封じられた地球であった。ひと先ず被害者は見守るしかなく、瀕死の男やその周辺の連中も転移が開始される。


 ちなみに日本刀男のタコ助だが、取り押さえた男たちに刀を奪われた状態でまとめて転移させられたので、転移先ではそのまま処断されるか、よくても最底辺での扱いは確定だろう。一応マークはしていたので、後で能力値はしっかり減らしておく。


「彼はどうなったの!?」


 地球での騒動は少し落ち着いてきたので、アリスはミカリスにさっきの深手を負った男が転移後どうなったかを尋ねた。


 ミカリスは慌てて水晶玉のようなデバイスを操作して、画面を自分の管理する世界リストアへと切り替えた。


「ん~、草原スタートだね。近くに危険生物はいないけど……出血で死にそうだよ?」


「ちょっとそれ貸しなさい」


 アリスはミカリスの水晶玉を強引に取り上げると、男のステータス画面を弄り始めた。転移直後ならばそのボーナスとして、ステータスを多少は弄れる。


「ちょ、ちょっとアリス! 死にかけの男にSTRやVIT上げても瀕死のままだって!」


 基本的に見守るだけのアリスは、ステータス操作やその仕組みをあまり理解しておらず、それらの知識についてはミカリスの方が一日の長があるのだ。


 ミカリスの助言を聞き入れたアリスは力や体力の上昇操作を即時止める。


「ええい! ならこれでどうよ!」


 それならばと今度はMPを上げるべくボタンを連打しまくった。魔力さえ多ければスキル次第では延命できるのではと考えたからだ。


 人族一人のステータスを上げるくらい、そこまで管理ポイントは消費されないが、それでも勝手に自分のポイントを消費させられてミカリスは眉を寄せた。


「もう、勝手して! ま、彼はどうやら《回復魔法》スキルを選択したようだから、最下級魔法のヒールでも連発すれば奇跡的に延命くらいはできるんじゃないのかな? ほら、それより転移の続き済ませちゃおうよ!」


 男の行く末は若干気になるものの、所詮数多くいる観測対象者の一個体に過ぎない。ミカリスは思考を仕事モードに切り替えると、代わりにアリスのノートPC型デバイスで作業を再開し始めた。こんな面倒事はさっさと終わらせて、快適自堕落な観測生活へと戻りたかったのだ。


 だがこの時のミカリスは気が付かない。アリスはしばらくの間、ずっとMP上昇ボタンを押し続けていたことを。アリスは地球管理のノウハウはあっても異世界での常識、特に魔法関連の知識は乏しかったのだ。



 こうして異世界である惑星リストアでは、史上最も魔力量の多い男が誕生する事となる。






 眩しい光が収まると、まず初めに見えたのは雲一つない青空であった。


「異世界に……来たのか? うぐっ!?」


 再び激痛が走る。改めて腹部を見ると、相も変わらず出血が続いていた。異世界生活スタートと同時に身体の全回復なんかを期待したが、どうやらゲームの復活リスポーンのような機能はないようだ。


 それともこのまま死んだら復活するのだろうかと考えるも、それを自分の身体で試す気には到底なれない。


 それよりも、まずやるべき事があった。


(ま、魔法……どうやって使う……魔力、かな?)


 激痛と出血による意識の低下に抗いながらも、俺は自分の傷を癒そうとあれこれ模索する。まずは魔法を試すが、これは驚く程あっさりと使えるようになった。回復を意識すると、自分には【ヒール】という魔法が使えるのだという感覚がある。


 早速使うと右手がぼんやり白く光った。


「ごほっ!?」


(吐血が、止まらない……まるで効果が、ない)


 何度もヒールを試すも何かが目減りしていくのが分かる。これは多分魔力だ。しかもそれは3回目のヒールであっさり底を尽き掛けた。


 魔力らしきものとは別の何かも目減りしていくのを感じる。これは自分の寿命という奴だろうか。ゲーム風に言うのならHPに当たるのか、急激に身体からそれが失われていくのを感じた。


 遂には視界が暗くなり、痛みを感じなくなったが、代わりに手足の感覚も徐々に失い始めた。


(ああ、ここまでか……)


 駄目かと思った矢先、先ほど底を尽いたと思っていた魔力らしきものが増えはじめているのを感じたのだ。


 最初はゆっくり回復していた魔力らしい力の源は、時間経過と共にその回復スピードをみるみる増やしていった。


 理由は分からないが、これでヒールが続けられる。


 俺は意識を完全に手放す前に再びヒールを試みる。何とか首の皮一枚で現状維持していると、徐々にヒールのコツも掴み始めていた。魔力らしきものをより多く込めることに成功したのだ。


 だがそれでもまだ回復には至らなかったが、肝心の魔力っぽいものは増えていく一方だ。すると今度は別の何かが頭に浮かんだ。


(なんだ、これ? 新しい……魔法?)


 詳細は分からない。だがそれが「回復魔法」に類似するものだという確信はあったが、問題はその効果と魔力量だ。現状ある魔力の殆どを使い切ってしまう程なのだ。


 迷ったのは一瞬で、俺はその名も知らぬ魔法を発動させた。


 すると、ほぼ同時にゼロとなったと思われたHPらしきものが回復し、手足の感覚、それと視界も徐々にだが戻り始めた。どうやら俺はギリギリのところで一命を取り留めたようだ。


 だがそれでも完治には至っていなかった。緩やかにだが出血はしているし、痛みも戻ってきたので、俺は再びヒールを唱えだした。そこからは徐々に傷口も塞がっていき、痛みも少し和らいできた。




 それから俺は数時間もの間、痛みに耐えながら己にヒールをかけ続けるのであった。






 傷も完全に塞がり、痛みも全く感じなくなった俺はその場を立ち上がった。さっきまでずっと仰向けに寝転がっている状態であった。


 少し立ち眩みをするも、問題なく起き上がれた。軽く歩いたり手足を動かしてみるが、どこにも異常は見られない。


「完治したとみて……うん、問題ないな」


 まさかあの状態から復活できるとは自分でも驚きだ。


 命拾いしたことに安堵し、俺は周囲を見渡した。


 ここはどうやら平原地帯であるようだ。平原と言っても緩やかな起伏はあり、草も腰辺りまで生えている個所もあるので見通しが良いとは言えない。


 そして事ここに至って俺は事態の深刻さに気付かされた。


「荷物はなし。周辺に人影も…………駄目だ、ここからだと良く見えない」


 日本刀男から女の子を助けた際、町内会のコミュニティに荷物を置いてきてしまった。咄嗟の事とはいえとんでもない失態を犯してしまったのだ。


 つまり俺の所持品は身に着けている物だけになる。衣服以外で挙げるとするならば、スマホと腕時計、あとはハンカチとティッシュくらいだろう。


「不味いな、水も食料も無し。ハハ、いきなりハードモードだなぁ」


 さっきまでイージーと言っていた自分をぶん殴ってやりたい気分だ。


 とにかく水源を探せないかと考えた俺は、小高い丘の方へと足を向けた。そこから周辺の様子を探るつもりだ。


(魔物とかは……出ないだろうなぁ)


 今の俺は完全に無手だ。その上草が邪魔で視界も悪い。俺はなるべく音を立てないよう気を遣いながら丘を目指した。




(ふぅ、思ったより早く着いたなぁ)


 病み上がりで心配だったが、体調の方は悪いどころか絶好調であった。思ったよりも疲れなかったのは異世界転移と共に何かステータスといった能力値に変動があったのだろうか。


(そういえば魔力らしき力は…………うん、相変わらず感じられるな)


 確かQ&Aによると、魔法系のスキルを選択したものは、今回特別に最下級魔法を取得させると説明していた筈だ。多分「回復魔法」スキルの恩恵が【ヒール】なのだろう。


 これはうろ覚えの情報だが、確か身に着けたスキルや魔法の確認は、鑑定か特殊な魔道具でチェックする事ができるらしい。俺の所持スキルは【自動翻訳】【回復魔法】で修得魔法は【ヒール】となる。もしかしたらそれ以外にも持っているのかもしれないが、現状調べる方法は無さそうだ。


(おっと、それよりも早く水源を探さなくちゃ)


 思考が違う方向へ脱線しかけた俺は改めて周囲を見渡し、どこかに川や池などがないか様子を探った。


(……見事に何も無いな。人工物どころか、人っ子一人見えない)


 俺以外の生物となると、見たことも無い虫と野鳥くらいだろうか。だが魔物が付近に居ないというのは助かった。


(後は木や草だけか……。 確か水のある場所には植生も、だったか?)


 水源を探す為の知識を、脳をフル動員させて必死に思い出そうとするも朧げだ。水はある程度持ち込む予定だったし、同行者の水魔法に期待していた面もある。一応水源探しも大事な知識だから、それっぽい情報をコピペしてファイルに纏めていたのだが、それすらも地球に置いてけぼりだ。


 山の上の方に行けば川が多そうだなとは思うが、現時点で水一滴も無しに登山をする勇気はない。それに問題は水だけではない。恐らくそろそろ夜になる。太陽がだいぶ傾いているのが感じ取れた。


(当たり前のように太陽はあるけど、地球と同じ性質なんだろうか?)


 この世界も一日24時間、一年は少し短く360日だと聞いている。気候は場所によりけりだそうなので、ここが日本と同じように春なのかは不明だが、気温は若干高めに感じる。現在俺がいる場所は日本より緯度は南寄りなのか、季節が夏に近いのかもしれない。夜の気温が然程落ちない事を期待する他あるまい。


(そういえば、この世界は地球の5倍以上の広さがあるんだったな)


 地理や気候学に詳しくない俺がいくら考えても答えは出るまい。この先の気温変化に関しては最早出た所勝負だろう。


 それと水だけでなく食べる物も探さなくてはならない。森は魔物や猛獣の心配があるが、その分食べられそうなモノも多そうだ。遭難の危険性もあるが、背に腹は代えられまい。


(後はどこで夜を過ごすかだが……)


 どう考えても夜道の森歩きは危険だと判断した俺は、結局その日の内に森の手前辺りまで近づくと、草むらに身を隠すような形で横になる。


 空腹な上に人肌が恋しい俺は不安な一夜を明かすのであった。






 異世界2日目、俺は日が昇ると同時に森の中を歩き始めた。


 太陽の昇り始めた方角を東と仮定して、俺はひたすら西の方角を目指していた。そっちの方向は森の中でもまだ割と浅い位置にあり、山からも離れているので迷う心配が少ないからだ。


 しばらく進むも魔物の姿は全く見られない。いや、その気配はあるのだ。別に俺が何か【察知】系のスキルを入手したという話ではなく、巨大な獣が傷をつけたような傷んだ大木や、大きな糞を度々見かけたからだ。中には消化しきれなかった小動物の骨らしきモノまで混じっている。


(少なくとも肉食獣が棲息しているってことだよな?)


 森に入ったのは迂闊だったかと後悔し始めるも、今更もう遅い。


 俺は警戒レベルを引き上げながらも、ゆっくりと森の道なき道を進んでいた。するとチョロチョロと水の流れる音が聞こえ始めた。俺は耳を傾けながらそちらの方向へ足を進めると、遂に待望の小川を発見した。


「やった! 遂に水を見つけたぞ!!」


 昨日から一滴も水を飲んでいなかった。それに全身血だらけで口の中にも未だ血の味が残っている程だ。俺は小川に近寄り、水質などをチェックしようとするも、その水面に映った自分の姿を見て思わず手を止めてしまった。


「…………え、誰?」


 そこには俺の記憶する自分とは違う顔が水面に映っていたからだ。


 顔つきはほぼ一緒なのだが、若干幼く見える。元々若く見える方だが、これでは高校生以下と疑われても仕方がない顔つきだ。


 だが、それよりも一番の変化は俺の髪が白髪になっていることだ。いや、白というよりかは少しだけ銀に近いだろうか。元々黒髪だった俺の姿からは遠くかけ離れた容姿をしており困惑する。


(どういう事だ? 転移による影響、か? そんな情報は見たことが……)


 少なくともQ&Aには若返りだとか髪が変色するなどの情報は記載されていなかった。質疑応答から抜け落ちていた情報なのか、それとも俺だけがイレギュラーなのか。もし後者だとしたら考えられる原因は死にかけた事くらいだろうか。


(……ま、命を拾って髪の色が変わるくらいならいいけどね。“死な安”って事で)


 でも禿げるのだけは勘弁だと思いながらも、俺は白髪を少しだけ心配しながら小川に手を入れて確認をした。


「……うん、冷たくて気持ち良い」


 触ったくらいで当然水質など分かる筈もないが、水を我慢するか腹を下すかの二択なら、俺は迷わず水を飲むことにした。手に掬って水を飲むも味におかしいところはない。寧ろ喉が渇いていた上に歩き回って疲れていたのでとても美味しい。


 俺は満足するまで水を飲むと、服を着たまま川の深い場所で水浴びをした。


「うへぇ、服に血がこびりついてて落とせそうにないなぁ……」


 ぼやきながらも落とせる汚れは落としていく。


(水を携帯したいんだが……入れ物になりそうなモノは無いなぁ)


 大きな葉っぱや竹のような植物で水筒の代わりは作れないかと思うも、何の道具も持たない一般人ではどうしようもなかった。


(仕方がない。ここを拠点にして周囲を探索するか?)


 とりあえず飲み水は確保できたのだ。後は食料と身の安全の確保だろう。水源の近くというのが少し引っかかる。魔物や動物なんかも水を飲みにやってくるだろう。少し離れた所を拠点にした方がいいだろうか。


 そう考えていた時――――


「――――動くな!」


 突如背後から声を掛けられた俺はびくりと身体を硬直させる。


 若い女性の声だ。俺以外にも人がいたのかと思わず振り返りたくなる衝動に駆られるも、相手の第一声を無視する勇気もなく身動きがとれない。


「よし、そのまま両手を開いて上げ、ゆっくりこちらを振り向け」


 再度指示が飛んだので、俺は言われるがままに後ろへ身体を向けた。



 そこには武装をした美しい女性が、俺に剣を向けているのであった。






――女神アリスと地球の代表者たちによるQ&A情報――


Q:スキルに魔法とあるが、異世界では魔法が使えるのか

A:才能や努力次第で扱える。転移対象者は魔法系の適性スキルを選択すれば、特典として最初から最下級魔法を扱うことができる

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