第17話 前カロッタ伯爵との密談①
カロッタ家の本邸は、とにかくデカくて広い。
そんな広い屋敷だからなのか、一番会いたい人にエマはいまだに会えていない。もう二週間も滞在していて、明後日には帰るというのに……。
今回の領地訪問の隠れた目的は、カロッタ前伯爵との面会だ。
大体前伯爵も義理の娘との初顔合わせだというのに、出迎えもなければ食事の場にも出てこない。ここまではっきりと態度で示されれば、自分が疎まれているのはエマだって分かる。
それが分かった上でも、カロッタ家の決定権を持つ前伯爵と、どうしても会って話す必要があるのだ。
悩みに悩んだエマが選択した面会方法は、やっぱり強行突破だ。
明後日には帰る身であれば手段を選んでいる暇はないし、長い付き合いにはならないのだから遠慮もない。
前伯爵の書斎の前に立ったエマは、握り締めた拳に「交渉は自分で!」と気合を込めて扉を叩いた。
伯爵に会うために初めて研究塔へ入る時のことを思い出したエマは、必要なら扉に体当たりをしてでもと意気込んでいた。
だが、息子同様に無視を決め込むと思っていた父親は、「どうぞ」と穏やかな声で入室を許可してくれた。
何の苦労もなく普通に入れてしまった書斎は、趣味のよい焦げ茶色の本棚やキャビネットが並んでいる。カーテンは金糸の刺繍がされたアイボリーの華やかなものだが、決して華美な印象ではない。かといってタウンハウスの応接室のように、地味で陰気臭くもない。上品で知性を感じさせる前伯爵にピッタリの部屋だ。
大きくどっしりとした執務机から立ち上がった前伯爵は、怒った様子もなくエマにソファーに座るよう勧めてくれた。
落ち着いたマスタード色の生地にオリーブグリーンの刺繍が施されたソファーは、見た目の趣味の良さだけでなく、座り心地もすこぶるよい。埃をかぶり、椅子としての機能を失っていた研究塔のソファーを思い出すと笑ってしまう。
初めて会う前伯爵は、ダークブロンドにすこし垂れた緑の瞳をした優しい顔立ちをしている。
黒髪にオリーブグリーンの瞳でキリッとした冷たい印象のヒューゴとは随分と異なり、似ているのは高い身長ぐらいだ。
「出迎えもせず、食事も一緒にできなくて申し訳なかった」
前伯爵は頭を下げられたエマは、本来の目的を忘れてしまうほどに動揺した。
エマの想定では、「会いたくない!」とごねる前伯爵を強引に引っ張り出すつもりだった。それなのに、伯爵からはエマに対する嫌悪感が感じられない。
「……あっ、いえ、その、私の方こそ、急な訪問を許していただき、ありがとうございます」
エマが慌てて頭を下げると、「随分大きくなったのだな……」と優しい声が降ってきた。その言葉に、エマは首を傾げる。
「……えっと……、お会いしたことが、ありましたか?」
「十七年前にね……。エマはまだ、小さな子供だった」
懐かしそうにエマを見る前伯爵の目は、驚くほどに優しい。十七年前ならば、エマには会った記憶がないのもうなずける。
「エデンバーグ家は公にしていませんが、私には七歳以前の記憶がありません」
なぜかそれを知っているように前伯爵は小さくうなずくと、「記憶を失って、大変だったかい?」と静かに尋ねてくる。
全てを知っているかのような労わりを感じる目も声も、前伯爵はどこまでも優しい。だからエマからも、思わず本音が漏れた。
「記憶に関しては、失って良かったと思います」
「どうして、そう思う?」
「魔力のない私に、あの家族との楽しい記憶があったとは思えないからです」
エマの吐き捨てるような言い方に、前伯爵は同じ質問を繰り返す。
「どうして、そう思う?」
「七歳から二年間だけ、エデンバーグの領地で貴族としての嗜みを叩きこまれました。家族だけでなく使用人からも見捨てられた、それは惨めな日々でした……」
そんな一言で収まる日々ではなかった。
家族からは徹底的に無視され、たまに目が合えば蔑むような憐れむような視線しか向けられない。
それでも相手は家族だと、七歳のエマは思っていた。
記憶のない不安に押し潰されそうで怖くて苦しくて、「過去を教えて!」「どうして記憶を失ったの?」と家族に縋った。
自分にべっとりとまとわりつく黒い不安を家族なら払ってくれると思ったのに、父親も母親も兄も怖い顔で何も答えてくれない。
いや、それが答えだったのだ。
魔力なしで産まれたエマと家族の思い出なんて、何一つなかったのだ。自分は産まれた時から家族から疎まれ、無視されていたのだとエマは理解できた。
身分制度の国でも人とは恐ろしいもので、家族がそんな態度をとれば、使用人だってエマを見下す。記憶もなく魔道具も使えないエマを助けないどころか、困って泣く姿を見て笑っていた。聞こえよがしの陰口なんて毎日当たり前で、自分がどれだけエデンバーグ家の面汚しで無能で要らぬ人間なのかを教えられた。
そんな日々の中、記憶もなく頼る者もいないエマは、いつも不安の闇の中にいた。
周りの人間全てが怖くて、言い返すことだってできない。だって、記憶もなく、魔力もないエマは無力で、本当に何もできない子供だったから……。
今思い出したって、吐き気がする二年間だった。
だが、そんな話をしにきたのではない。
「湿っぽい話になって、申し訳ありません。エデンバーグ家の態度は、この国においてはごく当たり前だと理解しています」
エマがそう言って苦さを飲み込んでニッコリと微笑んでいるのに、前伯爵は悲しそうに顔を歪めている。
「……エデンバーグ家だって……。子供が可愛くない親はいないよ……」
そう言った前伯爵の言葉に悪気がないように、エマにだって悪気はない。ただ、事実を伝えただけだ。
「私に最低限の魔力があったなら、そうだったのかもしれません」
前伯爵の太腿の上に置かれた両拳は、きつく握り込まれ血管が浮き出ている。
同じ貴族同士だけあってエデンバーグ家を非難するような言葉に腹を立てたと感じたエマは、さっさと自分の話は終わらせて本題に入る。
「カロッタ伯爵を見ていると、家族だけでなく使用人達からも愛されているのがよく分かります」
「ヒューゴも特殊な子でね。魔力量が多く賢すぎたため、周りの人間に合わせることができなかった」
「……あぁ、昔から……」
また出てしまった本音に、前伯爵はクシャリと笑った。
「そう、昔から今みたいに自己中心的で、周りを顧みることができなかった。ヒューゴが子供の頃は、私もさっぱり理解ができなくてね……。ヒューゴの唯一の理解者である妻がいてくれたから、私達親子は歩み寄れた」
「素敵な奥様だったのですね」
嬉しそうに微笑んだ伯爵は、エマの背後を指さした。
何があるのだと振り返ると、壁に家族の肖像画が飾られていた。
二十年くらい前のものだろう。ヒューゴは幼くて、子供らしく少しふっくらとしている。前伯爵も皺もなく今よりもずっと若々しい。その伯爵の隣で、ヒューゴを愛おしそうに見つめているのが母親であることは一目で分かる。
ヒューゴと同じ黒髪で、琥珀色の瞳持つ知的な美人だ。顔だけではなく、雰囲気もヒューゴと似ている。
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