第14話 商業ギルドの金庫番
完全に勝ち誇った商人に、エマはニッコリと微笑んだ。
「貴方は情報不足みたいだから、教えてあげる。出来損ないである私は、ずっとサクロス国で暮らしていたのよ?」
「アースコットの人間が、国外に……?」
商人は信じられないという顔でエマを見ていたが、すぐに狡猾な表情に戻った。
エマにサクロス国に住んでいた過去があろうが、アースコット貴族なんて敵ではないからだ。
「サクロス国にはアースコットお得意の身分制度がありませんから、さぞ苦労なさったでしょうね? まぁ、貴族同然に暮らしていれば関係ないか」
「貴方の想像と違って申し訳ないけど、しっかりと働いていたわ」
エマが流暢な発音でサクロス語を話すと、商人はギョッとした。
アースコット国民が外国に行かない理由に言葉の問題もある。自国に誇りを持ちすぎるあまり、他国の言葉を受け入れることを敬遠しているのだ。
その傾向は特に貴族に顕著なため、言葉も分からないままサクロスに滞在していたに過ぎないと商人は考えていた。
「アースコット貴族がサクロス国で働けるはずが……」
「私のことを何も知らないなんて……。貴方、本当に商人なの?」
エマが首をかしげると、麦藁色の髪がさらりと揺れた。
国民のほとんどが茶色い髪のサクロス国では、麦藁色だって金髪だと間違われるほど珍しい。
「……金髪、エマ……!」
そう呟いて絶句した年配の男の隣で、三十代の男が初めて口を開いた。
「……商業ギルドの金庫番だ!」
「あら、その呼び方、久しぶりに聞いたわ」
貫録を見せつけるようにニッコリと微笑むエマの前で、二人は震え上がった。
「貴方達のことは、ギルドによぉく伝えておいたから安心してね」
アースコット貴族ごときの声を聞くギルドではないが、金庫番の声ならば必ず聞き届ける。
真っ青な顔でエマに縋りつくように助けを乞う二人を見向きもせずに、エマはさっさと応接室を出た。
カロッタ家への詐欺事件は、思った以上にエマの手を煩わせた。
予想以上に多くの貴族が詐欺の被害にあっていて、国同士の問題にまで発展したのだ。
エマとしては、サクロス国の商業ギルドと、アースコット国とで話し合えば済むと思っていた。だが、問題はそう簡単にはいってくれない。なぜかエマまで駆り出される事態となった。
ここ最近はそんな風に詐欺事件にかかりっきりだったため、ヒューゴの様子がおかしいことにエマは全く気付いていなかった……。
「エマ、この後は少し俺に付き合え」
珍しく屋敷にやってきたヒューゴはそう言うと、さっさと玄関へ歩いて行く。
山積みの書類とヒューゴの背中を見比べて、エマは渋々執務室から出た。
昼間は白かった雲が、沈み始めた太陽の光を浴びてサーモンピンクに変わっている。青かった空も茜色と薄い紫色が混ざり合い、夜が近づいている。
少し高台に立つエマの前には、夕暮れ空といくつもの真っ白な石が等間隔に並ぶ景色が広がっている。白い石は、夕暮れの色を移す鏡のように染まっていた。
石はよく見ると艶やかな正方形で、名前が彫られていた。その石の周りは細かい碁盤のように区切られていて、白い道になっている。
その道を、エマはヒューゴの背中と優しい色合いの空を見ながら進んでいく。
ヒューゴが足を止めた先には、『クリスティナ・カロッタ』と名前が彫られた墓石があった。
石の前に立ったヒューゴは、少し躊躇いながらも薄紅色の花を置いた。振り向いたヒューゴが隣を開けてくれるので、エマも同じように花を手向けた。
「母の墓に来たのは、今日が初めてだ」
ヒューゴの母が亡くなったのは、十七年前だ。
「ここに来る気持ちになれたのも、体力が得られたのも、全部エマのおかげだな」
そんな殊勝なことを言うヒューゴを、エマは棒立ちで凝視した。
ーーどうしたの? 何があった? 態度がおかしい!
「十七年前に母が死んだ時、俺は母の死を受け入れられなかった」
墓石に向けられたヒューゴの表情は夕日で茜色に染まり見えないが、声からは苦しみが溢れている。
「……どんな、お母様だったのですか?」
「母は魔力が飛び抜けて強い人で、父と結婚するまでは宮廷魔道具師だった。父と結婚して引退したが、かつての師匠が家に来ては、魔道具の話で盛り上がっていた」
そう言って懐かしそうに笑う声を聞くと、その話に参加して子供ながらに激論を交わしていたヒューゴが目に見えるようだ。
「『身分に関係なく誰もの生活を助けるのが魔道具だ』というのが母の口癖だった」
「カロッタ伯爵は、その言葉を受け継いだのですね?」
ヒューゴの視線が泳ぐ。
「……受け継いだの、だろうか?」
影が増した墓石を見下ろしたヒューゴの声は、いつになく力がない。
「俺は、逃げたのかもしれない……」
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