第11話 子守り

 サクロス国で子供に勉強を教える機会もあったエマは、子守りには慣れているつもりだった。だが、いい年をした大人を子守りするのは、なかなかに骨が折れる。相手が興味のあることにしか反応しない、我が儘放題のヒューゴとなればなおさらだ。


 エレアールの言葉を信じないわけにはいかず、ヒューゴは今までの生活を見直すことにしたのだが……。本気で見直す気があるのか首をかしげたくなるどころか、研究塔ではエマの怒鳴り散らす声が日常的に響いた……。

 長年の悪癖がそう簡単に治るはずもなく、すぐに元に戻ろうとしてしまうのだ。

 その度にエマが駆り出されるのだが、さすがに分刻みに呼ばれると、いちいち駆けつけるのが面倒だ。この一カ月の間に、食事や散歩は一緒にするのが日課になってしまった。


「外を散歩するなんて馬鹿げている! そんな時間があるなら、研究を進めるべきだ!」

「そういう生活を続けると、どうなるのでしたっけ? 本、見ます?」

「外に出て日光を浴びる、歩く、飯を食う、寝る。この時間の全てがもったいない」

「その全てを忘れ去った元の生活に戻れば、死ぬ。そう言っているのはエレアール様ですけど、信じられませんか?」

「………」

 エマとヒューゴの間で、飽きるほど繰り返されているやり取りだ。


 口を尖らせてさっさと歩いて行くヒューゴは、「そろそろ三時だろ? 今日はエンガディナーが食べたい」と振り向きもせず言った。

「『今日は』ではなく、『今日も』ですよね?」

 エマがそう言うと、振り向いたヒューゴの顔が薄っすら赤い。

「うるさい! エマの言う通りに食べるのだからいいだろう!」

 そういいながらも椅子に座りおやつを待つ姿を見ると、エマとしては気難しい子猫を餌付けした心境だ。


 エンガディナーはサクロス国ではメジャーなお菓子で、エマの大好物だ。アースコット国では手に入らないため、エマが自分で作って食べていたところヒューゴの目にとまった。以来ずっと、ヒューゴのお気に入りだ。


 相変わらず侍女長はエマのことを目の敵にしているため、カロッタ家での生活は色々と苦労も多い。

 だが、ヒューゴの命を救ったエマに対して、随分と好意的になった者達もいる。料理長はその中の一人で、エマに厨房も貸してくれる。

 その理由は、ヒューゴにほんの少しついた肉を見れば分かる。

 この五年ほとんど食べることのなかったヒューゴが、この一カ月は毎日三食摂るようになった。しかも、補食として片手で食べられるサンドウィッチも追加されている。

 自分の料理がヒューゴの命をつなげている。そう実感できるのがエマのおかげとなれば、人の気持ちなど変わるものだ。


 お茶を飲めるようにテーブルが置かれた庭は、庭と呼ぶのは苦しいほどに茶色の土ばかりだ。雑草も生えない土地を管理する庭師は、一番大変な仕事かもしれない。

 その中でこのガゼボだけは、白い建物に蔓が巻き付いて緑が堪能できる場所だ。

 向かい合って椅子に座るヒューゴの前に、エマは皿にのせたエンガディナーと紅茶を置いた。


「ヘンリーさんも食べますよね?」

 エマが言い終わる前に、涼しい顔をしたヘンリーはヒューゴの隣に座っている。

 母親であるデルマナ同様にエマを目の敵にしていたヘンリーだが、今はすっかりエマの味方だ。


「ヘンリーは甘いものが苦手だろう?」

 そう言って横取りするヒューゴから、エンガディナーを取り返したヘンリーはさっさと噛り付いた。


「嫌いだなんて、一言も言ったことはない」

「でも、お菓子なんて食べていなかっただろう?」

「……食べている暇がなかっただけだ……」

 ヘンリーの前に紅茶を置きながら、エマは非難の目をヒューゴに向けた。


 ――魔力をエネルギーに変換できる伯爵の身の回りの世話から研究助手までだよ? 生身の人間でよくやったとしか言えない……。


 そこまでしてヘンリーがやり切った理由は、主従関係だけではない。

 デルマナがヒューゴの乳母だったため、二人は乳兄弟だ。年が同じこともあり、兄弟のように育ったのが大きい。


「疲れ知らずのヒューゴに付き合って、飯を食う時間だって作れないありさまだった。そんな俺に、お菓子を食う余裕があるか?」

 恨み節で嘆かれていることにヒューゴが気づくことはなく、「うん、美味いな」とご満悦だ。


 だが、エマとしては、そう褒められる度に不満が募る……。だが、それも、今日までだ。


「明日の午前中に、サクロス国から荷物が届きます。明日はもっと美味しいですから、楽しみにして下さいね」

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