第10話 大魔導士エレアールの言葉

「情けない……」

 呆れ果てて空を仰いだエマの遥か後方を、骸骨が歩いている。


「自分で『本を見せろ!』と言ったのですよ? 本邸まで歩いてくるだけで、息も絶え絶えではないですか!」

「お前が『俺が死にかけているのを証明できる、エレアール様の本を持っている』と言うからだろう」

 

 貴重な本見たさに慣れない歩行した結果、今が一番死にかけているかもしれない。


「半地下にある掃除用具置場に連れてきて、一体何を見せるというのだ?」

「ここはカロッタ家が用意してくれた、私の私室ですよ」

 疲れも吹き飛ぶほどに驚いたヒューゴは、「……嘘だろう?」と部屋を見渡してからデルマナを探した。


 ヒューゴが屋敷に来たと知って慌てて駆けつけたデルマナは、スッと目を逸らす。それはこの部屋を意図的に用意したと白状したも同然で、彼女を信頼しているヒューゴには訳が分からない。


「どういうことだ? どうしてこんな場所に……?」

「そんな分かり切ったことを悩んでいる時点で無意味です。それより、これを見て下さい」


 エマがたった一つの自分のカバンから出してきたのは、立派な革表紙がついた高級そうな分厚い本だ。

 魔道具以外には興味を示さないヒューゴが、その本に釘付けだ。


「なぜお前がこの本を持っている? この国で最も優れていると言われた大魔道士が書いた一冊しかない希少本だぞ?」

「九歳でサクロス国に放り出された時の荷物の中に入っていました」

「こんなに貴重で難しい本を、九歳の子供の荷物に入れるか?」

「エデンバーグ家を出された時は急でしたから、手違いで紛れてしまったのかもしれませんね」


 ヒューゴは納得していないが、エマにとってはこれ以外の事実はないのだから説明のしようがない。


 エマの持つ本には、魔力や魔法のあれこれが書かれている。自分の持ち物なのだから一通り読んだが、エマにとって役に立つことは何一つ書かれていなかった。


「この本は、筆者の体験談が基になっています」

 魔力や魔法について書かれた専門書というより、筆者の体験を書いたエッセイのようなものだ。だからこそ専門書には書かれない、魔力を持つ者としての重要なことが書かれている。


「本の中には魔力の強い者は、身体を酷使しても死ぬことなく動けるとあります。要は魔力をエネルギーに変換するから、食事や睡眠を削っても活動できるのです」

「それにはとっくに気付いていた。大魔道士エレアール様も、同じように活動されていたのか」

 感慨深げにうなずいているヒューゴに、エマは凍り付くような視線を投げつける。


「大魔道士様は、魔力に頼ったそんな生活を送ったことを後悔されています」

「そんなはずがないだろう! 生きているすべての時間を研究に捧げられる、素晴らしい能力だぞ!」


 興奮するヒューゴに大魔道士エレアールの後悔が書かれたページを見せると、興奮はみるみるうちにしぼんでしまった。


「『一見便利だと思えるが、それを続けると身体が弱る。衰えた身体は、大きな魔力を蓄えることに耐えられず、死に至る』そう書かれていますね?」

 ヒューゴは無言だが、後ろに控えていたヘンリーは「嘘だろ……」と膝をついて床に崩れ落ちた。


「この本にある通り、貴方は死にかけています」


 エマの発言に最初に反応したのはデルマナだ。

「魔力なしの出来損ないの分際で、ヒューゴ様に何を言っているのです!」

 目を吊り上げてそう言ったデルマナは、背後からエマを突き飛ばすと、奪った本を床に投げつけた。


 それに烈火のごとく怒ったのがヒューゴだ。

「大魔道士エレアール様が書かれた大変貴重な本だぞ! 何てことをしてくれたのだ!」


 ヒューゴは拾い上げた本を赤ん坊のように扱い、破損の有無の確認に余念がない。

 自分が怒鳴ったことで、デルマナが真っ青な顔で立ち尽くしていることには気付かない。


「この本に書かれていることが真実であることは、伯爵だってお分かりですよね? 伯爵の身体は、ご自分の魔力に耐えられなくなっています!」

 エマの言葉に反論する者はいない。


 みんな薄々気付いていたのだ。

 ガリガリに痩せこけた骸骨同然の身体と、一晩中明かりが消えることのない研究塔。毎日食べられることなく戻される料理。塔にこもったまま何年も出てこない当主。

 これが全て異常事態なのだと……。


 塔にこもる五年前の姿と比べて、目の前にいる当主が死人同然なのは誰が見たって分かる。

 それは分かっているけれど、認めたくない。

 ヒューゴは国民のために魔道具の研究に全てを捧げている。そんな当主は、彼等にとって誇りだ。そんな当主の望みを叶えるべく働くのが、カロッタ家の使用人の誇りでもあった。


「この国にとって必要な人間だからこそ、伯爵はもっと先を見据えるべきではありませんか? 数年間で命が尽きるのと、この先何十年も研究し続ける。どちらがこの国のためになるかなんて、考えるまでもないですよね?」

 ヒューゴだけではなく、カロッタ家全員に聞こえるようにエマは言った。

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