第9話 緊急離婚会議

 本に埋もれていて全く分からなかったが、部屋にはソファーとテーブルがあった。使われた形跡のない埃まみれのソファーに座るのは、さすがのエマも抵抗がある。

 だったらと執務机の本を少しどかして、ヘンリーがどこからか持ってきた椅子に座ってエマとヒューゴは向き合っていた。


「私には魔力がないから、色々と偏見があると思います。だから先に、私の結論を伝えておきます」

 エマはまどろっこしいことは嫌いだ。問題は複雑にせず、シンプルに考えたい。

「私の希望は一つです。離婚して、一日でも早くサクロス国に帰ることだけ」


 ――お互いに望まない結婚なのだから、さっさと終わらせればいい。この国にこれ以上いるのは、いい加減限界よ。


「私と伯爵の望みは一致しています。さっさと離縁をお願いします」

 これで帰れるとエマは心からホッとした。心はもうサクロス国に飛んでいて、何も言わずに国を出たことを何と言って謝ろうか考えていた。


「離縁はできない」

 骸骨は顔色一つ変えずにそう言った。


 全く想定外の状態に陥ったエマは、利害が一致しているヘンリーに助けを求めた。だが、パッカーンと口を開いたままヒューゴを凝視しているヘンリーは、全く役に立ちそうにない。

 結局、自分のピンチを救うのは、自分なのだ。


「伯爵にとっても、今回の結婚は不本意ですよね?」

 ヒューゴは相変わらず何を考えているのか分からない顔で何も言わない。その態度は、エマを苛立たせる。


「カロッタ家が私を歓迎しているとは思えません! それなのに、どうして離縁ができないのですか?」

 ヘンリーが顔を強張らせるのに対して、ヒューゴの表情はやっぱり全く変わらない。


「エデンバーグ家の報復を気にされているのなら、問題ありません! 出来損ないである私が離縁されても当たり前としか思いませんし、気にも留めません!」

「エデンバーグがどうこうって話ではない。この結婚が王命だから離縁できないと言っている」

「王命を覆したことで国外追放になるのなら、私は望むところです!」

 エマは平らな胸を拳でドンと叩いた。


 ――しまった……。私にとっては国外追放は褒美だ。でも、カロッタ伯爵にとっては絶対に違う。


「カロッタ家にとってのメリットがありませんね…… 。ですが、魔力のない出来損ないを押し付けられるより、普通の令嬢と結婚する方がよっぽどメリットになりますよ?」

「俺にとって重要なことは、魔道具の研究ができることだ。それ以外に興味はない。妻が魔力なしだろうが誰だろうが気にしない」

「伯爵が気にしなくても、家の方々は大いに気にしています!」

 エマはチラリとヘンリーを見たが、すました顔で立っている。


「書類上夫婦であることは継続しますが、事実上は離婚ということにしましょう。私はすぐにでもサクロス国に帰ります」

「一年二年くらいは、それも無理だろうな」

「どうしてですか!」


 興奮したエマが椅子から立ち上がると、後ろに控えていたヘンリーが右腕をヒューゴの前に出した。

 守られるのは気に入らないのか、ヘンリーの健康的な腕を青白い手が払いのけた。


「カロッタ家の当主として、家を存続させる義務は全うするつもりだ。俺の妻になったからには、貴方には跡取りを産んでもらう」

 無表情のヒューゴに対して、エマとヘンリーは頭を抱えた。


「いやいやいや、私のように魔力がない子が産まれたら、どうするつもりですか? 魔力なしが生きていくには、この国は残酷すぎます。私は出て行きますから、別の方との間に子供をもうけるべきです」

「何度も言うが、この婚姻は王命だ。貴方以外には私の子は産ませられない」


 ヒューゴの見た目は非常識なのに、言っていることは常識的だ。

 アースコット国の王命は絶対だ。エマ以外の人間が子をなせば、反逆罪に問われる可能性だってある。


「魔力に関しては心配することはない。俺には十分すぎるほどの魔力がある。俺の子供が魔力を持たぬはずがない」

 ヒューゴはさも当たり前という顔で断言したが、エマが納得できるはずがない。


「エデンバーグ辺境伯だって、国内有数の魔力持ちですよ? でも、魔力のない私が生まれました」

「俺の魔力は、辺境伯なんて比べ物にならない」

 ヒューゴだけでなく、ヘンリーもまでも胸を張っている。


 ――自慢話は、もういいよ。そういうことじゃない! エデンバーグ辺境伯だって、カロッタ伯爵に次ぐ魔力を持つと言われている。それなのに私という魔力がない人間が生まれた事実に気付いて欲しい!


 この国で魔力なしの子供が産まれるということは、その子だけでなく、その家族までも不幸のどん底に突き落とす。エマはそのことを、身をもって知っている。だからこそ、この婚姻は解消すべきなのだ。


 エマの気持ちがようやく届いたのか、ヒューゴは「貴方の言うことも一理ある」と言ってくれた。

 離縁に向けてようやく第一歩と思ったのに、飛び出してきた言葉にエマは耳を疑った。


「子が産まれても、魔力がない者に子の教育は任せられない。産んだら家から出て行ってくれて構わない」

「…………」


 基本的に子育ては乳母がするのが『普通』の貴族の世界では、目くじらを立てる発言ではないのかもしれない。

 だが、あいにくエマにとって、そんな『普通』はゴミ以下だ。

 魔力がないことで、家族からも使用人からも誰からも見捨てられて育ったのだ。自分の子供を、見捨てるなんて考えたくもない。


 ――結局私は、この国では人間ではないのよね。この人は私に興味がない上に、子供を産むための道具としか思っていない。この国の人間は、本当に最っ低!


 バッチーンという乾いた音が高い天井にこだました時には、ヒューゴは自分に何が起きたのか理解できていなかった。

 目の前に立つエマの顔には、怒りと侮蔑が浮かんでいる。勢いよく振り切った右手は、何かをぶっ叩いたように赤い。そして、自分の左頬はじんじんと熱く、口の中は鉄の味がする。

 ひっぱたかれたのだとヒューゴが気づいた時には、鬼の形相をしたヘンリーがエマを取り押さえようとしていた。


「ヘンリー、手を離せ!」

 ヒューゴの怒鳴り声にビクリと身体を揺らしたヘンリーは、鷲掴みにしたエマの髪から手を離した。だが、怒りは収まらず、再び飛びかからんばかりにエマを睨みつけている。


 令嬢がこれだけの殺気を受ければ、さぞ怯えるだろう。そう思ってエマを見たヒューゴは、自分の目を疑った。

 エマの両手は椅子の背もたれをしっかり掴んでおり、ヘンリーの頭上からでも脇からでも殴りつける準備は整っていた……。


 そのエマはヘンリーになんか見向きもせず、ヒューゴに怒りをぶつける。

「自分の子供を捨てる前提なんて、絶対に受け入れられない!」

「必要な教育を受ければ、人は育つものだ」


 頬と口内が痛いというのに、エマの怒りのこもった目が刺さってまた痛い。

「貴方は家族や使用人から愛されてきたから、そんなことが言えるのです!」


 怒りの激しさが増していくエマが適当なことを言っているとは思わないが、ヒューゴには愛されている実感がない。


「父親に恨まれている俺が、愛されているはずがないだろう?」

「はぁっ? 爵位を継いでいるのに、貴族としての務めを放棄して研究に没頭できるなんて、誰のおかげだと?」

「俺の能力なくして、この国の魔道具は発展しないからな。当然だ」

「世間からは、研究にのめり込み過ぎて人体実験するほど危険な人物だと思われていますよ!」


 さすがのヒューゴも言葉を失って驚いている。

 自分が『骸骨魔道具師』と呼ばれていることも、変人扱いされていることも知らないのだ。自分のことは、国中から称賛を浴びる最も優秀な魔道具師だと思っている。


「貴方が気持ちよく研究できるように、余分な情報が耳に入らないよう守られていたの。カロッタ家の人達にそこまで大事にしてもらって、『愛されているはずがない』なんてよく言えますね」

「……守られる? 俺が?」

「甘やかされ過ぎて子供のままの伯爵に必要なのは妻ではありません! 貴方に必要なのは、子守りのようですね!」


 ――こんな子供相手に怒るなんて、馬鹿らしくなった……。



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