第8話 骸骨魔道具師との対面
その部屋は、広くて狭い。そして、半地下で小さな窓しかないエマの部屋より、薄暗い……。
部屋の面積の割に窓が少ないし、光を通すまいと深緑色の分厚いカーテンでびっちりと閉じられているせいだ。
研究室といえば実験道具や薬品が並んでいるのを想像するが、その部屋は全く違った。研究室というよりは、古書店や図書館の書庫と言った方がしっくりくる。
それくらい、辺り一面本だらけの部屋なのだ。
二階分はありそうな高い天井に届くように、壁に本棚が張り付いている。それも、一面ではなく部屋の壁全てにだ。それでは足りずに部屋中にドミノ倒しのように本棚が置かれ、加えて迷路のように本がそこかしこに積み上げられている。
ここに人間がいるのかといえば……。
分厚くて古めかしい本に埋もれるように、大きく立派な焦げ茶色の執務机があるのが辛うじて分かる。
その机の上にも本が積み上げられていて、本の壁と化している。壁のほんの少しだけ空いた隙間から、ランプの明かりが漏れていた。
当然ランプは必要だから点けられているわけで、明かりの中にはペンを走らせている、骸骨がいた……。
エマが悲鳴を上げるのを何とか堪えたのは奇跡かもしれない……。骸骨は、動いているのがおかしいくらいに、骸骨だ……。
黒い髪は乾燥しきってぱさぱさで、腰の辺りまで伸び放題で汚らしい。
かろうじて見える首や腕や胸は、噂通り骨に皮が張り付いているだけ。いや、もう骨の形がありありと分かるから、肌色の骨なのかもしれない。
落ち窪み黒いクマで縁取られたオリーブグリーンらしい目は血走っているのに、なぜか力強くギラギラと濁っていて怖い。
肉が削げ落ちた顔も、頬骨等に皮が張り付いている以外の何物でもない。青白い肌の色は死人のようで、唇もカッサカサの青紫色だ。完全に不健康を超えてしまっている。
――これが、ヒューゴ・カロッタ伯爵? 骸骨なんて大袈裟に言っていると思っていたけど、噂って案外馬鹿にできないのね……。
念のためにエマが目で「この人?」と確認すると、ヘンリーは「そうだ」とうなずいた。
この骸骨こそが、ヒューゴ・カロッタ伯爵。エマの書類上の夫で間違いないらしい。
ヒューゴが書き物から顔を上げないため、エマは一時間ほど迷路を探検するように本を見て回るなどして研究室を堪能した。
本棚にあるのは、魔法や魔力や魔道具に関わる本ばかりだ。
魔力のない国で暮らしてきたエマが目にする機会のない本ばかりなのに、なぜか懐かしいと感じる本がいくつもある。
その中でも一番分厚くて、自分の顔の二倍はありそうな茶色い本をエマは手に取った。
「この本って、一般的に出回っているものですか?」
その本が一番懐かしく感じたので何となく聞いてみたのだが、ヘンリーは馬鹿にしたように顔を歪めた。
「この世に一冊しかない希少な魔法の本ですよ。かつていた偉大な魔法使いが書いた本ですから、魔力のない貴方には無意味です! 早く本棚に戻してください」
そう言われてしまえば、興味がなくても中身を見てやりたくなるのが人というものだ。エマはその場で雑にパラパラと本をめくった。ヘンリーの殺気を感じるが、気にしない。
最後まで見たが、もちろんエマには意味のないものだ。だが、最後の何も書かれていない赤茶色のページが妙に気になる。他のページよりも厚めの紙で、背表紙に張り付いている。
その赤茶色の紙を、エマはなぜか剥がしたくて仕方がない。人様の本であることも、貴重な本であることも分かっている。それでもこの一枚だけを、どうしてもどうしても剥がしたい。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ヘンリーの絶叫と共に、紙が剥がれるバリバリという手ごたえが伝わってきた。
赤茶色の紙の裏には黒いペンで署名がしてあった。
まだ幼き子供らしい字で『エマ・エデンバーグ』と……。
ご丁寧に、エデンバーグ家の当主しか使えない刻印まで押されている。
「……私の本、だった……?」
怒りで顔を真っ赤に絶叫していたヘンリーでさえ、反論することができない。エデンバーグ家の当主が、エマの本だと認めた証がそこにあった。
本を持つ手が、本能的に恐怖で震えてしまう。
エマの頭の奥にずっとある黒い靄の中に、突然手を突っ込まれたみたいだ。頭はぐちゃぐちゃだし、やたら胸がざわざわして気持ちが悪い。
触れてはいけないものに触れてしまった心境で、エマは本棚から離れた。
これだけ大騒ぎをしているのに、ヒューゴは相変わらず紙と睨めっこを止めない。
執務机に向かったエマは、ヒューゴの真横に立って手元の紙を覗き込んでいる。
慌てふためいたヘンリーが身振り手振りで「どけ! バカ!」と言っているのは分かるが、エマは思いっきり無視だ。
紙には走り書きで小難しい計算式や魔法陣らしきものが書かれていた。ヒューゴはその計算が上手くいかず、鼻骨に張り付いた皮に皺を寄せて考え込んでいる。
エマは計算式の一部を指さして、「ここの計算が違っているわ」と指摘した。
ヒューゴは顔を上げることなく、その指摘された箇所を凝視して計算をやり直している。
「本当だ! 思った値にならないからおかしいと思っていたところだ!」
嬉しそうにそう言っているが、恐ろしいことにエマの存在に気付いている様子はない。
「子供がするような計算ミスですよ? 字が汚すぎるから、こんなケアレスミスに気付けない。もっと丁寧な字で書いた方が、よっぽど時間短縮で効率的だと思います」
これでやっとヒューゴはエマの存在を意識した。
ポカンと口を開いて、エマを見上げている。
「……君の言う通りだな、気をつけよう。……ところで、君は、誰かな……?」
自分とヘンリー以外は立ち入り禁止の研究室に、見知らぬ人間がいることが理解できない。
ヒューゴはヘンリーに説明を求めるが、先に口を開いたのはエマだった。
「初めまして、伯爵。私は、エマです。実は一週間前に、貴方の妻になりました。私に感謝してくれるのなら、少しでいいから離婚について話し合う時間をください」
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