第4話 兄

 移動中にエマが馬車から降ろされるのは、宿に入る時だけだ。食事も馬車の中で取らされるのだが、その日は無理矢理に外に出た。

 エデンバーグ家は、十五年前のエマのことしか知らない。だから、まさかエマが、言いつけを破って外に出るなんて思ってもみなかっただろう。

 生い立ちや見た目から気弱に思われがちなエマだが、この十五年で随分と変わった。言われっぱなし、やられっぱなしなんて言葉は、とっくの昔に捨て去っている。


 馬に乗るアルビーの足元から、エマは青銀色の瞳を真っ直ぐに見上げた。

「貴方にとって私が人間ではないのは知っています。家畜に何をしても構わないと思っているのでしょうけど、私はこうやって文句も言えるし腹も立てるのです。もうそろそろ状況の説明を願います!」

 エマは冷静に、だが強く主張する。


 周りにいた三人の私兵が、怒りを剥き出しにして剣に手をかける。

 目の端で兵士の行動を捉えたエマは、自分の扱いが十五年前と変わらないのを知って鼻で笑った。


 ――相変わらず、私の命は軽いのね。


「私はこれでも名目上はエデンバーグ家の娘ですよ? 自分が仕える家の娘を手にかけるとは、随分とご立派な教育が行き届いているのですね」

「……下がれ」


 そう言われてムッとしたエマは、あえてアルビーに向って一歩近寄った。

 しかし、アルビーはエマを見ずに、兵士に向かってもう一度「下がれ」と声をかけている。

 それにエマ以上に驚いたのは兵士で、エマを睨みつける兵士の一人から「このような侮辱は許せません!」と声が上がる。


「エマの言ったことに間違いがあるか?」

 間違いがあるわけがない。兵士だって頭では分かっているのだ、だがエマという異色の存在を受け入れられない。


「下がれ」

 腹に重しを落とされたような低い声を受けて、兵士達は渋々下がる。恨みのこもった目でエマを睨みながら……。


 兵士を下がらせたとはいえ、アルビーが馬から降りてエマと向き合うことはない。

 馬上からエマに厳しい視線を向けてくる。


「ヒューゴ・カロッタ伯爵に嫁ぐよう、お前に王命が下った」

「王命? どうして……。いくらでも候補はいるはずなのに、どうして私に……?」

「お前がエデンバーグの娘だからだ」


 まさかのその言葉に、エマの心はスッと冷えた。同時に笑いがこみ上げる。


「家族、使用人、兵士、領民、全員で寄ってたかって蔑んだ私を、今更エデンバーグの娘だと? 誰一人そんなことを思っていないのは、さっき私を切りつけようとした兵士達を見れば分かるはずです」

「……それは……」

 アルビーは下唇を噛んで、悔しそうに顔を歪めた。


 ――兵士から助けてくれたと勘違いしたけど違うわね。王命だから仕方なく、捨てたことも忘れていたゴミを拾いに来たってところね。


「私は死んだと報告すればいいのでは?」

「……はぁ?」

「私がアースコット国に戻れば、十五年前の繰り返しですよ? お互いにそれは避けたいですよね?」

「……何を、繰り返すと?」

 エマに与えた苦痛を覚えていないアルビー態度は、エマは苛立たせた。


 ――人の心を殺しておいて……。傷つけた側は、忘れてしまうのね……。でもね、傷つけられた私は、絶対に忘れられない!


「日々エデンバーグ家からの悪意にさらされていた七歳の私は、見聞きすることを止めて心を閉じた。そこまで追い込んだのは、貴方達エデンバーグの人達です!」

 怒りの抑えられないエマは、人差し指をアルビーに向けて突き出した。


 エマの怒りなんて鼻で笑うかと思ったが、アルビーはうつむいたまま何も言わない。その顔はどこか傷ついているようにも見えて、余計に腹が立つ。


「私がこの国にいる限り、エデンバーグの名を貶める。家族とも思っていない奴のせいで大事な家名が汚されるのは、貴方達だって嫌でしょう? だったら私を死んだことにして、サクロス国に帰して下さい!」

「……王家を、謀る気か?」

「その国王だって、私という忌むべき存在を消し去りたいはずです。大方、国の恥である私が国外に知れるのが怖くなったのでしょう。そうなる前に、国内に押し込めたかっただけでは?」

 アルビーは何か言いかけたが、唇を震わせるだけで何も言わない。

 既に兵士に斬り殺されかけたというのに、今更何を迷うのかエマには理解ができない。


「大体、死んでしまったとなれば、王命だって無効です。エデンバーグ家は要らぬ娘を抹消できるし、私だって家とも国とも縁が切れる! これ以上の名案はありません!

 その後もアルビーとの交渉は平行線のままで、「王命は絶対だ」と言う彼の忠誠心を覆すことはできなかった……。

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