第3話 家族という名の人たち
エマは『星まつり』の最中に引きずるように、馬車に押し込まれた。そのまま今も一人で馬車に揺られている。高位貴族の馬車だから座り心地は悪くはないが、居心地はすこぶる悪い。
『お前の結婚が決まった。貴族としての義務を果たせ』
そう言った人は、エマの兄であるアルビー・エデンバーグだった。
髪と目の色からそうだとは思っていたが、十五年も音信不通であれば分かりようがない。
あの日から既に十日経っているが、エマはアルビーと一言も言葉を交わしていない。それどころか、同行している者とも一言も話していない。
だが、それが不思議なことには思わない。十五年前までのエマにとっては、当たり前だったからだ。
「できれば私のことなんて忘れ去って欲しかったけど、使い道ができてしまったか……」
ため息と共に出てきたのは、諦めの言葉だ。
まさか自分のような人間が、政略結婚の駒にされるなんて思いもしなかった。
エマの生家は、アースコット国の擁壁と呼ばれるエデンバーグ辺境伯家だ。
四カ国の国境である『黒き森』を護る、国内でも有数の名門貴族に他ならない。だが、エマが名ばかりのエデンバーグ家の娘であることを知らぬ者はいない。
――家の後ろ盾がないどころか、憎まれている私を嫁に望むなんて……。一体どんな悲惨な結婚生活が待っているのだか。考えただけでゾッとする……。
アースコット国に、エマの自由はない。十七年前のように、エマはまた諦めるしかないのだ。
目を閉じ、耳を閉じ、心を閉じ、何も感じないように振舞うしかない。
七歳からの二年間、エマはそうやって生きてきた。
あの時に戻るだけだ。
ドスッという鈍い音と共に、握り締めたエマの拳が隣の座席にめり込んだ。
「私は、もう二度と屈しない! 十五年前の怯えるだけの、何も知らない子供じゃない!」
この十五年、自分の力で生きるためにエマは努力を重ねた。
「この窮地を何とか切り抜けて、絶対にサクロス国に帰ってみせる!」
決意を声に出したエマは、両拳に力を込めて気合を入れた。
敵に一泡吹かせるためには、自分の状況と相手を知ることが重要だ。だが、アースコット国という敵地には、仲間が一人もいない。
「結婚が決まった」と衝撃的な言葉を言ってきた兄は、相手についても結婚の経緯についても一言も話してくれない。とはいっても結婚だ。エマ一人でできる話ではない。待っていれば、教えてもらえるだろうか?
「あの人達が私に説明なんて、するはずがない!」
エデンバーグ家にとってエマは、家族どころか人でもない。そんなものに説明なんて不要だ。
となれば、もう強行突破で聞くしかない。
エマは馬車の窓をそっと開けて、真っ黒な馬で横を走る兄を見た。
陽の光を浴びて黄金に輝く髪が揺れている。その後に自分の髪を見てしまったから、余計にくすんだ金色が目についてため息が漏れる。
太陽のように輝く金髪は、エデンバーグ家の象徴の一つだ。唯一エマだけが、小麦のようにくすんだ色をしている。
髪だけではない。瞳の色も家族のように青銀色ではなく、色素を失ったような灰色だ。身体も母の様に豊満ではなく、背が高いだけでひょろりとしている。
金髪に青銀色の目、国防の要所を守る最強軍団らしい屈強な身体。それがエデンバーグだ。エマは全てが、なりそこないだ。
いや、なりそこないだったなら、まだましだ。エマはアースコット国で生きていくのに、一番必要なものを持っていないのだから……。
自分自身から視線をそらすために、エマは外の風景に目をやる。
エマの視界に広がるのは、ところどころに灰色の岩肌が剥き出した荒れ果てた大地。緑豊かで農業が盛んなサクロス国では見なかった光景だ。
この大陸は肥沃な大地で農業が盛んだ。アースコット国以外の三国は……。
理由は分からないが、アースコット国だけが土地がやせていて作物が育たない。食料に関しては、他の三国に頼り切っている。それもこの先どうなるか分からないが……。
アースコット国で唯一の輸出品である鉱山資源が、実はもう底をつきそうなのだ。
せっかく資源があるのだから、それを使って工業に力を入れるべきだった。それをしなかったのは、国民性だ。
アースコーット国民は皆、魔力を持って産まれてくる。
魔力と言っても、物語に出てくるような火や水を操れる大層なものではない。昔は魔法使いのような人も存在したようだが、今はそんな大層な魔力を持つ者はいない。
大層なものではないのに、魔力がなければアースコット国では生活できない。
日常生活の中に当たり前にある魔道具は、魔力を流さないと使えないからだ。魔力がなければ、自分では明かり一つつけられない。
魔力の使用方法としてはその程度だが、アースコット国民は「大陸内で唯一、魔力を持つ」としてプライドが高い。
そうしたプライドの高さや魔道具で楽に生活している国民性が、汚くて辛くて危険な工業の仕事を嫌がった。加えて、見通しも甘かった。資源が尽きた後に金を稼ぐ方法がなくなるなんて、考えもしなかったのだ。
そのお陰で後先を考えられない国、金にならないプライドだけに縋る国、もうすぐ食料を買うお金も尽きる国。アースコット国はそう言われ、他の三国からは見下されている。
気付いていないのは、アースコット国だけだ……。
エマが産まれ、追い出され、そして嫁がされるために連れ戻されたアースコット国という国は、そういう国だ。
ため息をついたエマは、馬車の小さな窓から外を眺める。木も草もない痩せこけひび割れた大地は、まるで魔界への入り口のようだ……。
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