第2話 現実は厳しい
エマが星に願っているというのに、マーサの顔に星空を遮られた。
「エマもジュードからプロポーズされるかもね?」
「ジュード? もちろん、ロンバルト商会のジュードよね?」
「エマと仲の良いジュードは、そのジュードだけでしょう?」
マーサは呆れた顔でそう言うが、エマの思う仲の良さとマーサの思うそれは、どうも大きくかけ離れている。
「商業ギルドの職員である私と、ロンバルト商会のジュードでは、完全に仕事仲間でしょう? 友人としての付き合いはあるけど、この国の貿易を発展させる同志という方がしっくりくるわね」
「……エマにかかると、何でも仕事になってしまうから話が進まない……」
エマ達の住む大陸での結婚適齢期は、二十歳を過ぎた辺りからだ。二十四歳のエマだとちょうど良い年齢ということになるが、エマに結婚する気は微塵もない。いや、少し違う。エマには結婚相手を選ぶ自由がないのだ。
――できることならあの人達には、このまま自分のことを忘れていて欲しい。
九歳でサクロス国に来たエマの心は、死んでいた。
そのエマの心を少しずつ動かしてくれたのが、デイビス家だ。
デイビス家の人達は優しかったが、決してエマを甘やかしはしなかった。自分の力で立ち上がり歩けるように見守ってくれても、過度な手出しはしないでくれた。
デイビス家に出会うまでのエマは、何もできないし何も持たない出来損ないと否定され続けてきた。エマができることを見つけて前に進めたのは、デイビス家の人達が成長を促してくれたからだ。
そのおかげで自分が希望した職に就いて、自分でお金を稼いでいる。自立した生活が送れている今の自分が、エマは大好きだ。
エマが今の生活に満足していることは、マーサだって知っている。それと同じだけ自分を捨てた家族を恐れていることも知っている。
その恐怖心を取り除く方法として、マーサはエマにサクロス国に根付いて欲しいと思っている。今日のジュードのプロポーズを手助けしているのも、それが理由だ。
エマはジュードを同志や戦友としか思っていないけど、ジュードのエマに対する気持ちは本物だ。ジュードの熱い想いがあれば、エマの気持ちだってきっと変わるはずだとマーサは信じていた。
マーサの気持ちに応えるように、混雑する広場の中をすり抜けてジュードがやってきた。
サクロス国の人間らしい茶色の瞳をしたジュードだが、その目が血走っているのが暗闇でも分かる……。
マーサが「ジュード、緊張し過ぎよ! ちょっと落ち着いて!」と心で叫んでいると、エマが「あっ! 星が流れた!」と空を指さした。
チャンスとばかりに益々目を血走らせたジュードが、エマの前で片膝をついた。
「エマ! 大事な話がある! 聞いて欲しい!」
『星まつり』のこの日に大事な話といえば、プロポーズ一択だ。そんなのは恋愛に疎いエマにだって分かる。
それなのにエマの灰色の瞳には、全くジュードが映っていない。
エマの視線はジュードを超えて、その後方に向けられている。
その表情は、殺人鬼でも見てしまったような顔だ。見てはいけない、見たくないものを見てしまったのに、なかったことにはできない。そんな諦めも見て取れる。
興奮状態のジュードも、エマの様子がおかしいことにさすがに気づいた。エマの視線を追って、自分の後ろを振り返った。
身分の差がないサクロス国では、男女共に綿の服が一般的だ。男性は生成りのシャツに、黒か茶色のズボン。女性の方が色は様々だが、少しくすんだ色の動きやすいワンピースが多い。働き者の国らしく、男女共に装飾は余り好まない。
そんな素朴で地味な服が密集している広場の中で、ゴテゴテの刺繍が施されたド派手な衣装がジュードの目に飛び込んできた。
暗闇でも分かる色とりどりの刺繍や光沢のある生地は、いかにも「貴族です!」と主張している。
貴族が存在しないサクロス国では、間違いなく異様な光景だ。
そのド派手な服の貴族が、エマの目の前に立つ。
その人物の顔に、エマは覚えはない。
覚えはないけど、その金髪と青銀色の目は、エマの中に絶望を呼び起こす……。
青銀色の瞳がギョロリと動いた。
自分を蔑む目を見たエマは、十五年前は誰からもこんな目しか向けて来られなかったことを思い出した。
冷たく光る青銀色の瞳をぼんやりと見上げているエマに、貴族は冷たい声を落とす。
「お前の結婚が決まった。貴族としての義務を果たせ」
エマの前に男が立ちはだかったせいで、澄み切った空は視界から消えていた。
それと同じくして、自由が閉ざされてしまったのだとエマは知った……。
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