第8話 片割れ時


 結論から言おう、此花夢は二重人格者だった。一般人の此花夢と殺人鬼のコノハユメ。二つの存在は両極端な想いを抱えていた。例えば民草萌への片思い、とか。

 僕は生ビールのおかわりを頼むと唐揚げをつまむ。揚げたてで美味い。少し熱いくらいだ。少し背中をさする。あの時の刺傷はまだ背中に残っている。まだ一年も経っていないから当たり前だ。傷自体は浅かったし、ナイフで刺されたのだからむしろ傷だけで済んで良かったのかもしれない。

 さて、思案を過去に戻そうか、僕が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。背中がひどく痛んだのをよく覚えている。僕の横には器用にナイフで林檎の皮を剥く集歌の姿があった。

「……皮肉、だろうか」

「皮に果肉は残ってないわよ? そんな不器用じゃないもの」

 皮肉に皮肉を重ねられた。これが元々の彼女の性格だと今なら分かる。その時は分かっていなかったけれど。

「でもひどいんじゃないか? 君もセリヌンティウスの奴も。殺人鬼の前に僕を差し出すなんて」

「そうかしら? 殺人鬼と二人でデートするあんたのが随分と間抜けに思えるけれど」

「それは……あーもう、お手上げだ。降参する。どうしたって犯人が此花夢なんだ? 僕にはさっぱり分からない」

 集歌は剥き終わった裸の林檎をテーブルに置くとストン! とナイフで一刀両断した。僕は背筋が冷えた。彼女はさらに林檎を切り分けていく。僕はそれをまるで自分が切断されていく様を見せられるかのような気分でいた。

「私、武器にするなら大鎌がいいわね。かっこいいもの」

「は?」

「冗談。さて、どうして彼女、此花夢が殺人鬼だったか、いや殺人鬼になったのか? だったかしら」

 僕は無言で首肯する。集歌はやれやれと首を横に振ると林檎の一欠けをナイフの先に刺してこちらに寄越した。

「このまま食えと?」

「私の林檎が食べれないのかしら?」

 冷笑が浮かんでいた。僕はナイフが刺さらないように恐る恐る口に林檎を頬張った。

「甘いな、これ」

「熟してたからね」

 そういうものだろうか。僕は林檎の専門家じゃないから、そこら辺の事はよくわからない。集歌も器用に林檎をナイフで刺して口に放り込む。美味しそうに食べていた。……いやそれ僕へのお見舞いじゃないのか? まあいいけれど。

「さて、と。たまには才女・木島集歌さんの『異聞暴き』をお見せしましょうかね」

「君が才女を自称するとはね、槍でも降るんじゃないか?」

「あんまりにも揶揄されるもんだから逆に受け入れてやろうと思ったのよ。あんた知ってる? 私が書庫の門番とか呼ばれてる事」

「ああ、だから最近は電算室の方に入り浸ってるのか」

 あの事件、科野絵美里嬢バラバラ殺人以来、集歌は居場所を書庫から電算室に移していた。

「まあそれもあるけど……まあいいわ、それより今は此花夢の事でしょ?」

「ああ、彼女はセリヌンティウスが捕まえたのか?」

「まさか、あいつそんな武闘派じゃないわよ」

「ん? じゃあ此花夢は?」

 すると一つの新聞紙をこちらに渡して来た。僕はその一面を見やる。

『日本に切り裂きジャック現る!』

 の文字と共にデカデカと此花夢の顔が印刷されていた。

「おいおい、少年法はどうしたんだ?」

「注目するのそこなの?」

 集歌がとんとん新聞紙のとある箇所を指さした。そこには『此花夢(20)」の文字。

「あいつ鯖を読んでたのか!?」

「鯖を読むというより、その歳まで高校を留年してた事実が驚きよね」

 何から何まで頓智みたいな話だ。年齢を誤魔化すたって限界があるだろうに。しかし彼女、此花夢はそれをやってみせた。表は高校生、裏は殺人鬼という二重生活を。

「しかし……切り裂きジャックね、他にも殺しをやってたのか」

「そう書いてあるでしょ。目の前の新聞くらい読みなさいな……まあだけど、今回の事件は切り裂きジャックってよりジキル博士とハイド氏だと思うけれどね」

「なんだいそれ?」

 すると集歌が顔をしかめた。僕は彼女の逆鱗に触れたらしい事を悟る。

「あんた……はぁ、まあいいわ。有名文学でも読まない人は読まないでしょうし」

 なんとか矛――文字通り手にしたナイフ――を収めてもらったところで話が進む。これ以上、僕も刺傷を増やしたくはない。

「端的に説明するわ、良さを損なってしまうけれどね。それは二重人格者が犯人のミステリーよ」

「二重人格者……? 此花夢もそうだったと?」

「片割れ時って知ってるかしら」

 また急に話題が変わった。片割れ時、かたわれ時、朝でも夜でもない時間の事。それくらいは知っていた。そう答えると、今度は満足気に彼女は頷いた。

「よろしい、そう彼女は片割れていた。半分にね」

「……昼夜で人格が入れ替わっていた?」

「正解」

「なるほど、だから肝試しの日に」

 肝試しと言えばやるのは夜だ。そして僕が襲われたのも夜。彼女の人格が切り替わるスイッチは時間。昼間は一般人で、夜は殺人鬼となるのだ。

「だとすると今までは眠る事で殺人衝動を抑えていたのかもしれないな」

「あら察しがいいのね」

「流石にここまで説明されればね」

「そう、あなたの落ち度はそれにもっと早く気づくべきだったって事」

 流石にヒントが少な過ぎやしないかと思ったが口に出さないで置いた。セリヌンティウスも集歌も僕を買い被っていたのだから。僕は一目で殺人鬼を見分けられるほど聡明ではない。彼らのように才女でもなければ情報屋でもないのだから。

「それにしても、痛い目に遭った」

「勉強代ね」

「……これ保険効くよね?」

「知らない」

 傷害事件が適用される保険に入っていたか頭を悩ませていると、集歌が新聞のとある箇所を指した。

「ん?」

 そこには此花夢によって殺された被害者のリストがあった。それは今まで犯人不明で迷宮入りしていた事件ばかりだった。

「表じゃあくまでも一般人をやっていたとしても、あまりに殺し過ぎだと思わない?」

「ひーふーみーよー、民草萌を含めて五人か。確かに多いな」

「それも全員同学年の女学生」

「怪しまれないのはおかしいって?」

「当たり前でしょ」

 僕は手を顎に当てて考える。無い頭を絞ってみる。一般人と殺人鬼の二重生活を夢想する。到底、凡人には考えの及ばないところにへと考えを押し上げる。

「……いや、むしろ近すぎて疑われなかったのか?」

「ま、そうなるわよね」

 林檎の最後の一欠片を口に放り投げながら、つまらなそうに窓の外を眺める集歌。外は丁度。

「片割れ時、ね」

「……本当だ。僕はどれだけ寝ていたのだろう」

「三日」

「!?」

 ほとんど死にかけじゃないか! どうりで身体が上手く動かせないわけだ……。僕は腕に付けられた点滴を見た後、背中に巻かれた包帯の感触を確かめる。

「いたた……どうやら本当らしいな」

「そんな嘘をついて私になんの得があるのよ」

 そりゃそうだ。というか結局、僕は林檎を一欠片しか食べれてない。本当にお見舞いの品じゃなかったらしい。彼女は気まぐれだ。

「でもどうして此花夢が二重人格者だって分かったんだ?」

「だって香りがしたから」

「なんの」

「血の」

 血の香り、鉄臭い、あの香り。僕だって嗅いだ事くらいある。あるけれど、それにしたってそれを嗅ぎ分ける能力は無いし。染みついていたからと言うならばやっぱり事前に教えてくれてもいいのではないか? そう問うと。

「そんなチャンスあった? セリヌンティウスの奴にも私にも」

「……それは」

 あの守銭奴の事は知らないが、集歌はただバトンを渡されただけなのだから機会などあるはずもないのか。そう言われれば納得してしまいそうになる。

「それに同類の匂いもしたわ」

「……君と此花夢がかい?」

「ええ」

 この時はまだ彼女の本性を知らなかったから、それは虚言のように思えた。ビールの五杯目か六杯目かを注がれる頃には僕はすっかり酩酊して過去と現在の区別がつかなくなっていた。今伏せっているのが、病院のベッドの上なのか、居酒屋の座敷なのか、家の布団の上なのか、それさえも分からないまま眠りに就いた。

 次の日、起きる頃には家にいて、僕の横にはいつも通り、集歌の書置きがあった。

 そう、僕らは同棲していた。

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