第5話 呪われた電算室、問2


 僕はメスを持った暴漢と対峙する。人質を取られた状態。状況は不利だ。しかしこちらにアドバンテージが全くないわけではなかった。


「お前……知ってるぞ」

「なに? このボクを知っているというのか? フフッこのボクも有名になったものだな!」

「ああ、有名だとも、入学早々、実験室のラット全部をバラバラに解体して退学処分を喰らった田中凌司たなかりょうじってのはお前の事だな?」

「そうだとも! ボクの偉業も有名になったものだな!」

「偉業? 異常の間違いだろ」

「なんだと!」


 メスがこちらに向いた時だった。僕は思い切り脚で田中の手からメスを弾き飛ばした。別に武術などは習っていなかったのだが、集歌との仲を縮めていくうちに彼女が習っているという護身術を学ぶ機会があったのだ。まさかこんな形で活かされるとは思わなかったが。


「お前! 神の腕になにを!」

「神と来たか。異常極まれりだな」


 地面に落ちたメスを拾い上げて田中に向ける。


「形勢逆転だ」

「こっちにはまだ人質が――」

「いないみたいだけど?」

「何!? あっ!?」


 そう、もう田中の手の内から絵美里嬢の姿は消えていた。メスを蹴り上げた瞬間、手が緩んだのだろう。抜け出す彼女を僕はハッキリと見ている。


「そのうち学警がやって来るぞ? どうする?」

「くっ! 今に見てろ、お前らも血だまりにしてやる!」

「おい、それはどういう――」


 言い終わる前に田中は走り去って行く。僕はあらぬ疑いをかけられないようにメスをその辺に放り捨てると、さてどうしたものかと思案する。このまま絵美里嬢が呼んで来るであろう学警を待つのも手だが、僕はあいつの言った事が気になっていた。


「集歌のところに行こう」


 そう独り言ちると、僕は書庫に戻ったのだった。


「というわけなんだ」

「田中凌司ねぇ……私も噂くらい聞いたことはあるけれど、そいつが言ったの? 『お前らも血だまりにしてやる!』って?」

「そう」

「ふぅん……じゃあこれは殺人事件って事?」

「さあ、僕はそうは思えないけれど、あいつ元は医学部だろう。血液の入手経路なんていくらでもあったんじゃないかな」


 それに集歌も頷く。


「私も同意見だわ、じゃあ問題はどうやってそんな大量の血液を電算室に運んだか? だけれど」

「それは……でも電算室って人の出入りが元々少ないって聞いたけれど」

「でも、必要条件であって十分条件ではないわ」

「……なんだか頭が痛くなってきたな」

「もう少し勉強なされては?」


 才女・木島集歌に言われてしまっては反論も出来まい。僕は君にはなれないと言ってもそれは甘えでしかない。自分なら自分なりの努力をするべきだ。閑話休題。


「さて、そろそろ異聞暴きといこうじゃないか」


 しかし、それには首を横に振る集歌。

 僕は首を傾げる。


「条件が足りないから?」

「それもある、でも、それだけじゃない」

「じゃあどうして」

「これを『電算室の呪い』として『異聞暴き』するのなら、対応する『呪い』にあたるのは『田中凌司』になるわ。でもそれは違うと思わない?」


 異聞暴き、その異聞に該当するモノは人間ではなく『謎』だ。

 それならば田中凌司はそれに該当しない、となれば――


「今回の『異聞暴き』の『異聞』は『電算室の血だまり』か」

「そういうこと、少しは異聞暴きが分かってきたようね」


 彼女に褒められるのは素直に嬉しかったけれど、電算室の血だまりに関しての情報は。


・現場は電算室。

・致死量の血痕。

・自称犯人は田中凌司。

・死体は無い。


 と言ったところか。

 そして謎といえば。


・致死量の血液の入手方法。

・それの運搬方法。

・電算室への侵入経路。

・犯行動機。


 最後はいらないかもしれないが。

 ここまで条件が揃っていて、答えが見えないというのも珍しい。

 いや推測なら立てられる。

 医学部の備品から血液パックを奪取した田中は電算室に向かい、血液をばら撒く。

 言葉にしてみれば一行で済む事柄。

 しかし、そこに監視の目が無かったか? 目的は何か? 犯行を自称するメリットは? などなど列挙すれば暇がない。

 田中を問い詰めれば解決する事柄ではあるけれど、それはクレバーじゃない。

 それに奴はメスを振りかざす暴漢だ。

 頭を悩ませていると、書庫に人が訪れる。おや? 誰だろうかとそちらを見やると絵美里嬢がそこにいた。


「おや、科野さん?」

「あ、楯好さん、ここに居ましたか、学警の人達が探していましたよ。重要な目撃者だって」

「ああ……後で行くと伝えてくれるかな。悪いけど」

「いえ、私は木島集歌さんに用があるので」

「私?」


 絵美里嬢はずかずかと書庫を進むと集歌の前に出る。


「私は電算室封鎖の取材をしています。その真実を知りたいのです」

「それは中に血だまりがあるからでしょう? そして犯人はおそらく田中凌司」

「分かっています。私は確証が欲しいのです」


 確証、確たる証拠。それは今まさに自分達が欲しいものだ。その旨を告げると。


「異聞暴き、ですか」

「ああ、分かり辛いだろうけれど」

「それ、私も一枚噛んでもいいですか?」


 思わぬ提案だった。新聞部の情報網を借りられるのは正直ありがたい。集歌も同じ考えらしく。


「科野さん、だったかしら、じゃあ早速だけど田中凌司が退学になった事件について知っている事を話してくれる?」

「いいですよ! あれは有名な話でしたからね」


 そうして淡々と、そして活き活きと、矛盾したテンションで彼女は語りだす。猟奇的な狂気を語りだす。


 ある日、医学部の実験用のマウスが全部、一匹残らず、バラバラに解体された状態で発見されるという事件が発生した。

 それを受けた学警は犯人を洗い出しを始める。するとマウスを飼っている部屋に忍び込もうとしている田中凌司の姿を目撃した証言がいくつも上がってきたのだ。

 それにより学警が帝都大学の上層部に通告、田中凌司は退学処分となった。

 それは噂で聞いた情報と差異はない。しかし、田中はそこでこう証言したのだという。

「あれほど完璧な技術を見て、賞賛こそすれ断罪するなど間違っている!」

 と。彼にとってマウスの解体は技術の主張であり、自己顕示であったのだ。

 彼の言う通り、解体されたマウスは綺麗に部位ごとに切断されていたのだという。

 確かに小さなマウスを部位ごとにバラバラにする苦労を考えると、技術力はあるのかもしれない。アプローチが間違っていただけで。


「アプローチか。そういえば集歌も理系とアプローチに違いがあると言っていたけれど」

「実験と実証を重ねるやり方を、私は非効率的だとさえ思っているわ。それが間違っているとは言わないけれど、私はのアプローチは脳内で完璧に理論構築を済ませてから実証するやり方、そりゃあそりが合わないでしょうよ」


 才女らしいすれ違いだと思った。彼女の中に決して理系的考えがないわけではない。必要条件と十分条件の件がそれだ、だけどそれは必要に迫られたからであって普段はしない事なのだろう。でもそれは決して文系的考えとも言えない。いわゆる「木島集歌流メソッド」という事なのだろう。

 一人納得していると集歌が考える素振りをしている。

 なにかと思うと、急にメモ帳を取り出して書き出した。

 それを覗き込むとありとあらゆる「アプローチ」の事が書いてあった。

 そこで合点がいく。

 今回の異聞暴き、僕らはアプローチを間違えていた。そしてこの事件はアプローチが事件の真相に繋がってくる。

 田中凌司が血液を如何にして運搬し電算室にばら撒いたか。

 そのアプローチ。

 僕は無い頭を振り絞って考える。

 偽装の二文字が頭を巡る。


「……田中凌司は、電算室に変装して入っていったんだ。電算室に入る人は限られる。警備にあたる学警か、整備士だ。そして今回は後者、奴は整備士に変装して部品と称して血液を運びだし、少しずつ電算室の死角に溜め込んだ。そして事件当日。一気にそれをばら撒いた。目的はそうだな、マウス解体が彼にとって功績ならば、人間解体はさらなる功績となる。彼はそれを偽装した……そんなシナリオはどうだろうか」


 しばし思案する集歌、しかし、パンッと一つ柏手を打つと。


「楯好秀秋くん、民俗学専攻、異聞暴きの礼儀に則り、此処に『電算室の呪い』その異聞が露わになった事を証明しましょう」


 いつもと文言が違った。何故だろうと思っていると。


「そのために田中凌司に答えを聞きにいくわよ」


 と集歌は言うのだった。


「どうやって?」

「今頃、彼、学警に捕まってるでしょうから」

「なるほど」

「あのぉ……」

 

 そこで絵美里嬢が声を出す。


「その今の話、全部、推測でしかないと思うのですが」

「そうよ、だから証明しに行くの」


 なるほど。これは確かに理系とアプローチは合わないかもな、机上の空論を実証する派閥とは気が合いそうとは思ったけれど。


「じゃあ警備部に?」

「ええ、向かうわよ」


 そうして三人して帝都大学警備部のある棟へと向かった。

 遠くからでも金切り声が聞こえる。田中凌司のものだ。


「どうやらビンゴみたいだね」

「あとは単なる答え合わせ、私が物語の語り手なら割愛してるところね」


 ふと、意識を喫茶「レアルタ」に戻す。

 村山記者がメモを取っている。

 集歌の言葉を受け、田中との直接のやり取りは割愛することにした。

 推測は真実に変わったし、彼の犯行は全て明らかになった。


 死体無き殺人事件、田中が自分を誇示したかったのはそれ。致死量の血液パックを医学部の備品から盗み出し、少しずつ電算室に溜め込み――そう推測通りにね。

 彼は人間を解体したという功績、そう本人が思い込んでいるものを偽装したかったのだ。

 彼なりの医学へのアプローチ。

 それは間違っていたけれど。

 田中が道を間違えなければ、もしかしたら立派な医者になった道もあったのかも。

 

 僕は追加のオレンジジュースを頼むと一旦、村山記者に断りを入れてお手洗いに立った。

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