第3話 探れメロス
セリヌンティウスとは今でも連絡を取っているし、教授の下から消えた事件の前後にも連絡を取り合っていた。さて、なぜ教授の下からセリヌンティウスは消える事が出来たのか。それは、まあ、簡単に言ってしまえば教授の軟禁体制が甘かったとしか言えないんだけれど。
その前に僕は教授にレポートを渡してセリヌンティウスはどこだと問うた。
「知らん、お前と連絡を取ると言って消えた」
と若干、顔を苛立たせながら言った。確かに連絡は取っていた。その時の事を詳細に思い出そうと脳内で状況を再現する。
僕はレポートを纏めるために実家のちゃぶ台でペンを走らせていた。そこに黒電話が鳴る。おもむろに立ち上がり、ゆっくりと歩き受話器を取るとあいつの声が聴こえた。
『ハメやがったな秀秋くんよ』
「人聞きが悪いな。今、お前の分を作っているところだ。それより、なんで軟禁なんて条件受け入れたんだ?」
『それは、まあ、色々思う事があってな。おっとそろそろ時間だ。教授に叱られる前に戻るよ』
ガチャン! ツーツーツー。電話が切れる。僕はなんだったんだと思いながらレポートに戻る。
それからしばらくしてまた電話が鳴った。
「もしもし?」
『よお』
「ん? 『セリヌンティウス』か? どうした、まだレポートなら出来てないが」
『ああ、別に催促じゃないよ、ただの進捗確認さ、それよか秀秋くんよ、教授はなんだってこんな時代錯誤な事しているんだと思う?』
「日頃の行いじゃないか? 積み重ねってやつだ」
『積み重ね、ね、良い言葉だな、さて、そろそろ教授に呼ばれるから戻るよ』
また電話が切れる。本当になんなんだろう。こんなにあいつから頻繁に電話がかかって来ることは滅多にないというか全くなかった。僕は一旦、レポートを進める筆を止めて、電話の前で待ってみたりした。するとすぐに電話がかかってきた。
「もしもし」
『よお』
「んん? 教授から解放でもされたのか?」
『いんや、今も目を光らせているよ、爛々とね』
「お前、今どこにいるんだ?」
『ん~……帝都大学だぜ?』
「ふぅん」
大学内にはいくつか公衆電話があったはずだ。その内の講義室に一番近い公衆電話を想像していた、その時は。また電話が切れる。僕は半ば確信的にすぐに次の電話がかかってくると思っていた。そしてそれは来た。
若干、荒れた息使いが聴こえる。走りでもしたのだろうか?
「どうした?」
『いや、ちょっと流石に焦っているだけさ、教授がお冠でね』
「あの教授はいつもお冠だろうよ」
『違いない、だから早くレポートを完成させてくれ、以上だ』
また電話が切れる。この積み重ねにはなんの意味があるのだろう。その時の僕には分からなかった。
僕はレポート作業に戻ると、さっきよりだいぶ間をあけて、それこそレポートが完成しそうなところで電話がかかって来た。呆れたように受話器を取りに行く。
「しつこいぞ、レポートならもうすぐ終わる」
『ああ、そうか、それなら良かった』
その声は息をだいぶ切らしていた。講義室と公衆電話をシャトルランでもしているのだろうか? 僕は思わずそう問うと。
『ああいや、そうだな、そんな感じだ、俺ってばせっかちだからな』
「お前より気が長いやつを僕は知らないが」
『積み重ねだよ秀秋くんよ、焦らされれば俺だって焦りもする。それだけさ』
「うーん、お前、何か隠してないか? 例えばそうだな、教授に隠れて抜け出そうとしてるとか」
『教授なら今、目の前にいるよ、あまり下手なこと言わないでくれ』
正直、それは嘘だと思った、思ったけれど、そんな嘘を吐く意味が分からなかった。
そしてセリヌンティウスが消える最後の電話の内容は以下だ。
『我慢の限界だ、俺じゃなくて教授のな、俺は大学の講堂に吊し上げられるかもしれない』
そんな言葉と裏腹に、その声音は弾んでいた。おかしい、と思った。この話はあくまで僕視点でしか語れない話だから、その時、彼が何をしていたかの判別はその時は出来なかった。僕はセリヌンティウスと数口やり取りすると通話を切った。
そしてレポートを完成させると急いで教授の下へ向かった――その後は前述の通りだ。
そんな事があったので僕は講義室を後にして集歌の下へ向かった、彼女は大抵、書庫で論文とにらめっこをしていたから、居場所を探すような羽目にはならなかった。
「え? 『セリヌンティウス』の居場所? なにそれ」
「どうやら忽然と姿を消したらしいんだ」
「ふぅん、私にはあんたが『セリヌンティウス』みたいな奴と知り合いだった事のが驚きだけど」
「そんなに優等生に見えた?」
「前言撤回」
そんなやり取りをしている内に、集歌はこんな事を言いだした。
「もしかして、神隠し! だったりして!」
「それはないよ、さっきも連絡があったんだから」
「なにそれつまんない上に行方不明じゃないじゃないの」
「それはそう……なんだけど、教授の監視網から抜けた方法が気になってね」
「ふぅん、詳しく話を聞かせてくれる?」
そうして集歌に事のあらましを全て話した、一部、真実を伏せて、その真実とは勿論、仲を取り持つ云々の事だ。
そうして集歌は前提条件を把握すると、僕を試すように語りだした。
「じゃあ帝都大学民俗学部の伝統に則り『異聞暴き』をしましょうか。この『神隠し』の異聞を真実で以て暴くのよ」
異聞暴き、噂には聞いた事がある。帝都には『偽の異聞』が跋扈している。それを真実で否定する、言わば推理ゲームのようなもの……だけど前々から疑問だった。
「民俗学って伝承を蒐集する学問であって真偽を定かにするものじゃないと思うんだけど?」
「まあね、それには同意するわ。だから『遊び』として流行っているんでしょうし」
「それで? 今回の『セリヌンティウス』の消失は『神隠し』の『異聞』だって? その真実を暴いてみせろっていうのか」
正直、その時の僕は集歌と話せる時間が伸びた事が嬉しくて、面倒くさい探偵の真似事に付き合わされるとは思っていなかった。
「さて、まずは、そうね、なにも分かってないみたいだからヒントをあげましょうか。教授の管理体制の甘さが原因だった。それはそうだと思うわ。だけど具体的に『どこ』が甘かったとあなたは思う?」
「それは……」
しばし思案する。そういえばあいつはやたら電話をかけてきたが、外出はどれほど許されていたのだろう。教授は目の前にいるなどと言っていたが……。
「外出出来る範囲、とか?」
「そうね、概ね合っているわ、じゃあ次に彼自身についてね。『セリヌンティウス』はズバリ何をしていたか」
ズバリという擬音が才女・木島集歌から出たのがなんだかおかしくて笑いそうになったのを必死に堪えて考えを巡らす。あいつ、セリヌンティウスがやりそうな事。というか、今回はもう過ぎた事なのだからやった事だ。それは――
「僕への電話だ」
「その通り、さてここまで考えても結論を導きだせはしないかしら?」
さて、所謂、賽は投げられたというやつだろうか。もう僕が答えを出す段階らしい。さて、と無い頭を振り絞って考えてみる。あいつがした事と言えば電話しかない。裏を返せば電話した事に意味があるのだろう。だろうだろうと言われても、それが何だというのだ。あいつが明らかに嘘を吐いていたというのは分かる。明らかに電話越しに何かをしていたのも。それが何かまでは見ていないのだから分かりようがないじゃないか。そう諦めかけた時だった。ふと、自分が集めていた「街の噂」について思い出す。課題として出されていたあれだ。内容じゃなくてその時の事。この課題は積み重ねが大事だった、時と場所で傾向が変わる噂を自分の足で探すのが肝になるフィールドワーク。あいつも電話越しに何か足を使っていた、息が荒くなっていたから間違いない。公衆電話と講義室をまるで駆け足で移動してきたかのように。そこで閃いた。あいつもソレを積み重ねていたとしたら?
「――あいつは、そうだな、毎回毎回、手を変え品を変え、別々の公衆電話を使っていたんじゃないか? そう、それも、講義室からどんどんと遠ざかっていくように、だ。……どうだろうかこれが僕なりの真実、『異聞暴き』だ」
僕が答えを吐き出すと、才女、木島集歌が笑顔と共に拍手する。それは僕の推理の証明か、はたまた――
「良い答えね、楯好くん? そうね、まずは……『異聞暴き』の礼に則り、宣言します。此処にこうして偽の異聞『神隠し』は暴かれ、真実が露わになった、と。お見事よ」
僕は長い長い溜め息を吐く。安堵のそれだ。
「毎回、俺と教授に詭弁を弄していたわけだ。教授にはそこの公衆電話にいる、と。そして僕には目の前に教授がいる、と」
「でしょうね、その結果、彼は見事、教授とあんたの監視網から逃げきったわけ」
「そいつは一杯食わされたな」
狐にでもつままれた気分だった。嘘を吐いている事が分かっても、それが何かわからなくてもやもやしていたが、それがまさか、逃亡中だったなんて思うまい。
「もしかして『セリヌンティウス』の奴が、律義にあんたを待つような男だとでも思ってた?」
「どうだろうな、状況的には走れメロスみたいだなとは思っていたけれど」
「あはは、じゃああんたとあいつが最後殴り合って終わる大団円を予想してたわけだ」
「疑っていた邪知暴虐な教授も感涙してね」
二人して笑いあった。それ以来、集歌とは『異聞暴き』をちょくちょくやるようになった。それだけ仲が縮まったんだと、その時は思っていたな。
そこで村山記者にとある事を問われた。
え? ああ、そうですよ。情報屋の彼を『セリヌンティウス』なんて呼ぶのは、その出来事がきっかけです。人質だった彼に皮肉を込めて、ね。
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