第16話 金の鷹
ゴブリン討伐隊に参加したハルオは、ロクスたちとともに森へ入り、
激闘の末にホブ・ゴブリンを討ち取った。
だが、息つく間もなく――新たな脅威が現れる。
異形へと変貌したゴブリン・リーダー。
ハルオはその中で己の“謎の力”を暴走させてしまう。
一度は撃退したかに見えたが――戦いは、まだ終わっていなかった。
ロクスが剣を構えたまま、ゆっくりと後ずさる。
風が止み、森の空気が凍りついたように静まり返った。
焦げた匂い。
焼け落ちた木々の間から、“それ”がゆっくりと姿を現した。
「……まだ、生きてやがるのか……」
ドルクがかすれた声で呟く。
光に照らされたその姿は、もはや“ゴブリン”とは呼べなかった。
片腕を失いながらも立ち上がり、赤い眼を爛々と輝かせる。
裂けた皮膚の下では黒い筋が蠢き、まるで内側から何かが“這い出よう”としていた。
「離れろ!」
リーナが咄嗟に詠唱に入る。
足元に魔法が展開し、空気が震えた。
だが――遅かった。
「グルアアアアアアッ!!!」
咆哮とも悲鳴ともつかぬ声が森を貫く。
赤い光が爆ぜ、地面に黒い波紋が広がった。
草木が一瞬で枯れ、焦げた臭いが鼻を突く。
ロクスが叫ぶ。
「全員、後退しろッ! 瘴気だ!」
(瘴気……?)
目の前の景色が歪み、黒い靄が立ち上がる。
その中心で、ゴブリン・リーダーの体が異様に膨れ上がっていった。
皮膚が裂け、血ではなく闇のような液体が流れ出す。
骨が軋み、筋肉が不気味な音を立てて肥大していく。
「……あれは、“変質”してる……!」
リーナの声が震えた。
「魔素が逆流して……暴走体になりかけてるわ!」
(暴走体……?)
理解する間もなく、黒い靄がこちらに押し寄せた。
咄嗟に腕で顔を庇う。
冷たい。魂そのものを掴まれるような悪寒。
「ぐっ……!」
視界が暗転し、息が詰まる。
「ハルオ!」
ロクスの声が遠くで響く。
「ハルオ! 大丈夫か!」
二度目の呼びかけで、かろうじて意識が戻る。
「……はい、なんとか……」
「全員後退! 一旦下がるぞ、撤退だ!」
ロクスの怒号に反応し、全員が一斉に走り出した。
湿った地面を蹴り、倒木を飛び越える。
背後では、暴走したゴブリン・リーダーの咆哮が森を震わせていた。
「ユン、後衛を頼む! 追撃が来るぞ!」
「わかってるっ!」
ユンが走りながら弓を構え、後方へ矢を放つ。
放たれた矢は、迫る影を正確に撃ち抜いた。
「リーナ、結界を!」
「もう展開してる!」
青白い光が広がり、後方に薄い膜が形成される。
突っ込んできたゴブリンが結界に弾かれ、黒煙を上げて崩れた。
「よし、いける! このまま森を抜けろ!」
ロクスの声が響く。
ハルオは息を荒げながらも仲間の背中を追った。
全身の力が抜けそうになるが、足を止めるわけにはいかない。
――今、立ち止まれば死ぬ。
体が本能的にそう告げていた。
やがて木々の密度が薄くなり、朝の光が差し込む。
森の出口が見えた。
「もう少しだ、走れ!」
ロクスの怒鳴り声に押され、最後の力を振り絞る。
全員が森を抜けた瞬間、背後で轟音が響いた。
ロクスが安堵の息を漏らす。
「……やっとお出ましか。」
リーナが小さく笑う。
「Aランク様は遅いのよ。」
先ほどの爆音は、Aランク冒険者の魔法の音らしい。
ロクスが空を見上げる。
「……ったく、ギリギリだったな。」
リーナも杖を下ろし、張り詰めていた魔力を解いた。
その表情には、安堵と緊張が入り混じっている。
森の奥では再び轟音と閃光が続き、
赤黒い瘴気が吹き飛び、木々がなぎ倒されていくのが見えた。
「遅れて悪かったな、ロクス!」
上空から声が降ってくる。
漆黒のローブを纏った長身の男が杖を携えて立っていた。
その瞳が冷たく森の奥を見据えている。
「やっと来やがったか、カイル。」
ロクスが苦笑する。
「お前があと一分遅けりゃ、全滅してたぞ。」
「それでも生きてるんだから充分だろう。」
カイル――Aランクの魔導剣士は静かに笑い、森を見渡した。
「しかし、これはひどいな。」
リーナが一歩進み出て報告する。
「ゴブリン・リーダーが“変質”して暴走体になりました。」
「……なるほど。」
カイルの視線が森の奥へ向かう。杖の先に光が宿った。
その背後から、金色の甲冑をまとった男とマント姿の女が現れた。
Aランクパーティー《金の鷹》。
ロクスは息を吐き、剣を鞘に納める。
「……助かった。こっちはもう限界だ。後は頼む。」
金の鎧の男――アーサーが短く頷く。
「すぐに片をつけよう。この瘴気は異常だ、長居はできん。」
その隣でマントの女――リュシアが軽く笑った。
「まったく、朝から汚い相手ね。髪が焦げたら責任取ってよ?」
ロクスが肩をすくめる。
「悪ぃな。派手なのはお好きだろ?」
「当然。派手じゃなきゃAランクは務まらないの。」
リュシアが指を鳴らすと、黄金の光が空気に走った。
再び森の奥で黒煙が爆ぜ、地が揺れる。
暴走したゴブリン・リーダーが咆哮を上げながら姿を現した。
その体はさらに膨れ上がり、全身を黒い筋が覆っていた。
「もう“魔物”の域を超えてるな……」
ロクスが低く呟く。
だが金の鷹の二人は怯まなかった。
「リュシア、上から。」
「了解――《フレア・ロック》!」
黄金の光が展開し、無数の火弾が夜空へ舞い上がる。
次の瞬間、轟音とともに炎の雨が降り注いだ。
森の一角が炎に包まれ、瘴気が悲鳴を上げるように歪む。
そこへアーサーが突撃した。
「――《聖断・グレイヴ》!」
剣を地に叩きつけた瞬間、眩い閃光が走る。
地面を割る光の刃が、暴走体を真っ二つに切り裂いた。
赤黒い体液が蒸発し、瘴気が霧散する。
「……終わったか。」
ロクスが呟くと、アーサーは静かに剣を納めた。
「終わりだ。瘴気の核も断った。――だが、妙だな。」
「妙?」
リーナが眉をひそめる。
カイルは切り裂かれた地面を見下ろした。
「普通なら瘴気は完全に消える。だが……まだ、どこかで“動いている”。」
リーナが息を呑む。
「まさか、核が二つ……?」
「わからん。ただ、この森の異常はゴブリンだけじゃない。」
アーサーの金の瞳が、さらに奥の闇を見据えていた。
ロクスは仲間を見回す。
皆、疲労の色が濃い。
特にハルオは、立っているのがやっとだった。
「……わかった。後は任せる。俺たちは街へ戻る。」
アーサーが頷く。
「ギルドに報告しろ。もうすぐ終わるとな。」
ロクスたちは深く礼をしてその場を後にした。
森を抜ける途中、ハルオがぽつりと呟いた。
「……すごい、あの人たち。同じ冒険者とは思えない。」
ロクスが笑う。
「あれがAランクの力ってやつだ。俺らが束になっても敵わねぇ。」
リーナが振り返り、静かに言った。
「でも――あなたが生きて帰れたこと。それが一番すごいのよ。」
ハルオは小さく頷いた。
まだ自分の力の正体も、何が起こったのかもわからない。
だが、あの森で見たものが“偶然”ではないことだけは確かだった。
空はすでに明るく、風が焦げた森の匂いを運んでいた。
リーナが立ち止まり、振り返る。
森の奥――炎の煙の向こうで、金色の閃光がもう一度だけ瞬いた。
「……Aランクでも、楽な戦いじゃないみたいね。」
ロクスが肩をすくめる。
「だからこそ、俺たちはまだ強くならなきゃな。」
ハルオは黙ってその背中を見つめ、拳を握る。
――次は、自分の手で守る力を手に入れる。
その決意だけが、焼けた森の匂いの中で静かに灯っていた。
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