第15話 緊急討伐依頼
ギルドへ戻ると、掲示板の前には人だかりができていた。
冒険者たちがざわつき、貼られた紙を指さして何かを話している。
近づいてみると、そこには新しい依頼書が貼られていた。
見慣れた“注意喚起”ではない。赤い封蝋が押された正式通達。
【緊急討伐依頼 発令】
――対象:ゴブリン
――推定個体数:百以上
――上位種(リーダー級)を含む可能性あり
――報酬:参加報酬 銀貨三枚
ゴブリン一匹討伐につき銀貨一枚
上位種の場合は銀貨五十枚以上
(……来たな。)
ざわめきの中、眉をしかめる者、顔を輝かせる者。
恐怖と興奮が入り混じった空気が、ギルド全体を覆っていた。
いつもの喧騒の奥に、“戦場の匂い”が混じっている。
カウンターの奥では、受付嬢が真剣な表情で書類を整理していた。
俺に気づくと、一瞬だけ表情を緩め――すぐに引き締め直す。
「ハルオさん。……聞いてしまいましたか。」
「ええ。ロクスさんからも少し。」
「そうですか。
正式な討伐隊は明日の朝、ギルド前に集合予定です。」
その声には緊張が滲んでいた。
どうやら、ただの依頼では済まないらしい。
「新人は……参加できるんですか?」
「希望すれば。ただし“自己責任”になります。
それでも行く覚悟があるなら、登録しておきますか?」
少しの沈黙。
理屈では危険だとわかっていた。
それでも、胸の奥で何かが熱くうねる。
「……行きます。」
受付嬢は静かにうなずき、小さな鉄札を差し出した。
裏には《討伐隊・第二班》の刻印。
「明日、夜明けに東門集合です。」
「わかりました。」
鉄札を握りしめながらギルドを出る。
空はすでに茜に染まり、露店の片づける音が遠くで響いていた。
街全体が、嵐の前の静けさに包まれているようだった。
(明日から――本当の意味で、“冒険者”になる。)
革鎧を買わなかったことを少しだけ後悔しつつ、
俺は剣の柄を握り、夜風の中を歩き出した。
その背後――街の外れの森で、
鈍い赤光が、またひときわ強くきらめいた。
翌朝
まだ陽が昇りきらぬうちに、ギルド前の広場にはすでに多くの冒険者が集まっていた。
鎧の擦れる音、刃を確かめる金属音、背負う荷の軋む音。
そのすべてが不思議と静寂を引き立てている。
(これが……討伐隊か。)
昨日渡された鉄札を握りしめ、第二班の集合場所へ向かう。
胸元の札には確かに刻まれている。【第二班】の印。
そこにはすでに――ロクスとリーナの姿があった。
ほかに、大柄な男と小柄な少女。二人も同じ班らしい。
「第二班を仕切ることになったロクスだ。」
「補佐のリーナよ。」
リーナは短く一礼し、冷静な声で続ける。
「今回の目標は森の北側にあるゴブリンの巣の殲滅。
周囲には見張りの群れがいくつも確認されている。
まずはそれらを各班で分担して潰す。」
ロクスが腕を組み、全体を見渡す。
「俺たち第二班は北西ルートから森に入る。道は狭く、足場も悪い。
――新人もいる。勝手な行動は禁止だ。リーナの指示に従え。」
視線がこちらに向く。
一瞬、周囲の視線も集まる。
だが、逃げる理由はもうなかった。
「了解しました。」
できる限り落ち着いた声で答えると、ロクスが口の端を上げた。
「いい返事だ。死ぬなよ。」
軽口のようでいて、その声には本物の緊張が滲んでいた。
討伐隊は夜明けとともに出発した。
まだ薄暗い森の中を進む。
湿った土の匂いと朝靄が漂い、鳥の声が次第に消えていく。
「お前、新人か?」
同じ班の大柄な男が話しかけてきた。
「はい。ハルオっていいます。Fランクで登録したばかりです。」
「そうか。俺はドルク、Dランクだ。こいつもDランクだ」
「こいつじゃない、ユン。ちゃんと名前ある。」
ハルオは思わず吹き出した。
小柄な少女――ユンは頬をふくらませ、腕を組んでいる。
年の頃は十五、六。背には弓、腰に短剣。
可愛らしい見た目に似合わず、目つきは鋭く、気配が研ぎ澄まされていた。
「はいはい、悪かったよ。こいつ――じゃなくてユンは弓の腕が確かだ。
前衛が押さえてる間に後ろから仕留めてくれる。」
「じゃあ、前衛はロクスさんとドルクさんで、リーナさんとユンさんが後衛ですか?」
「いや、ドルクとリーナが中間。前衛は俺とお前だ。」
ロクスが振り向きざまに割り込んできた。
「……俺が前衛?」
「昨日の話をもう忘れたのか。魔力を扱えるなら、ゴブリン程度は十分相手になる。」
「……了解です。」
リーナがわずかに微笑む。
「緊張してるわね。でも悪くない。呼吸を乱さなければ、それだけで生存率が上がる。」
「はい。」
森の空気が重く変わり始めた。
腐臭――血と死体の匂い。
「ここから先が巣の縄張りね。」
リーナが手を上げ、全員が静止する。
木々の影が動いた。
黄色い目、緑の皮膚。――ゴブリン。
ロクスが手で合図を送り、低く囁く。
「第二班、右側を制圧する。三、二、一……行け!」
地面を蹴る。
胸の奥で魔力が熱を帯び、体の内側を駆け抜ける。
短剣を握る手に力を込め、木陰から飛び出した。
「ギィッ!?」
最前のゴブリンの喉を裂く。血飛沫が頬をかすめた。
(――見える。)
研ぎ澄まされた魔力の流れ。相手の動きがはっきり読める。
背後の気配。振り向きざまに逆手で斬り払う。
倒れた先で、ロクスが二匹まとめて叩き斬っていた。
「悪くないじゃねぇか、ハルオ!」
「ありがとうございます!」
矢が飛び、ユンの放った一撃がゴブリンの眉間を正確に射抜く。
「外すわけないでしょ。」
弓を引きながら、少女が得意げに鼻を鳴らす。
「調子に乗るな、ユン。まだ奥に反応がある。」
リーナの声が鋭く響いた。
「数……多いな。」
ロクスが低く呟く。
「五……いや、十以上。」
リーナの感知の言葉と同時に、奥の茂みが大きく揺れる。
「グルゥゥァァァッ!!」
重い咆哮。
普通のゴブリンより一回り大きな影。
腕には鉄棍、背には骨の装飾。
「ホブゴブリン……!」
ドルクの声が震えた。
「前衛、下がらないで! 私が援護する!」
リーナが杖を構える。
ロクスが短く笑う。
「面白ぇ……一丁見せてもらうか、ハルオ!」
(……やるしかない。)
胸の奥に再び熱が走る。
呼吸を整え、右腕から刃へ魔力を流す。
短剣が淡く青く光を帯びた。
「来いッ!」
地面を蹴ると同時に、ホブゴブリンの棍棒が振り下ろされた。
轟音。衝撃波が地を裂く。
その隙を滑り込み、刃を突き立てる。
硬い筋肉を貫くが――浅い。
「まだ浅い!」
リーナの魔法が閃光のように走り、側頭部を裂いた。
巨体がよろめく。
「今だ、ハルオ!」
ロクスの声。
全身の魔力を一点に叩き込む。
視界が白く染まる。
「――はぁあああッ!」
短剣が閃き、首筋を断ち切る。
咆哮が途切れ、巨体が沈んだ。
ゴブリンたちとの戦いで怒号が響く森に風の音が響く。
「……やったのか?」
ドルクが呆然と呟く。
「仕留めたな。」
ロクスが笑い、リーナが息を吐く。
「悪くないわ、ハルオ。」
「……ありがとうございます。」
安堵の一瞬――だが、すぐに空気が変わった。
リーナの表情が凍る。
「違う。まだ……終わってない。」
その直後、森の奥から次々にゴブリンが押し寄せる。
「油断するな、けちらずぞ」
ロクスの剣が唸りを上げ、三匹のゴブリンが同時に斬り伏せられた。
血が飛び散り、鉄の匂いが濃くなる。
「くそっ、数が多すぎる!」
ドルクが大盾でゴブリンたちの攻撃を受け止めながら叫んだ。
鈍い衝撃音が響き、彼の足元の土が抉れる。
「ユン、援護射撃を!」
リーナの声に、少女は素早く弓を引いた。
矢が次々と飛び、突進してくるゴブリンの目と喉を正確に貫く。
「ハルオ、前を任せる!」
ロクスの声が飛ぶ。
「了解!」
短剣を構え直し、再び前に出る。
魔力を練る感覚はもう掴めていた。
流れを意識し、手の中の刃に熱を集中させる。
――昨日とは違う。
今の自分には“戦い”が見えている。
「ギャアアッ!」
一匹が飛びかかる。
横に跳び、逆手で斬り上げる。
刃が顎を裂き、血飛沫が霧のように舞った。
リーナの魔法が閃光のように森を照らす。
雷の光。
地面を這うように走る稲妻がゴブリンを焼いた。
「数を減らした! このまま押し切る!」
ロクスが吠える。
だが――その時だった。
地の底から響くような低音。
森全体が震える。
鳥が一斉に飛び立ち、木々の葉がざわめいた。
「……なに、これ。」
ユンの声が震える。
次の瞬間、奥の闇が裂けた。
木々がなぎ倒され、巨大な影が姿を現す。
赤黒く光る瞳。
灰色の肌に、人の倍はある巨体。
それは、まるで人と獣を掛け合わせたような異形だった。
「ゴブリン・リーダー……!」
リーナがかすれた声で言った。
ロクスが舌打ちする。
「厄介なのが出やがった……っ!」
「リーナ、援護を! ドルクは前衛左! ユン、距離を取れ!」
矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
ハルオは息を整え、短剣を握り直した。
足がすくむほどの威圧感。
空気そのものが重い。
だが――逃げる気はなかった。
ゴブリン・リーダーが棍棒を振り上げた。
地面が砕け、衝撃が爆風のように広がる。
「くそっ!」
ロクスが盾代わりに剣を構えるが、後ろに弾き飛ばされた。
「ロクスさん!」
叫ぶ声と同時に、ハルオは地を蹴った。
胸の奥で魔力が暴れる。
痛いほど熱い――でも、止まらない。
「うおおおおおっ!」
短剣が蒼白い光を放ち、一直線に走る。
ゴブリン・リーダーの腕をかすめ、血が飛び散った。
だがその瞬間、身体の奥が“焼けるように熱く”なった。
(……なに、だ……これ……!?)
視界がぐにゃりと歪み、光が滲む。
魔力が勝手に溢れ出している――制御できない。
リーナが叫ぶ。
「ハルオ、止めなさい! 魔力が暴走してる!」
だが、もう止まらなかった。
身体の奥で、何かが“開く”感覚。
全身を駆け巡る青白い光が、一気に膨張する。
「ハルオォォォ!」
ロクスの声が聞こえた瞬間、世界が爆ぜた。
轟音と閃光。
爆風が森を薙ぎ、木々がなぎ倒れる。
――そして、あたり一面、白い光に包まれた。
静寂。
その中心で、ハルオは膝をつき、震える手を見つめていた。
短剣は砕け、地面には焦げ跡が広がっている。
(俺が……やったのか?)
リーナが駆け寄り、息を呑む。
「……信じられない。今のは、ただの魔力じゃない……」
ロクスも傷だらけのまま立ち上がり、低く呟いた。
「ハルオ……お前、何者だ?」
森の奥では、なおも燃え残る木々の影の中で、
赤い眼が、ひとつだけ――まだ、光っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます