9. 花園
「こっち……次はこっち!」
娘を手掛かりに、いくつもの乗合馬車を乗り換えて私たちは赤い糸が導く先へと進んでいった。
そしてある地点で、私たちは馬車から降りた。果てしなく続く、味気ない黄土色に染まった荒野が眼前に広がる。
早朝に出発したのにも関わらず、気がつけば夕刻に差し掛かりそうだった。頭上に悠然と構える碧天が、次第に朱に染まっていく。
「ここは、あの戦争の跡地だわ」
周囲に人の気配はせず、戦時下で利用されていた遺跡が所々に残っていた。
おそらく、赤い糸の終点はこの近くにあるはず。焦る気持ちを必死に落ち着かせて、私は娘に話しかけた。
「エリィ、赤い糸はどこに繋がっているの?」
「えーーとね、こっち!」
そしてエリィは、トコトコと一人で進んで行った。いつもとは違う光景に、高揚しているのだろう。
けれど私は、娘を父の最期の場所に行かせようとしている。
それしか方法がないのは分かっているけれど、ズキッと心が痛むのを感じた。
いや、今まで散々娘に八つ当たりしておいて何様のつもりなんだろうか。
今から夫の最期に会いに行くというのに、こんな惨めな姿見せられるわけがなかった。
「何してるのお母さん。こっちこっちー!」
エリィは底抜けの明るさで、私を呼ぶ。
気が晴れないまま、私は黙ってエリィへとついて行った。
そして歩くこと数十分。
俯きがちに歩いていた私に、ふと懐かしい香りが鼻腔を通り抜けていった。
「これは、白百合の香り!」
無機質な荒野の中を歩いていた私は、ありえないものを見たかのようにパッと顔を上げる。
そこには、一面を純白に染め上げた白百合の花園が確かにあった。
涼しい北風が、白百合をゆらゆらと揺らしている。夕焼けの暖かな陽射しが、真っ白の世界を茜色に染め上げる。
絶景だった。寂寥な荒野の中で異質に存在している、絶景だったのだ。
その時私の瞼に浮かんだのは籠いっぱいの白百合を携えた、夫の姿だった。
足に力が入らなくなり、ストンと、その場に崩れ落ちる。
涙は止まることを知らず、声を押し殺すこともままならない。
「花束をくれるって、言っていたじゃない」
どんな気持ちで、夫は手紙にその言葉を残したのだろうか。どうしようもない無念さに、押しつぶされそうになる。
「お母さん……」
エリィは、私の側で静かに頭を下げていた。私の裾を掴む小さなその手は、小刻みに震えている。
「赤い線、ここで消えてる。お母さん、連れて行けなくなっちゃった。エリィは悪い子?」
その言葉を聞いて私は衝撃を受けた。悪い子。私はずっと、娘にそんな心配をさせていたのだろうか。
「違う、違うのエリィ。私はエリィを愛してる。だから、そんな顔しないで。ごめんなさい、私が不甲斐ないばかりに、ずっとあなたを不安にさせてしまって」
夫、夫って、何を馬鹿げたことを考えていたのか。
そんな暇があるなら、今を生きてるエリィを幸せにするべきなのに。
亡き夫に縋って、私はいつまで娘を不安にさせておくつもりだ。
変わるんだ。今更だとしても、きっとそれは夫の宿願でもあるから。
「ねぇエリィ、もう一度お母さんにやり直しのチャンスをくれない? 今度こそはあなたを幸せにしてみせるから」
恥ずかしさはあるけれど、私は娘から目を逸らさずに伝えることができた。
私の言葉をじっと聞いていたエリィは、キョトンとした表情を浮かべていた。
「お母さんはお母さんだよ? だってエリィはお母さんの娘なんだもん!」
自信満々に言う娘に、私は声を出して笑っていた。それに釣られるように、娘も真似して大声を出して笑い始める。
娘は、私が思っていたよりもずっとずっと、強かな子だった。
清閑な白百合の花園で、幸せに満ちた二つの笑い声が、辺りに響き渡った。
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