第196話 そろそろ一年が経つ④

 その日、唐突にベリルは「ちょっと来て」と俺を呼んだ。

 どこへ連れてかれるのやら。こっちはテメェが手ぇつけまくった案件を抱えて忙しいっつうのに。


 ついたのはチビたちんとこ。

 なにやら言いたげな年長のチビから事情を聞いてみれば、


「つまりは仕事がしてぇと」

「はい。アンマのしごと、たのしくてスキです。だからボク……」


 そっちに専念してぇんだそうだ。


「ベリル。ダメなんかい?」

「ダメダメありえねーし」

「なんで?」

「まだ字もちょっとしか書けないし、算数もぜんぜんだもーん。そんなんじゃ将来やってけないって〜」


 そうでもねぇと思うが、知っていた方がいろいろと有利なのも確かだ。


「だけどオメェ、本人たちがやりたいことを優先してやらせてくって言ってたじゃねぇか」

「それはそれ。あーしもあんまし勉強得意じゃないけど、やっぱし最低限はやっとかないとヤバいってー」


 このままだと平行線だな。

 とはいえ無理強いはしたくないってことか。こんなもん俺にどうしろっつうんだ?


「ちゃんと必要だと説明できねぇんなら、好きにさせたらいいだろう」

「ん! そっかそっか勉強の必要性ねっ。ふむふむ。父ちゃんナーイス。でもそれは置いといてー、」


 しまった。余計なこと言っちまったらしい。またなんぞ面倒なこと思いついたみてぇだ。


「じゃーさー、こーしよう!」


 とベリルが切り出したのは、


「あーしよりも上手に丸描けたら、アンタの言い分のんであげる」


 ワケのわからん試験だった。



 そして翌日、朝——


「ちゃーんと練習してきたん?」

「うん。こあくまセンセーより、じょうずにマルかけたらいいんだよね?」

「そーそー。んじゃ、描いてみー」


 かなりキレイな丸が描けてる。こりゃあ年長のチビが勝っちまうんじゃねぇか?


 と思ったんだが…………汚ねぇ。円のカタチじゃなく、手段の話な。

 ベリルのやつ紐で括った二本の棒を使い、まったく乱れのねぇ丸を描きやがったんだ。


「ふひひひっ。どーよ?」

「え、ズル……」

「ぜんぜんズルくなーい。こーやったらキレイな丸描けるって知らないアンタが悪いし」


 そりゃあそうだが……。なんかペテンくせぇ。


 きっと年長のチビは、昨日一日かけて必死に練習したんだろう。

 お荷物にならんと示すために、年少のチビたちのためにも少しでも役に立てるとこを見せたかったんだ。

 そこらへんはベリルもわかってるだろうに。ホント容赦ねぇな、コイツは。


「アンタが上手にマッサージできるよーになっても、おカネの計算とかできないとゴマカされたときとか気づけないっしょ。だから足し算引き算は大事。それとさーあ、言葉たくさん覚えて字も書けないとマッサージ屋さんできなくね?」

「……サンスウのことはわかった。でも、モジはなんで?」

「カルテっつーのー? 前にどこらへんが凝ってたとかメモらなきゃでしょ。プロになったら何人も患者さん診るんだし『こーゆーふーに身体を気にしてたー』とか、聞いたこと話したこと書いとかなきゃ忘れちゃうじゃーん」


 なるほど。同じ仕事でも記録をつけられんのとそうじゃねぇので、エレェ違いだ。


 とはいえ年長のチビは、丸をキレイに描くことが按摩の腕に関係ねぇのをわかったうえで、真剣に取り組んだのは明らか。

 だってのにインチキみてぇなマネされて、必死こいたのがムダになっちまった。

 言われたことは理解できても、納得できるかは別の話だ。そういうツラしてる。気持ちはわからなくもねぇ。


 おいベリル、ここで終わりなら無理やり言いつけ守らせんのと変わらんぞ。


「てかアンタ、自分の名前書いてみー」


 また唐突だな。と呆れつつも様子見してたら、年長のチビは『エド』とちゃんと読める字を書いた。


「前より上手になってんじゃーん」

「そ、そうかな?」


 エドは褒められて満更でもない様子。

 なるほど。そういう話でまとめちまうつもりか。だったらここは俺も「ほう、たった一日で見違えたぜ」と乗っておいてやろう。


「まだまだ伸びしろ残してるってんなら、ここで勉強やめちまうのは勿体ねぇぞ」

「そゆこと〜」


 これにて一件落着。

 ——ならよかったんだが、ここでベリルはさっきの思いつき放り込んでくる。


「つーわけでー、社会科見学をしまーす」


 うっわっ。こりゃあ響きからして多くの者らの手を煩わせてそうだ。



 ベリルの言う『社会科見学』とやらは、平たく言やぁ働いてる者の話を聞かせてやり、少しばかり手ぇ動かして仕事の体験をさせるっつう趣旨らしい。

 本式だと仕事場に伺うそうだが、あちこち引率すんのも大変だってんで、こういうカタチにしたんだと。


 で、最初の犠牲者——もとい、講師はワル商人ことノウロだ。

 報告に顔を見せたら説明なしでベリルによって会議室へ連れていかれ、チビたちの前に立たされた。気の毒に。


 だがコイツは弁が立つ。

 スラスラと淀みなく一般論を述べていった。


「つまりですね、商売とは物を行き来させることを基本としていまして——」

「ワル商人、長いし。あとツマンナイ」

「え、ええー……」


 さっそくベリルのムチャぶりが炸裂。


「つーかさー、商人って仕事のなにが楽しーの? そこらへんをひと言で、どーぞ」

「お客様の笑顔——」

「そーゆーのいらないから。もっと生の声プリーズ」

「…………。小悪魔様、なにを言っても怒らないでくださいね」


 ノウロは断りを入れ「子供に聞かせるような話ではないのですが」とボヤキを挟んだあと、ぶっちゃけた。


「ボロ儲けしたときですかね。商売敵を出し抜き、物の価値もわからない無知な顧客にうんと高い利益を載せた金額で売りつけられたときなど、もう堪りません」

「はいはーい、みんなー。世の中にはこーゆー悪党もいるから気をつけましょーう——じゃなくって! え、そんだけ? いまのだとアンタが性格悪い自慢して終わりになっちゃうんだけど」

「で、ですからお客様の笑顔と……」

「えっ、それマジで言ってんの?」

「それは、まぁ……」


 胡散臭そうな目を向けるベリルと、耳まで真っ赤にして顔を伏せるノウロ。


「ふ〜ん。めっちゃいがーい」

「わ、私にだって儲け以外に喜びを感じることくらいありますよ」


 これ聞いたベリルは、ニッタニタと性悪ヅラ。


「へえ〜。それ話してみー」


 小っ恥ずかしい。熟した商人としては青臭い。そんな胸中なんだろう。

 しかし、こういった雰囲気がチビたちの興味を引いた。


 あの口から生まれたような男が、しどろもどろになって駆け出しのころを語っていく。

 ときおりチビたちから質問があると、それに応えて、やり甲斐や失敗談なんかを赤裸々に。


 傍観してた俺でさえ楽しめた。学ぶこともあった。なにより商売について興味も持てた。



 つづいて軽く商人ごっことなる。

 なにやら紙を小片にしたものをカネや品物の代わりに、遊戯みてぇな感じで進められてった。


「ひひっ。あーしの勝ちー」


 最後は、ベリルが大人げなく全員を破産させて社会科見学は終了。チビたちに勝たせてやりゃあいいもんを。

 ったく。この負けず嫌いは誰に似たんだか。

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