第2話 しゃべる0歳児②
「やっぱり喋ったよな?」
「ええ、たしかに『もう食べられない』と言ったように聞こえました」
女房の血筋かとも思ったが、上のガキは歩くようになるまで「あうあう」しか言わなかったし、違うか。
「ばぶーばぶー」
指しゃぶってても赤ん坊のフリしてるようにしか見えねぇ。しっかも『ばぶー』ってなんだよ。空々しいにも程があんぞ。
「ハァ……。まあいいか。おいベリル、もう喋れんの隠さなくってもいい。べつに叱ったりしねぇから」
「えっ、まじえ?」
「その舌ったらずはわざとか。それもいらねぇぞ」
「うまくしゃべええなーい」
「そっか。まぁ慣れだ、慣れ」
「え、ええと……、あなた、まさかとは思いますけど、もしかしてベリルちゃんとお話ししています?」
「いちおうな」
「ね、ね、ね、まほー、まほー」
「うるせぇ。んなもん明日だ明日。ガキはもう寝る時間だろ」
「あーい」
なんかこいつ、いきなり素直になったな。
未だにヒスイの方はパチクリパチクリ瞬きしてるが、もう遅ぇんだから話は起きてからでいいだろ。
よくよく考えたら、喋りはじめるのが早いだけだ。どってことねぇ。
「ふぁ〜あ、俺らも寝るぞ」
「は、はい。あなた」
◇
ペシ、ペシ、ペシ……。
んだよ。昨日は遅かったんだからもう少し寝かせといてくれよ。
ペシ、ペシペシ、ペシ……。
さっきからひとの顔を半端に叩きやがって、うっとおしい。
ペシ、ペシ……。クイッ。
「ぬ、うぉおおおおお、……おう?」
びっくりした。なんだいまの? まつ毛が引っぱられてビクッてしちまったぞ。
……犯人はこいつか。
してやったり、みてぇな顔してる赤ん坊が俺の上に乗っかってた。
「おあよー」
「ん? そりゃあ朝の挨拶のつもりか?」
「うん。ね、ね、ね、まほー。あやくあやくー」
「ちょ、おいベリル、テメ、鼻に指突っ込むな! コラやめろって」
可愛げねぇガキとはいえ放り投げるわけにもいかず、俺はベリルの両脇を抱えて横に下ろしてやった。
「なぁ、どうしておまえはここにいる?」
「ん〜?」
おっと危ねぇ。
俺は、コテんッといきそうな首の座りが足りねぇベリルの頭を支えた。
「小首傾げてんじゃねぇよ、転ぶぞ。ったく。で、どうやって柵を乗り越えたんだ?」
いくら言葉を覚えるのが早い早熟なガキとはいえ、一歳に満たないベリルが子供用ベッドからこっちに来れるわけがない。
「パパとお話ししたいと言うので、私が連れていってあげました」
ということらしい。寝室に顔を見せたヒスイがニッコニコ説明してくれた。
なるほど。それなら納得だ。が——
「パパってなんだ」
「ぱぱー」
「指差すな」
どうやら俺のことらしい。なんとむず痒い響きなんだ。
「父ちゃんにしとけ」
「そこは父上でなくてよろしいので? 私はママと呼ばれて嬉しかったのですけれど、いけませんか?」
「ヒスイの方は好きにしろ。でも俺のことは父ちゃんと呼べ。いいな」
「あい、とーちゃん」
ほれ、やっぱりこっちの方がしっくりくるじゃねぇか。
ベッドに腰掛けたヒスイはベリルを膝に乗せて、何度もママと呼ばせてる。楽しそうだからそっちそっちで好きにしてくれ。
「ね、ね、ね、ママ、ママ」
「んん、なあに?」
「とーちゃんてー、くちわういよねー」
「ふふふっ。ダメよ、そんなことを言っては。アセーロさんは照れているだけなのだから」
「うわー。おっさんのてえとか、じゅよーねー」
「——照れてねぇから!」
母娘して、朝っぱらから俺をイジりやがって。腹立つな。まぁ女房子供の言うことだ、大目に見てやろう。
「いちおう言っとくがな、真面目な話、しばらく喋るのは俺らの前だけにしておけよ」
「あら、どうしてですか? できれば『うちのベリルちゃんは賢いのよ』と皆さんに自慢をしたいのですけれど」
「ダメに決まってるだろうが。うちの連中がそれをネタにバカ騒ぎするだけだ」
「んん〜……たしかに。お仕事を放り出して宴会をはじめてしまいそうですものね」
「ああそうだ。そうなりゃ俺も呑まざるをえなくなる」
「あなたがピシッと言えばいいのではなくて?」
「そりゃあ無理だ」
俺だって宴会したいもん。呑みたいし。
「ん?」
「なんだ、不思議そうな顔して」
「えっとー、あーし、てんさーいみたいに、ちゅーもく、さえちゃう?」
「天才? おまえが? バカ言うな。そんな生意気はせめて舌足らず直してから言え」
なにを「むー」とか膨れっツラしてやがる。やっぱり、ちょっとばかし早く喋りはじめただけのガキじゃねぇか。
「ひどいパパですねえ。ベリルちゃんは天才なのに」
「ねー。とーちゃんひどーい」
「ああ〜っ、うるせぇうるせぇ。おいヒスイ、朝メシできたか?」
「ええ、台所に用意してありますよ」
勝手によそって食えと。まぁいい、上のガキが生まれたときもこんな扱いだったしな。
「あえんぼあかいな、あいうえおー」
メシを食いに行こうとしたら、唐突にベリルがなんか言いはじめた。
「なんだ、そりゃ」
「かつえつの、えんしゅー」
「ほぉん。そっか。よくわかんねぇけど頑張れよ」
「ね、ね、ね、とーちゃん。はしもってきてー」
「ん?」
「はし」
「はし?」
「ないのー。んんー……すぷーん、さじ」
「おおスプーンな。わかった。なんに使うのかわかんねぇけど、メシ食ったついでに持ってきてやる」
「あいがとー」
で、朝メシを食ったあとにスプーンを渡してやると、なぜか不器用にも手で支えながら横よこから柄に、カプリ。
「あえんおああいあ、あううえおー」
余計なに言ってるかわからなくなった。それに咥えづらそうだ。
「なぁヒスイ。こないだ先が欠けたフォーク、潰しちまっていいか?」
「ええ。構いませんよ」
いちおう女房の許可を取ってからまた台所にいって、目的の欠けたフォークを棚から取り出す。
木製の安物、とはいえ貧乏な我が家では大事な食器の一つだ。でもこうなっちゃあもう使い道はない。
そいつを仕事道具のナイフで一本の真っ直ぐな棒になるように、カリカリ細く削る。
ベリルが口でも切ればヒスイは大騒ぎするだろうから、刃の裏側を何度も擦りつけ、布で磨いてツルツルに仕上げたら完成だ。
我ながら満足いく出来のデッカい楊枝みたいなもんを持って、妙な文言を唱えてる娘のところに戻る。
「どうだ? これなら噛みやすいだろ」
「あ、はし!」
「ん? これがハシなのか?」
「そー」
「そっか。先っぽしゃぶって喉突くなよ」
「ひひっ。とーちゃん、えっろーい」
いったいなんの話だしてんだ、こいつは……。
ほれ、と手渡してやったら、スプーンのときと同じように横にして咥えて『あめんぼなんちゃらー』ってまた声をあげはじめた。
「ベリルちゃん。ちゃんとお礼を言ってからにしなさい」
「えへへーそっかそっかー。とーちゃん、わうそーなのに、いーしとなのかー」
「ふふふっ、そうねえ。アセーロさんは悪そうだけれど、実はとっても優しい人なのよ」
舌足らずの前に口の利き方を直した方がいいんじゃねぇか。ったくよ。あと礼を言うのもすっかり忘れてるからな。
「じゃあ、俺は仕事行ってくらぁ」
「いってあー」
「あらベリルちゃん、それはお見送りの挨拶なのかしら? ふふっ。あなた、いってあ」
「……お、おう」
なんとなく、帰ったときにどんな挨拶されるのか気になった。なんとなくだけどな。
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