うちの娘は生まれてすぐ「マジありえなーい」などと喋りはじめ、未知の魔法や高度な算術も使いこなす天才児。でも問題児。
枝垂みかん
第一章
しゃべる0歳児
第1話 しゃべる0歳児①
とても屋敷なんて呼べたもんじゃねぇボロ屋だが、俺——アセーロ・デ・トルトゥーガにとっては心安らぐ久しぶりの我が家だ。
「おう、帰ったぞ」
ちっと声を張りあげただけで、
「あなた、よくご無事で。怪我などありませんか?」
たったか床を鳴らして、女房のヒスイが出迎えてくれた。
「俺が怪我なんてするわけねぇだろ」
「あなたの心配はしておりませんよ」
ニッコリ笑顔で答えやがって……。それでいいんだけどよ。でも亭主の無事に安堵してハラハラ泣き腫らすくらいのことしたって、バチは当たんねぇと思うぞ。
まぁいい。俺の頑丈さを信用してるってことにしておこう。
「今回の
「そうですか」
ここまでは、出稼ぎあとのお約束みてぇなやり取りだ。
んで、いつものように風呂メシすっ飛ばして久しぶりにヒスイの柔乳と戯れたいところなんだが……。
先客がいやがった。
小っこいのが、女房の腕にすっぽり抱かれて美味そうに乳を啜ってたんだ。
「なんだ、そいつ」
「まあ、ひどい言いようですこと。どう見てもあなたの娘ではありませんか」
「娘? まだちんまいから男か女かわかんねぇな」
俺が稼ぎいってるあいだに生まれたガキだってのはわかった。けどよ、娘ってのはもうちっと可愛いもんだと思ってたんだが、あんまりだな。
「ほれほれ、父ちゃんが帰ったぞ、ほれ」
とりあえず挨拶代わりに頬っぺを突っついてみると、ペシ。ん? いまこいつ跳ねのけなかったか?
もう一回やってみると、ペシ。まただ。このガキ、やっぱり俺の指をむっちむちな腕で払いのけやがった。
「イヤがっていますよ。ちゃんとお風呂でキレイにしてからにしてください」
「わぁったよ。ったく、愛嬌のねぇガキだな」
「ベリルちゃんですよ。ねーベリルちゃーん。女の子はバッチいのイヤなのよねー」
ヒスイのやつデレデレしやがって。初めてのガキでもないだろうに。
でもたしかに、クンクン、うえぇぇ……。強行軍で帰ってきただけあってヒデェ臭いだな。
「風呂の支度はできてん——」
「ン♡」
「んだよ。艶かしい声あげやがって。やっぱり誘ってんのか?」
「違いますよ。ベリルちゃんが……」
「あん?」
見ると、ものすっごいスケベそうなツラして乳をベロベロ舐めてやがった。とても赤ん坊がしていい顔つきじゃねぇ。
「おいコラ、そりゃあ小させぇが俺のもんだ。メシ代わりに乳を吸うのは許すけどな、楽しむのは許さねぇぞ」
ここでピーピー泣きゃあ可愛げもあるってもんだが、太々しく「ふすっ」て鼻を鳴らして、また乳にむしゃぶりついてやがる。
「……こいつ、ほんとに娘なんだよな」
「ええ。娘ですよ。あと小さいは余計です」
「お、おう」
いちいち赤ん坊のすることを気にしてもしゃあない。多少の違和感はあったが、はじめはその程度で流した。
◇
「なあ、なんでベリルは毎度いい頃合いになると起きてくんだ?」
ヒスイとおっ始めようとすると、ベリルは必ず起きるんだ。夜泣きするんならまだいい。でもちっとも泣きゃあしない。
むしろ興味津々なツラを子供用ベッドの柵に埋めて、ぶっさいくにしてやがる。
「まあまあベリルちゃんったら、そんなにお顔を押しつけたら跡になってしまうわよ」
慌てて寝かしつけにいく女房に「そいつ、覗いてたんじゃねぇか?」と言ってみると「まさか」ってコロコロ笑い飛ばされた。
たしかにあり得ないわな。生まれて一年も経ってない赤ん坊が、興味持つなんてよ。でもなぁ……。
「ふふっ。きっと、あなたにお乳を取られると思ったのではないですか」
「ならいいんだけどよ」
しっかしうちの娘、はだけたヒスイの服んなかに手ぇつっこんだり、乳首に吸いつく前に乳房に埋まったり、なんでか啜ってない乳を掴もうとしてみたりと、どう見ても楽しんでるようにしか見えねぇ。
散々ぱら乳と戯れてから「けぷっ」と満足そうに口を拭うさまは、呑んだくれのおっさんみたいだった。
「ふふっ。ようやく大人しくなってくれました」
「白けさせてくれるな、こいつは。実は中身おっさんなんじゃねぇか?」
——カタ。子供用ベッドが揺れた。
まさか、おっさん呼ばわりに対する抗議だったり?
んなわけねぇか。ヒスイも気にしてねぇみてぇだし、なら放っときゃいい。
「アセーロさん。私がお腹を痛めて産んだ子になんてことを言うのですか」
「悪ぃわりぃ」
「もう。間違いなくあなたの子ですよ。だって……」
「だってなんだよ」
「私への戯れ方があなたそっくりなんですもの」
頬に手を添えて恥じらう仕草にグッときて、このあとは子供用ベッドがガタガタ鳴るのも気にせず盛りまくった。
そんなに見たけりゃ見せてやるよ。
◇
火照りが覚めて微睡んでると、俺の腕のなかにいるヒスイが「ねえ、あなた……」と話しかけてきた。
「この子をどう育てましょう?」
気が早ぇ話だとは思ったが、うちの事情じゃしかたないとも思う。
「そうだな……」
事情ってのは、早い話が我がトルトゥーガ家は傭兵稼業で食い繋いでる極貧貴族ってことだ。
爺さんの代までは鉱山経営とかで上手いことやってたらしいが、親父が領地を継ぐころには廃坑になってしまい、あれよあれよと借金塗れ。
で、親父は傭兵稼業に手ぇ出して急場をしのいできたんだが、借金のカタにまともな土地は全部毟られちまってる。
うちに残ってるのは、苔と雑草しか生えない禿山と借金だけってわけだ。この先どうなるかわかったもんじゃねぇ。
「どっかに嫁に出すにしても、こんなの欲しがるヤツいるか?」
「あら、ベリルちゃんはきっと美人になりますよ」
「そらぁお前に似たらそうだろうよ。けどな、残念ながら俺の娘でもあるんだ。とんでもねぇじゃじゃ馬娘になるに決まってんぞ」
「ふふふ。そうかもしれませんね。あなたは貴族というより山賊の親分と言われた方がしっくりきますもの」
「……。せめて傭兵団の団長とかにしておいてくれ」
「あまり変わらないと思いますよ」
イジってくる割にゃあベタ惚れしたような蕩け顔を向けやがって。男の趣味が悪い女房でありがたい限りだ。
「なんにせよ、魔法を仕込んでやれば食いっぱぐれな——」
「まほー! あうの‼︎」
「「…………」」
「おいヒスイ、お前いまなんか言ったか?」
「いいえなにも。あなたの方こそ」
「いまの、俺のダミ声に聞こえたか?」
「そうですよね……」
となると、この部屋で喋る可能性があるのは一人だけ。
まさかとは思いつつも、俺と女房はベッドを降りて子供用ベッドで寝てるはずのベリルを覗きこんだ。
「すーすー、むにゃむにゃ」
なんとも胡散くさい穏やかな寝顔だな、おい。
「……わざとらしくねぇか?」
「言われてみれば……」
「すぴーすぴー、ふい〜ん。もーたべあんないしー、むにゃむにゃ……」
「おい、まぶたピクピクしてんぞ」
——プイ。
あ、このガキ、そっぽ向きやがった。
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