第6話 勇者と魔王


「今日はありがとうございました!」

夕暮れ時になり、主に夜行性の魔族で構成された夜勤チームと交代になったとき、アルスは深々と頭を下げた。

「おう、気にするな。むしろ今日は意外な即戦力で助かったぜ。なあみんな?」

料理長の言葉に他の者たちも賛同する。

「ああ、なんなら暇な時間ができすぎて困ったくらいだ!」

「そうだそうだ!嬢ちゃんが働いてくれるんなら大歓迎だぜ!」

料理長のせいで、アルスの厨房での呼び名は嬢ちゃんに固定されてしまっているが、肯定的な意見に、アルスは目頭が熱くなるのを感じた。

「うん、僕の方こそ本当にありがとう!」

アルスは最後に一礼すると、料理長と共に魔王のところへと向かった。




「それで、魔王の話ってなんだろう?」

「ああ、なんでも嬢ちゃんに渡したいモンがあるらしい」


二人が魔王の所へ向かう理由。それは魔王が呼び出したからだ。


「にしても、ビックリしたよ。働いている人はご飯が食べれるなんて。料理長もすごいことするんだね」

アルスの頭には今日食べた食事のことが浮かぶ。

(野営じゃせいぜいが焼くか煮るかだったから、自分で作ったものを食べるのも感慨深かったな)

だが、料理長はかぶりを振る。

「いんや、あんなこと俺じゃ考えもつかねえ。全部魔王様の考えた福利厚生だ」

アルスは驚く。

「魔王が?......そういえばアビスも福利厚生がどうとか言ってたなあ」

「ああ、魔王様は本当にすごいお方でな。なんでも、優秀な人材を集めるなら、まずここで過ごしたいと思える環境をって今の制度を整え始めたんだ」

「へえ、でもそれじゃ破産とかしちゃわないの?」

アルスの質問に料理長は余裕そうに笑う。それから、魔王の成果をまるで自分のことのように嬉しそうに話した。

「それがな、生産性がそれ以上に大きく上がったんだ。福利厚生を入れる前より圧倒的にな。魔王様はその結果をはなから予想していたんだろうが、利益がでようがでまいがまるで気にしていなかった」

「へえ......」


アルスは魔王のことを見直した。もとより噂にそぐわない平和主義者だとは思っていたが、それとは別に、国家経営の手腕にも優れていると知り、その力だけで勇者と成ったアルスとしては、対等だと思っていた魔王が随分と自分より優れた存在なんだともの寂しくなったのだ。

(僕は、一体何ができるんだろう。文字も読めない。国にも簡単に騙されて、挙句魔王を殺そうとした......)


ひとりでに落ち込むアルスを前に、料理長はなんと声を掛ければいいか分からない。無言のまま謁見の間にたどり着いた結果、料理長は全て魔王に丸投げすることにした。

「お嬢ちゃん、悪いが俺は厨房に出し忘れた指示がある。多分俺が呼ばれたのは別件だから、嬢ちゃんは先に魔王様と話していてくれ」

「え、うん、分かった」

そそくさと立ち去る料理長を尻目にアルスは大きな扉を叩く。


「来たか、入ってくれ」


魔王の声にアルスが入っていくと、そこには玉座に本を積み上げ、その手前の段差に座るアビスの姿。

「失礼します、ってどうして地面に座ってるの!?」

「ああ、玉座が埋まっていたもんでな。ここは十分に大きい机がなくて堪らん」

「いや、僕が聞いたのはそうじゃないんだけど......」

さっきまで威厳のある話を聞いていたアルスは、感情のジェットコースターに言葉が追いついてこない。


そんなアルスの様子に気づいた魔王はアルスに問いかける。

「なんだ、やけに暗い表情だが。何かあったか?」

アルスは鋭い魔王にたじたじになる。

「え?いや、別に何事もなかったけど......」

「いやそれはないだろう。......まさか料理長か?」

魔王の勘違いにアルスはより慌てる。

「いやいやそうじゃないよ!......ただ、魔王の偉業を聞いてね、勇者を名乗っていた自分が恥ずかしくなったんだ」

黙り込む魔王。きっと今までも思うところがあったのだろう。一日でも早く働こうとするアルスの態度に、魔王は心当たりがあった。


暗く沈んだ表情をするアルスに、アビスは語り掛ける。

「名乗るも何も、アルス、お前は勇者だろう?」

「それは国が付けた役職だよ。僕は魔王さえ倒せば世界が平和になると思っていた、バカで無知な間抜けだ」

「そんなことはない。勇者とは、元来不満の捌け口にされやすい不条理なものだ。”お前がいながらなぜ自分達の生活はこんなに悪いんだ”とな。だがお前はどうだ。お前を送り出す者たちはみなお前を応援していた。祝福していたんだ。歴代の中でもこの城にたどり着いたのは、アルス、お前だけだ。それは民にとって正しく勇者であったからではないか?」

魔王はいつになく真剣に問いかける。勇者は魔王にとっても希望であったから。

その光が失われてしまうのはとても悲しいことだった。


しかし、その言葉はアルスには届かない。


「......それは、みんな騙されてたからだ。僕がただの馬鹿だと知らなかったから」

「お前は馬鹿ではない」

言われて顔を上げるアルス。その目からは涙がこぼれる。

「字も読めないのに!?」

「......それは」

「休憩になって、料理長は僕にメニュー表を渡してくれた!その文字が読めることが当たり前だと思って!でも僕は読めなかった!......この国の全員が読めるのも、福利厚生というのも魔王が考えたんだろう?......それに比べて僕は、......勇者は何もできない」

苦しそうな表情をする勇者に、魔王はなにも言えない。かける言葉が見つからない。


だから、代わりにアビスは一冊の本を渡した。

「......これは?」

「語学学習用の本だ、後ろにあるのは辞書と他の学習教材だ」


不思議そうな顔をするアルスを前に、アビスは再び地面に座り込む。

「......アルス。私だって立派な人間ではないさ」

「......魔王?」

「仲間の中じゃ特に言葉を覚えるのが遅かったし、今だって個々の力量じゃ四天王にも負けている。民のことばかり考えているようで、その実民を想う魔王としてうまく振舞いたいだけの、酷く利己的な人間だ」

初めて聞く、アビスの弱音。その神秘のヴェールが剝がされた心の内は、一人の悲し気な青年を映し出し、アルスを動揺させる。

「で、でも!......でも今は立派じゃないか!アビスが多くの人を救って、導いてきたのは事実だろう?」

「......そうだ。その通りだアルス。言語なんて今から覚えれば良い。他のことだってこれから先どうとでもなる。結果は同じだ。......だが、君と私で違うことが一つだけある」

「......?」

アルスは混乱するしかない。どうしてアビスのほうがこんなに苦しそうなんだ、と。


「君に会って私にないもの、それは過程だ。君は純粋無垢な善意のみによって人助けをする。私のような利己的な動機とは違う。それだけは、君だけのものだ」

「だとしても、僕はアビス、君に助けられたんだ!」

「あれは違う。助けられたのは私だ。君のその勇気が、正義が、眩しかった。平和のためには、君の力が必要だと思った」

アビスにとっては言い難い言葉だっただろう。だが、アルスにとっては、自身を勇気づける力強いものだった。

「アビスに、僕の力が必要......?」

「ああ、そうだ」

「そうか、......そっか。ねえ魔王」

「なんだ?」

「僕は過程なんてどうでもいい。魔王が僕を助けに来てくれた、その事実で十分だよ」

「だが」

いつもとは打って変わってすっかり女々しいアビスに、勇者は笑いかける。

「ああ、もう。アビスには僕が必要で、僕にはアビスが必要だったの。それだけでいいでしょ!」

輝かしい笑顔は希望に満ちていて、アビスは胸が安らぐのを感じた。きっと互いの悩みは消えないだろうことを分かっていても、お互いがいればきっと大丈夫だと、そう思った。


立ち上がった魔王は豪快に笑い飛ばす。

「フハハハハ!そうだな、悩むなど我には合わん。結果幸せなら良いではないか!」

「うん、その方が魔王らしいよ」


並ぶ勇者と魔王。二人には強い希望が宿っていた。

世界に平和が訪れるのも、そう遠くはないだろう。




ちなみに、すべて丸投げした料理長は、二人から怖い笑顔で詰め寄られ、アルスの使っている客室に大量の本を運ばされることになった。



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