第5話 社員割引

「よォお嬢ちゃん。俺の厨房へようこそ」


アルスの初めての仕事は厨房からだ。白い制服と髪を結んだアルスを迎えるのは熊の料理長。その両肩には小さな妖精が乗っている。


「よろしくお願いします!今日働かせていただくアルスです!」

緊張で硬くなっているアルスに料理長は苦笑をこぼす。

「はっ、そんなに畏まるな。敬語もいらん。俺はクマノ料理長だ。んで肩に乗ってるのが妖精族フェアリーのメメとルルだ」

青白い人魂のような生物がボウと揺らめく。どうやら挨拶をしているみたいだ。

「わ、よろしくおね、じゃない、よろしくね。......妖精族フェアリー初めて見た」


人嫌いでいたずら好きとして知られる妖精族フェアリー。人前に姿を見せないので、人間の国では醜悪で薄気味悪い笑みを浮かべる怪物という噂だけが独り歩きしていた。


だが、えっせよいせと厨房を手伝う妖精を前に、アルスも頬が緩む。


「メメとルルは調理のスペシャリストでな。俺たちがオーブンやら冷蔵庫で寝かせる必要がある食材も、こいつらに掛かればあっという間だ。」

えっへんと誇らしげに胸を張る二人の精霊。

「へえ、メメ先輩もルル先輩もすごいんだ!」

「ああ、だがその体の大きさじゃ皿はおろか満足に包丁も持てないからな。そういうのは俺らの仕事だ」

「うん、分かった!」

威勢の良い返事に料理長もよし、と満足げに頷く。


他の料理人達の好奇な視線に晒されながらも、アルスと料理長は大きなシンクと食洗器の前に行く。ざっと目を通せば、どうやら敵意を持つ存在は見当たらないことに気づく。その様子に気づいた料理長は思わず唸る。

「むう、あいつら、あんまりジロジロ見るなって言ったんだがな......」

「あ、いや、気に障ったわけじゃなくて、嫌な視線があんま無かったから驚いただけなんだ」

「ん、なんだそういうことか。魔王軍に亡命した人間族は職人が多いんだよ。一流の料理人になったのにフライパンまで徴収された挙句、徴兵なんかされてたまるかってな。だから人間と働くってのも珍しくはあるがないことではない」

意外な事実にアルスも驚く。

「じゃあ今いないのは時間帯が合わなかったってことか」

「いいや、そんなことはない。例えば......」

料理長は一人の男を指さす。だがその人物には角が生えている。


「......あの獣人がどうかした?......ん、あれ?」

アルスがよーく目を凝らしてみると、魔力器官であるはずの角に魔力がこもっていないことに気づく。

「......そう、あの角は偽物だ」

重々しく伝える料理長にアルスはハッとする。

「なるほど、こすぷれいやーさんなんだね!?」

「......お嬢ちゃん、その言葉をどこで?」

「ん、魔王が言ってたよ。もしかして違った?」

「あ、いや、うむ。その通り、彼はコスプレイヤーだ」

アルスの勘違いに料理長の内心は複雑だ。

(魔王様よ、今回ばかりは感謝するが......、何か納得できねえな)


当然コスプレではない。人間族というだけで街中では襲われる可能性がある。魔王城、つまりは後方支援が多く集まる場では、ある程度は人間族も見かけるし、割り切っているものが多い。とはいえ、前線から帰還する者もいれば、戦死者の遺族だっている。そう簡単に恨みが消えないのは人も魔族も同じだ。


料理長はプロとして切り替えると、アルスに仕事の内容を説明する。

「よしアルス。まずやってほしいことは皿洗いだ。基本はこの魔道食洗器にぶっこむだけだが、口を付けるカトラリーだけは洗剤を使って洗浄魔法かそこのスポンジをかけてくれ」

「うん、分かった」

アルスは両手を組み魔力を込める。


かちゃかちゃと触れてもいないのに音を鳴らす食器たち。一瞬城が揺れているのかと錯覚した料理長だが、どうやらそうではないようだ。


「ん、なんだぁ!?」


震え出したかと思えばたちまち踊りだす食器たち。魂を得たように動き出す食器たちは、きれいに一列に並び、美しい飛びこみで魔道食洗器へと収まっていく。カトラリーはというと、また別の列を作り、振り子のようにスポンジの泡の中を往復する。


そうして魔道食洗器がいっぱいになると、目を輝かせた妖精がスイッチを入れた。

「わあ、ありがとう......ルル先輩?」

ぷくーっと頬を膨らませる妖精。

「あ、ごめんなさいメメ先輩!」

どうやら人魂違いだったようだ。


これに驚いたのは料理長である。

なにせ、皿洗いくらいならひとまず数時間程度やってもらえば慣れるだろうと思っていたのに、ものの数秒で終わらせるどころか、人手いらずにしてしまったのだから。


「お嬢ちゃん、魔力の方は大丈夫なのか?」

料理長の心配にもアルスは余裕の笑みを返す。

「うん、今日一日なら持つと思うよ。こういう細かい魔法なら得意なんだ」

「......そうか」


結局、その日は注文の聞き取りといくつかのメニューを作るまでに至ったのだった。





昼食時も過ぎて、さっきまでは席が埋まっていた食堂も、人の入りがまばらになり始めた頃。


アルスが練ったパイ生地を料理長が包み、メメが魔法で焼き上げ、砂糖で雪化粧を施す。丁度いいサイズに切り分け、提供する。

「お待たせしました、”妖精のアップルパイ”です」

「おう、ありがとな新人さん!」

闘牛のように筋肉隆々な牛の獣人は、アップルパイを受け取ると、その巨体でスキップしながら席に着いた。


とりあえず入っていた注文をすべてさばき切り、やることが少なくなってきたところで料理長が声をかける。

「よし、アルス。休憩だ」

料理長の言葉にアルスはびしっと敬礼をする。

「了解!代わりが務まるか分かんないけどどうにかやってみるよ」

容量を得ない返答に、料理長は魔王の言葉を思い出す。

(ああ、確か魔王様が言ってたな。”あいつには自分が休むという選択肢がないから気にかけてやれ”って)


アルスは無条件で料理長が休憩するのだと思い込んだのだろう。料理長はため息をつくと、呆れたようにアルスに告げる。

「あのなぁ、休憩すんのは嬢ちゃんだ。今日は働きっぱなしだったろ?」

「え、僕?」

きょとんとするアルス。反応を見るにこの先も休憩する気がなかったらしい。

「そうだ。料理人が飯を食わないでどうする。頑張った自分をほめて、そんで英気を養ってまた頑張るぞってなるんだよ」

「そっか、確かにそうだね。腹が減っては戦はできぬ、だ!」

「ああそうだ、魔王様だってちゃんと休憩はとる。勇者も取らなきゃだぞ」


料理長はアルスのコック帽を脱がしてあげると、代わりにメニュー表を手渡した。

「ほれ、何が食いたい?」

そのメニュー表を一瞥すると、カウンターの商品写真に目を向ける。

「うーん、なんだか先輩達を働かせるのは少し気が引ける......」

アルスの杞憂を料理長は豪快に笑い飛ばす。

「がっはっは、気にするな。ここじゃそれが当然のことだ。それともなんだ、俺たちの飯が食えないってか?」

料理長の言葉に、厨房のコックたちも悪ノリして詰め寄ってくる。観念したアルスは、おとなしく注文することにした。


だが、アルスがメニュー写真と睨めっこしてはや五分。料理長達も丁度暇な時間なので注文を今か今かと待ちわびている。

「うーん、熊さんプレートもおいしそうだけど......、熊さん御膳と違ってデザートが付かないからなあ」

「お嬢ちゃん、意外と優柔不断なんだな。プレートに別でデザートを頼めばいいじゃねえか」

料理長の良案に、しかしアルスの返事は芳しくない。

「そうなんだけど、今はアビスからお金を借りてる状態だから、あまり手を付けたくなくて......」

「ん、ああ、そういや言い忘れてたな!」

料理長は、こりゃうっかり、と頭を叩く。


すると今度はニヤリと笑う。見た目は完全に極道だが、アルスは自称かわいい熊さんだと知っているので怖がることはない。

「......ここの料理人はな、従業員割引があんだよ」

「へ、従業員割引?なにそれ」

初めて聞く言葉にアルスは首を傾げる。

「要は、その日の一食目はタダ!しかも二食目以降も二割引きだ!」

衝撃の事実にアルスはその日一番の大声を上げる。

「ええ!?じゃあ僕はデザートの分しか払わなくて良いってこと!?」

「いいや違う」

料理長の言葉にアルスは困惑する。そううまい話はないか、と思っていたのでさして落ち込むことはない。


そんなアルスに、料理長は重々しく言い放つ。

「いいか、料理人たるもの自分が作る飯の味は知っておかねばならん。だからな、どんなメニューも自分で作れば一回目はタダだ!」

「そ、そんな!つまり......」

「ああ、今日お嬢ちゃんに払ってもらうものは一銭もない!」

信じられない事実にアルスは開いた口が塞がらない。


そんなアルスを横目に、料理長はくすくすと笑うと、他の料理人たちに声を張り上げる。

「聞いたか!熊さんプレート一丁、嬢ちゃんがデザート作って、制服から着替えてる間にだ!」

「応ッ!!」

アルスの皿洗い自動化も相まって、随分と暇だった料理人たちはこぞって調理に取り掛かる。

「ほれ嬢ちゃん。早くデザート作らないと、あいつら速攻作って飯冷めちまうぜ」

「あ、え、うん!」


慌ただしく料理に取り掛かるアルス。その後ろで指示を飛ばしながら、料理長は思う。

(こりゃ魔王様が甘やかすのも分かるわな。ま、甘やかすどころかこれが普通だが)



結局、アルスはクマさんパンケーキをつくり、その日は仕入れ作業をして終わるのだった。




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