第4話 勇者の職業体験

勇者アルスが魔王軍に降ってから三日。

初日は初めてのご馳走に舌鼓を打ち、二日目はなんやかんやでスネアと共に城下町を探索していたアルスであったが、今日は違う。


「僕も魔王軍として役に立つんだ......!」


心機一転、目覚めと共に気合を入れるアルス。顔を洗おうと洗面台の前に立つと、鏡には買ったばかりのかわいいパジャマに身を包んだ自分の姿。昨日のお出かけを思い出し、思わず引き締めた頬が緩む。


「......はっ!いけないいけない」

我に返ったアルスは、パチンと顔を叩くと、そそくさと私服に着替える。なお、アルスが勇者時代に着ていた装備はぼろぼろになっていたため、今着ている私服も新しく買ってきたものだ。


ただ、気合はあれども腹は空く。

「腹が減っては戦はできぬ!よーし、朝ごはんを食べに行こう」

アルスは魔王の言葉を思い出し、まずは食堂に向かうことにする。客室を出て歩き出す。行先はもちろん食堂......ではなく、真逆の方向に向かっているが本人は気付いていない。


冷気で曇る窓に、北地の冬を感じながら歩いていると、アルスは一際大きい扉の前に出た。重厚な両開きのドアは威圧感があり、初めて魔王城に来た時にもこの場所を訪れていたアルスは、そこがどこだか知っていた。

「あれ、ここ謁見の間だ。道間違えちゃったかな」

その割には自然と足を運んでいたのだが、その真意はアルスにも分からない。


「あ、そうだ。アビスも誘おう」

名案を思い付いたアルスは、ノックも無しにその重い扉を開け放つ。




驚いたのは魔王である。

何か強大な気配が近づいてくるので、恐らくは勇者であろうとは思っていた。が、道に迷っていることもまた容易に想像でき、すぐに引き返すだろうと踏んでいたのだ。


それがどうだ。バコーンとドアを開け放つアルスには遠慮の欠片一つもない。扉が壊れていないのが奇跡なくらいで、魔王は勇者の馬鹿力に戦々恐々とした。

「ど、どうしたアルスよ。昨日ノックをしなかったことを怒っているのか?」

「え?あ、ゴメン忘れてた。今って入って大丈夫だったかな?」

「ああ、構わんぞ。一体どうした」

「朝ごはん食べに行こうよ」

「ん、我とか?しばらく分の金は出したはずだが」

「それはありがとうだけど、別に奢ってもらおうと思って言ってないよ」

「む、そうか。じゃあ食堂に行くか?」

「うん!」


初めは道案内役にでも選ばれたのかと思っていた魔王だったが、今度のアルスは迷いなく食堂に向かうもので、一体なぜ誘われたのか首を傾げるしかなかった。

しかし、混雑した食堂を前に、”アビスの部屋でお弁当にしよう”と提案するアルスを見て、魔王は自分が根本から勘違いしていたことに気づく。

(......こいつ、本気で一緒に朝ごはんを食べたかっただけなのか)


のほほんとした空気につい忘れてしまいがちだが、アルスは元勇者である。いくら世界平和のため魔王軍に与すると言えど、その本質は敵同士。昨日の敵は今日の友とはいかないのが現実である。......あるのだが。

「アビス、今日こそは僕も魔王軍として働くよ」

この勇者、順応が早すぎる。


魔王とて今さら訝しむことはないが、あまりの転身っぷりに戸惑いを隠すことができない。

「アルスよ、何故そこまでして働きたいんだ。......元とはいえ敵の軍だぞ」

「働きたいんじゃない。役に立ちたいんだ」

「自分の身ばかり犠牲にしては、また利用されるだけだぞ」

「分かってる。僕だって誰だって良いわけじゃないよ。魔王は僕に新しい生き方を教えてくれた。利用されるだけだった僕を身を削って助けてくれた。......僕はアビスの役に立ちたい」

これには流石の魔王も閉口せざるを得ない。


「......我は魔王だ」

「僕だって元勇者だよ?」

「......だが軍にはお前を恨むものもいるのだぞ」

「うん、そう思う。僕もカラスやスネアと会った時は怖かった。......けれど、二人とも本当に優しくて、暖かい人たちだった。僕は僕を恨む赤の他人よりも、そういう人たちのために生きたい」

「......そうか」

眩しいな、と魔王は思った。

人類に数の暴力で押され、助けを求められたアビスには群れを作るしかなかった。その小さな群れが群となり、群が軍と呼ばれる頃には、既に引き返すことのできない血濡れた道が出来上がっていた。だが、勇者なら。アルスなら、もっと別の道を選べていたかもしれない。

どうやら勇者に懐かれたらしい魔王は、随分と複雑な心境であった。


「それで、僕はどこに向かえば良いんだい?」

「ん、自分で決めて良いぞ」

「あ、そう?......うーん、初めは魔獣相手が良いかも。正直、人族相手に戦えるか分からないから」

「なんだ、戦地が希望か?」

「え?」

「いや、戦いが好きそうではなかったから意外だっただけだ。アルスほどの技量があればどこであっても重宝されるだろう」


ぽかーんとしていたアルスは、不思議そうにケラケラと笑った。

「あはは、まるで前線以外にも役割があるみたいな言い方だね」

「む?それはあるだろう。お前は1パーティーだったから分からんだろうがな、後衛にだって補給部隊に衛生兵、この地にいるものにも防衛から都市の機能の維持と、誰もが掛け替えのない役割がある」

一国の王として、民の頑張りを無視される訳にはいかない。だが、それよりもアルスがそんな考え方をするのが何故か悲しかった。あまりな言い草に魔王の言葉には熱がこもる。


当然、売り言葉に買い言葉でアルスもヒートアップしていく。

「それは知ってるよ。けど僕が言いたいのは、僕が前線以外に選択肢があるみたいな言い方をされたのが気になったってだけ!」

「何を言っているんだ。お前にだって選択肢はあるだろう!」

「じゃあ僕がコックさんになりたいって言ったらなれるのかい?」

「そりゃなれるだろう」

「そうさ、なれるはずが......え、なれるの?」


さっきの怒声から一転、鳩が豆鉄砲を食らったように固まるアルス。その様子に魔王はハッとする。

(そうだった。アルスがいた国は劣悪な環境だった。きっと徴兵では強制的に部署が決まっていたのだろう)


「......すまぬ。我の考えが足りなかった。人間の国の軍隊では所属部隊が決められていたのだろう?」

「うん。軍隊というか仕事そのものがだけど」

「職業選択の自由すらないのか!?......ああ、そうか。社会主義国家だったのか」

「しゃかいしゅぎ?」

「うむ。簡単に言えば国が国民の職業から仕事量まで徹底的に定めることで、貧富の差をなくそうというものだ」

「うーん。貧富の差は大きかった、かな。少しでも稼げと言われるのに、稼いだら仕事ごと奪われるんだ」

「なに?そんなことすれば国民の勤労意欲ごと生産性が落ちてしまうではないか。まともな王ならそんなことは......ああ、なるほど。」

アビスもアルスも揃って苦虫を噛み潰したような表情をしている。きっと考えていることも同じだろう。


(___そういえば、まともな王ではなかったな)


勇者にオリハルコンの剣一本と寄こさなかった人物だ。常人の思考回路をしているとは思わない。


自国の王を思い出したアルスは、目の前の魔王をそんな人間と同列に見てしまっていたことを恥じた。

「僕もごめん。魔王がそんな圧政を行うわけないのに」

「いやなに、仕方のないことだろう。お互い手打ちにしよう」

「......うん」

「それで、本当は何をしたいんだ?熊のコックさんにはなれないが、コックさん自体はできるぞ?」

「もう、熊さんの話は忘れてよ!」

「ハッハッハ、恥ずかしがることはおるまい。あの熊の料理長だって意外と妖精族フェアリーに人気があるんだぞ」

「え、嘘でしょ」


やいのやいのと騒ぎまわる二人は、傍から見ても仲睦まじく、何も知らぬ者が見れば到底魔王と勇者であるとは思うまい。ただ、これから世界平和を目指そう者が平和でなくて誰が従おうか。勇者と魔王が、拳でなく言葉を交わす。それはこの上なく平和な景色に違いない。



「それで、本当に食堂調理員希望なら我から料理長に話をつけておくが、どうする?」

「そのことなんだけど、僕他にどんな仕事があるか分からないだ。戦地直行だと思ってたから、対して城も見て回る必要ないと思ってたし」

「ああ、そういえば服を買いに行く時にも着る機会がどうたらこうたらと言っていたな。あれはそういうことか」

「......まあ、そうだね。だから迷惑じゃなければ食堂で働くよ。他の所に行っても迷惑だろうし」

さも当然という様子で言うアルスだが、魔王はその遠慮が我慢ならなかった。

「ええい!さっきから迷惑、迷惑とうるさいぞ!お前はもう勇者ではないのだ。一つくらい迷惑を掛けたらどうだ!」

「えぇ......?」

「何がやりたいか分からないなら、分かるまで選び続ければ良いのだ」


そういうと、魔王はさっそく料理長に一筆したためる。その紙に魔王がふうと一つ息を吹きかければ、たちまち鳥へと姿を変えて部屋を飛び出していった。

「わあ、素敵な魔法だね。しかも芸が細かい」

「そうだろう、あの形を再現するのに苦労した」

「モチーフがあるの?」

「ああ、鶴という。......我の故郷の鳥だ」

「へぇ。手紙の墨が模様みたい。一体何を書いたの?」

「ああ、料理長にアルスを働かせてやってくれとな」

「えぇ、結局食堂じゃないか。まあ僕としては十二分に嬉しいけど」

「なに、それだけじゃない。数日の期限付きと書き加えておいた」

「期限?......あ、そうか。ちゃんと働けるか審査しないとだもんね」

「その通り」

「うう......僕なんかが料理長のお眼鏡に叶うかなあ?」

「ん?」


顔をしかめたのは魔王である。アルスは何か変なことを言っただろうか、と思い返すが、心当たりはない。

「アルス。お前は物事をネガティブに捉えすぎる節があるな」

「え?」

「お前が働けるか審査するんだ。自分はここでやっていけるか、やりたいかどうかをな。もっとも、逆だとしても料理長は即ゴーサインを出すだろうが」

「......そっか」

「そうだ」


魔王は再度筆をとると、いくつもの文を書く。そのすべてが紹介状なのだろう、魔王は”カラスにも頼んでみるか......”と次々と名前を挙げている。


勝手に話が進んでいく様子をただ見ているしかできないアルス。ただ、当の本人よりも楽し気な魔王を見て思う。


(アビスが楽しそうなら、まあいいかな)


ほほ笑むアルスを見て、アルスも喜んでいると思ったのか、魔王はニコニコしながら、勇気づけるように語り掛ける。

「不安なこともあるだろうが、何かあれば我に相談するが良い」

「......うん」

「スネアやカラスだって相談に乗ってくれるはずだ。料理長は、まあ、暴れ出しかねないからあれだが」

「......うん」

「何はともあれ、ずっと勇者ばかりだったお前にとっては新しいことの連続だろう」

「......うん」

「勇者アルスの再就職先を探す......題して勇者の職業体験だな!」

「......うん!」


勇者が一人の少女に戻る。それは本来悲しいことなのかもしれない。だが、その少女が咲かせる飾りない笑顔を前には、誰も悲しいなどとは思わないだろう。



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