第3話 不穏な気配
アルスが魔王と和解してから、一晩が経った。
たった一晩と言えど、互いに与えた影響は多い。アルスは今までの勇者としての生き方を見直し、魔王アビスは己が戦うべき相手を改めた。
しかし、アルスが昨日したことと言えば食事を摂って眠っただけ。無論、魔王と勇者の決戦はあったが、少なくともアルスにとっては、魔王軍としての仕事は今日からが本番である。
コンコンコンと扉をノックする音が聞こえる。
魔王が来たのだと思いドアを開けるが、アルスを迎えたのは意外な人物だった。
「アルスちゃん、おはよ~」
「わあ、スネアさん!おはようございます」
四天王が一人。蛇の魔人であるスネアが、なにやら荷物を抱えてやってきた。
「えと、魔王はいないのかい?」
「魔王様は少し早めにお仕事よ。あと私にこれを持っていってほしいって」
「こんな大きい荷物を?」
「う~ん、ここまで大きくなる予定はなかったんだけど、せっかくならたくさんあった方が良いと思って」
「そんな、僕のために......。わざわざありがとう。一体中身は何だい?」
アルスの言葉に思わず抱き着きそうになるスネアだったが、なんとか正気に戻ってケースを開いて見せた。
そこには、大量の洋服と化粧道具。おおよそ一人では使い切らない量に、アルスは思わず頬を引きつらせる。
「えっと、これは?」
「お洋服と化粧道具よ。アルスちゃんのために持ってきたの」
「そんな、僕、悪いよ......」
使う機会があるとも限らないし、とアルスは心の中で付け加える。
そんなアルスの心情を知ってか知らずか、スネアはにっこりとアルスに笑いかけると、意気揚々と道具を取り出していく。
「もう、めっなんだから。魔王様に一通り支給するよう言われてるのよ。だからアルスちゃんも受け取らないと」
「でも、お洋服まで」
「あら、お洋服はこれで全部じゃないわよ」
「え?」
「私が選んだのじゃなくて、アルスちゃんの好きなお洋服じゃないと。これは今日のお出かけ用。一緒にお洋服を選びに行きましょ」
今日からお仕事と張り切っていたアルスは、その予想が悉く崩れ去るのを感じた。
焦るアルスは、スネアをどうにか説得しようとする。
「で、でも、僕まだ何も仕事していないというか」
「ん~。そうねえ、そんなに不安なら魔王様に聞いてみる?」
「......へ?ちょ、ええぇぇぇええー!!」
スネアはその長い尻尾でアルスを絡めとると、すたこらと魔王の執務室へと向かうのだった。
* * *
魔王城謁見の間、更にその奥。
魔王アビスは執務室にて朝から緊急の内容を片付けていた。
「......ふむ」
しばらく動かし続けていた手を止め、まだ途中であるそれを机の中にしまう。刻みついた眉間のしわをほぐしながら、近づいてくる気配を待つ。
コンコンコンと小気味の良い音が鳴る。
「入れ」
「魔王様、失礼するわ」
「うぇ、あ、失礼します」
「......スネア、アルスを下ろしてやれ、目を回しているぞ」
「あら~、ごめんなさいね」
ゆっくりとソファに下ろされたアルスは、まだあまり現状を理解していないようだ。
「それで、一体何用だ」
「アルスちゃんが仕事したいんだって」
「む、今日は生活基盤を整えてもらおうと思ったのだが」
「で、でも、魔王が仕事しているのに、僕だけ休んでいられないよ!」
「いや、しかしな」
「魔王は朝から仕事をしているんだろう?それを知ってお出かけなんて......」
「我は魔王だから良いのだ」
「なら僕だって元勇者だ」
「元は元だろう。今は魔王軍じゃないか」
「なら魔王を差し置いて休めないよ」
「ええい、強情な奴め!」
「もう、アビスの頑固者!」
やんややんやと程度の低い口げんかに、初めは笑って呆れていたスネアもとうとう痺れを切らす。
「二人とも静かになさいな!」
「......う、うむ」
「......はい」
普段は温厚なスネアの怒号に、二人は蛇に睨まれた蛙のように黙るしかできない。それを見て満足した様子のスネアは、一つ頷くといつも通りの微笑みを浮かべた。
「うん、それじゃあみんなで朝ごはんにしましょ」
「......朝ごはん?」
「だって、お腹がすいたんですもの。お二人もしゃべり疲れたんじゃない?」
「まあ、多少は減っているが」
「僕も」
突拍子もないスネアの提案に、思わず二人は毒気を抜かれる。しかし、一国の王ともなれば、そう易々と時間を作れるわけでもなく。
「そういうことなら先に食べて来ると良い」
「......魔王は?」
「我はまだやるべきことがある。お前たちが食べている間には片付けておくから、話はその後に聞くさ」
「あら、そういうことなら仕方ないわね。アルスちゃん、行きましょ?」
スネアは魔王軍四天王の立場。つまりは魔王の配下であり、先ほどは怒りの声をあげたものの、公私の区別は付けている。魔王が仕事だと言えばそれを邪魔することはない。
だが、ある意味魔王と対等であった元勇者は違う。
「じゃあ、僕は仕事終わるまで待ってるよ」
「......なぜ?」
「アビスと一緒に食べたいもの」
「そうか」
「うん」
黙り込んでしまったアビスは、何とも複雑な表情をしていた。対するアルスはなぜそんな顔をするのか分からないといった様子で、そんな二人を見てスネアは笑みを溢していた。
「あらあら」
「なんだ」
「いえ?なんでもないわよ、魔王様。それよりアルスちゃん、待ってるなら食堂でお弁当を用意してもらいましょ。魔王様の分も一緒に」
「ああ確かに、それがいいや。魔王、何が食べたい?」
とんとん拍子に話が進められ、ついぞ拒否するタイミングを逃した魔王は、黙って従うことにした。
「あー、うむ、そうだな。サンドイッチをいくつか頼む」
「りょーかい。好き嫌いは大丈夫?」
「そうだな、卵か肉系があれば。それと、財布だ。それで払ってくれ」
「わ、いいの?」
「魔王様、私の分は?」
「スネアの分もだ。頼んだぞ」
「あら、やったわ~。ありがとう魔王様」
「ありがとう。行ってくるね」
ウキウキで食堂に向かう二人。仲睦まじげな背中を見送って、魔王は再び書類を取り出す。
(しかし、今回ばかりはスネアには助けられたな)
突然の来訪には驚かされたが、魔王が分かりやすいよう敢えて気配を消さなかったおかげで、アビスには随分と時間の余裕ができた。アルスが魔王の執務を待つと言った時も、スネアはそれとなく食堂へと誘導してくれた。彼女に食事を奢ったのは、日ごろの労いもあるが、何よりその気遣いに感謝していることを伝えるためであった。
スネアは知っていたのだ。魔王の手元にある報告書の内容を。そしてそれは、アルスの前に見せれる内容ではなかったのだ。
「はてさて、どうしたものか」
報告書には甚大な被害内容が記されている。幸い、争ったのは魔族ではなく魔獣だったようで、沈静化に動いた魔王軍を除いて魔族に被害はない。だが、周囲の環境破壊が著しく、荒れに荒らされた土地を前に、農業開発を命じられた開拓民が困り果てているらしい。
問題なのは、それらの破壊活動を一人で引き起こしたその人物。
(目撃証言によると、勇者を返せと怒り狂う聖騎士が単身で魔獣の群れを蹴散らした、らしいが......)
「アルスめ、良い仲間を持ったじゃないか......」
漂う不穏な気配に、魔王は頭を抱えた。
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