第2話 熊のコックさんと客室

「んで、結局ご注文は?」


ひとしきり笑った後、隙を伺っていた料理長に注文を催促される。

「ああ、我は」

「熊のコックさん!」


思わずと言った様子で叫んだアルスに、魔王はキンとする耳を塞いだ。

「アルスよ、それがどうした」

「元勇者の嬢ちゃんよ、熊の獣人が厨房にいちゃ不満......って面でもなさそうだな」


アルスの目はこれでもかと輝いている。熊の獣人に不満どころかウッキウキのワックワクに喜んでいるのは誰が見ても明らかだ。

「あら、アルスちゃん、熊さんが好きなの?」

「へ?あ、いや、そういうわけでは......」

「今さら取り繕っても無駄だぞ。なんだ、思い入れでもあるか?」

「その、子供の頃好きな絵本が”熊のコックさん”だったんだ......」

「あらあら、かわいらしいじゃないの」

「う、だから言いたくなかったんだ」

「なに、俺の可愛さは大陸共通だからな。恥じることはないさ」


誇らしげに腕を組む料理長は、そこかしこに切り傷があり、どう見ても堅気ではない雰囲気を纏っている。

「......これの何処が可愛いんだ」

「おいカラス、聞こえてんぞ。なあ嬢ちゃん、鶏肉のソテー食うか?」

「えっと、遠慮しておこうかな......」


険悪な二人を前に苦笑するアルス。そんなことにはお構いなしの魔王は一つのメニューを指し示す。

「ほれアルス。この熊さんプレートはどうだ」

「え、何それ。......わあ、かわいい!」

「ほう、嬢ちゃんは見る目があるな。熊さんプレートはこの俺考案のメニューでな、俺の可愛らしい姿を巧みに再現した自信作だ!」


見本写真には、デフォルメされた熊が丸まって眠っているように成形されたオムライスに、たっぷりとデミグラスソースがかかっている。とても可愛いらしく、美味しそうではあるものの、料理長とは似ても似つかない見た目である。

「美味しそう。魔王、僕はこれにするよ!」

「む、我は魔王ではなく.....、いやもういい。料理長、魔王鶏の親子丼と熊さんプレートを頼む。」


魔王は銀貨を出して二人分を注文する。料理長は含みありげに笑ったが、何も言わずに厨房に指示を出し始めた。だが、目ざとく見つけた者は他にもいた。

「あら~、魔王様、アルスちゃんの分も払うの?」

「ああ、まあな」

「もしかして、総督プレイの代金?」

「おい、人のことを変態みたいに言うな」

「......パパか、」

「おいカラス、その続きを言ってみろ」

「いやしかしな。なぜ魔王様が払うんだ?」

「む、いやそれはだな......」


アルスの事情が事情なだけに、魔王は思わず口ごもる。

「......やっぱりパパ、」

「違うわ!」

「じゃあなんで」

「僕がお金無かったからだよ」

凍る空気。

元勇者ともあろうものがお金がないともなれば、多少なりとも勘ぐってしまうのは仕方がないだろう。


「......なぜ?」

「カラスちゃん!」

「人の王は勇者に鉄剣一本の金しか寄こさなかったらしい」

「え、それ本当?」

「......うん。てっきりそれが普通だと思ってた」

「......にしたって民を救えば自然と礼は貰えるもんだろう」

「笑顔は金で買えないだとさ」

「いや、一宿一飯は頂いたよ。でも、ここまでのご馳走は初めてだ」

「......」

再び静まり返る一同。遠くで聞き耳を立てていた料理長も、涙ぐんでこっそりオムライスの量を増やす。更に大量のデミグラスソースを添えて。そしてしばらく考え込んだ後、ニッコリクマ印の旗を差した。


対して魔王は静かに怒っていた。

人類の希望、魔王の宿敵と言われた勇者。その実態のなんて酷いことか。魔王は己に問いかける。”これが我々が憎む相手なのか”と。答えは否。魔王は正しく敵を理解した。倒すべきは勇者ではなく、人の王であると。そしてそれまでは、人類の希望として勇者が必要なのだと。


運ばれてきた熊さんプレートに喜ぶアルスを見て、魔王は決意した。

本人も気づいていないが、アルスが魔王にもたらした変化は大きい。そしてそれは他の者たちも同じようだった。

「......デザートくらいなら奢ってやる」

「え?」

「おいカラス、悪いもんでも食ったのか?」

「あらあらあら。アルスちゃん、ここはお言葉に甘えましょ、カラスちゃん実は甘党なのよ」

「おい待てスネア。なぜ貴様も頼もうとしているんだ」

「あら、いいじゃないの。ねえ、アルスちゃん」

「え、ええと......」

「スネア、あまりアルスを困らせてやるな」

「あら、じゃあ奢ってくださる?さん」

「仕方ない、スネアの分は我が奢ってやろう。好きなものを頼むがよい」

「......総督プレイ」

「おい料理長、鶏肉のソテーを頼む。丁度生きのいい鶏が手に入りそうだ」


わちゃわちゃと騒ぎ出す一同に、つられてアルスも笑い出す。先ほどまでの静寂が嘘のように騒がしく、アルスは経験したことのない高揚感で胸が満たされるのを感じた。お腹いっぱいになった後も話は弾み、夜は次第に更けていった。




* * *


食後のデザートも食べ終わり、カラス、スネアとは別れた魔王と元勇者。向かう先は魔王城客間だ。

「魔王城にも牢はあるよね?てっきり僕はそこで寝泊りするものだと思っていたけれど」

「アルスよ。元勇者であるお前を牢に入れてみろ。和平など夢のまた夢になるぞ」

「あ、それもそうか。じゃあ魔王軍の宿舎は?向こうからたくさんの気配を感じるけど、あそこは宿舎じゃないの?」

「いや、その通りだ。だが今はお前は客人だからな。しばらくは客間で過ごせ」

「......うん、そうだね。そうするよ」


アルスが大人しく引き下がったのは自分の立場を思ってのことだった。元とはいえ勇者であった彼女。当然、まだ信頼されているはずもなく、監視されやすい場所にいるべきだと考えたのだ。


対して魔王はといえば、元とはいえ勇者であったアルスが恨みを持った魔族に襲われないように、という配慮であった。無論、アルスの実力は心配していない。なにせ宿舎から離れた位置でも魔族の気配を感じ取れるほどだ。だが、面倒ごとは少ないに越したことはない。こと彼女にとっては敵地のど真ん中。少しでも快適な場で休むべきだという思いやりである。


「ほれ、ここが客間だ」

「なに、ここ......」

「む、お気に召さなかったか?我の私室と造りは同じだったはずだが」

「広すぎない?」

「まあ、団体客が来ることもあるからな」

「部屋、間違えてるわけではない......んだよね」

「そうだな」

「そっか」

アルスは呆然として二の口が次げない。

それもそう、アルスとしては客間と言えど捕虜用の部屋であると思っていた。しかし実際はどうだ、窓には鉄格子一つすらない。それどころか窓がでかい。でかすぎる。


夜に輝く城下町はアルスを歓迎しているかのようだが、当の本人は困惑するばかりだった。


「なんか、落ち着かなくて眠れないかも」

「ああ、普段は野宿だったのか?」

「そうだね。教会がある街では泊まらせてもらったりもしたけど」

「ふむ、どうしたものか」

「あ、いや、不満があるわけではないから。むしろこれだけの部屋を用意してもらって感謝している」

「む、そうか」


しかしアルスが何と言おうが魔王は不満げであった。魔王にとっては、これから魔王軍に所属する者に快適な休息を提供するのは義務である。更にはアビス個人としても、目の前の少女一人もてなせないというのは耐えられないことなのだ。


「よし、少しここで待っていろ」

「え、あっ、......行っちゃった」

魔王は指を鳴らすと姿を消した。彼の家ともいえる魔王城であれば、高位の転移術式など容易いものであった。


一人残されたアルスは仕方なくベッドに腰掛ける。が、想像以上に体が沈み込んでしまい、足が宙に浮く。

思わずキョロキョロと辺りを見回すアルスだったが、当然近くには誰もいない。久方ぶりの安息地に、アルスは息を漏らす。

「あ、そうか。魔王はそのために......」

「我を呼んだか?」

「うわぁっ!!」


思わずのけ反るアルス。ベッドに倒れこみ、四肢を投げ出す。乙女からすればあまり見られたくない姿に、アルスは顔を赤くして怒る。

「魔王!は、入るときはノックを......!」

「ああ、すまぬ。これに関しては本当に申し訳ないことをした」


おろおろとする魔王を前にはアルスも怒るに怒れず、結果、アビスが手に持つそれを指摘することにした。

「もう、いいけど......。その手に持っているのは何だい?」

「ん、これか。クマのぬいぐるみだ」

「それは見れば分かるけど」

「熊の絵本も持ってきたぞ。生憎クマのコックさんは見当たらなかったが」

「僕が聞きたいのは、どうしてそれをってこと」

「む、お前は眠れないのだろう?」

「......?」


的を得ない回答に、アルスは首を傾げるしかない。だが魔王には何が分からないのか分かっていないようだ。

「眠れないときは、ぬいぐるみと絵本が相場と決まっていよう」

「アビス。君は僕を馬鹿にしてるのかい?」

「何を言うか。誰しもお気に入りのぬいぐるみと絵本は持っているものだろう」

「それを言うとアビスも持っているってことになるけど」

「それはそうだろう」

「え」


思わず絶句するアルス。

だがそんな様子に気づく素振りもなく、アビスは話を続ける。

「こっちはクマのくまごろう。絵本は熊のシチューだ」

「......もしかして、それはアビスの?」

「そうだぞ。我のが不服であれば別のを見繕ってくるが」

「いや、嬉しいよ。ありがとう。......でもこんな魔王は見たくなかった」

今回に限ってはアルスのほうが大人の対応であった。




魔王アビスとも別れ、部屋にはアルス一人。

広く孤独の部屋ではあったが、暖かい寝床は多少の不安を跳ね飛ばすほど幸福だった。勇者として戦いに明け暮れてきたアルスにとって、まともな寝床は随分と久しぶりで、なおかつ上質なベッドなど初めての経験だった。


だが、そんな幸せな環境だからこそ、勇者は思案する。

(僕は今、すごい幸せだ。でも、民を差し置いて、こんなことが許されるだろうか)

脳裏をよぎるのは、置いてきた家族のこと。そして共に旅をした仲間達。もし今の僕をみたら、一体なんと言うだろうか。


心に生まれた不安は、夜の闇に増殖していく。あったまってきた体とは対照的に、アルスの心はひどく冷え込んでいく。


しかし、そんな心に希望が差し込むように、窓から入り込んだ月明かりが枕元を照らした。照らされたクマのぬいぐるみと目が合い、思わずアルスは笑ってしまう。

「......くまごろう。......ふふっ」

アルスはぬいぐるみを持ってきた魔王を思い起こす。


かの邪知暴虐の王がぬいぐるみを持っていること。そしてその名づけのセンス。魔王鶏を美味しそうに食べるアビスに、食堂での優しいひと時。不安ばかりであったアルスの期待をハチャメチャに壊していった高揚感は、今もまだ胸の内に残っている。


(......今日は、楽しかった、な)


暖かいベッドの中。

気付けば、クマのぬいぐるみを抱えた少女はすやすやと寝息を立てていた。



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