第1話 食堂へようこそ

「それで、福利厚生とはなんだ」


なっがい廊下を歩きながら、勇者が魔王に聞く。

一通り密約を交わし、魔王も配下に勇者のことを伝達したところ、どうやら勇者は魔王城の後ろにある崖を登って潜入してきたらしく、城内の被害はわずかなものであった。


「なんだ勇者、福利厚生も知らんのか」

「ん、僕だってそれくらいは知っているよ。けどここは企業ではなくて軍じゃないか」

「そうだな。だが軍は何処よりも危険な職場だ。ならば何処よりも生活が保障されねば志願者などおるまい」

「志願者って、徴兵すれば良いんじゃないの?」


魔王はまじまじと勇者の顔を見る。そしてどうやら本気で言っているらしいことを悟ってため息をついた。


「勇者よ、お前がいた国は相当劣悪らしい。徴兵令は本来自国を守るためにこそ発動すべきものだ。無理やり国のために働かされ士気の上がる奴がどこにいるんだ」

「いや、国の為に戦うことは民の誇りでしょ?僕の両親だってそう言っていたし」

「それは洗脳というものだ。国は国民なしでは動かぬ。民の幸せが国家の幸せぞ」


今度は勇者が魔王を見つめる番だった。祖国ではいつだって魔王が絶対悪だと教えられてきた彼女にとって、隣を歩く男が邪知暴虐の王とは到底思えなかった。

「君は魔王らしくないね」

「それはそうだ。魔王などなるつもりはなかった」

「そうなの?」

「ああ。元はいくつもの民族国家、いや、国家にも満たない集落の集まりだった。だが侵略を受け、我がそれぞれの族長の橋渡しをして今の魔王軍が成ったのだ」

「そうなんだ」


勇者は思い悩んだ顔をしている。恐らくは今まで信じてきた歴史と真実との差に言葉を失っているのだろう。魔王はそれに口出しすべきではないと思った。それどころか、容易く魔王の言葉を信じる勇者の幼い心を心配さえした。


「それより勇者よ。お前、名は何という?」

「え、ああ。僕は勇者アルス。いや、元勇者で今は魔王軍のアルスだ」

「ふむ。アルスか、良い名だ。我は」

「いや、知っている。邪知暴虐の王マキアでしょ?」

「違う。魔王軍総督アビス・マキアだ」

「そうか、そうだね」


元勇者アルスは意を決したように魔王へ向き直った。

「魔王アビス・マキアよ」

「だから総督だ」

「勇者として、人間のこれまでの行いを謝罪したい。本当にすまなかった」

「......うむ。魔王アビス・マキナが許そう。」

「ありがとう。これからよろしく頼む、総督」


何処か吹っ切れたように笑うアルスの顔は、勇者ではなく、一人の少女の顔そのものだった。

「それで、僕らは何処に向かっているんだい?」

「む、言っていなかったか」

「うん、てっきり演習場にでも行くのかと思ったけど、もう通り過ぎたから」

「なに、紹介してやろう。丁度今着いたところだ。」


魔王はひと回りでかい扉を開く。

「よく言うだろ、腹が減っては戦はできぬ!」


扉の先にはきらびやかな空間。シャンデリアに照らされた広い空間には長机と椅子が所狭しと並べられ、数人が食事を取りながら談笑していた。

「食堂へようこそ」

「ここは」

「魔王城併設の食堂だ。魔王軍をはじめ、魔王城で働くものであればいつでも飯が食べれる」

「いつでも?」

「ああ、夜行性の魔族もいるからな。当然そやつら以外でも働けるし食えるが」

「なるほど」

「で、何が食いたい?」


アビスはあまり人目に付かない席に誘導すると、ドカッと座りメニューをアルスに差し出した。

「僕も食べて良いの?」

「お前は魔王軍だろ」

「そっか」

「そうだ」

「けど、生憎僕はこの国の通貨を持ち合わせていないんだ」

「いや人間国の通貨も使えるぞ」


アビスはメニューに書かれている値段を指さした。アルスが見ると、確かに見慣れた単位が書かれている。

「え、なんで?」

「お前と違って賢い奴は亡命するってことよ」

「なら僕もだ」

「......確かに。まあどちらにせよ給与が出るまでは奢ってやる」

「え、給与が出るの?」

「逆に勇者は出ないのか?」

「......」


黙り込む元勇者を前に、魔王はため息をつく。

「なんともまあ。だが王は旅支度に金を用立てたのだろう?足りなかったのか?」

「ロングソードが一本」

「ん?」

「鉄のロングソードを買って金は尽きた」

「......」


今度は魔王が黙り込む番だった。

「アルスお前、一体今まではどうしてたのだ」

「村や町で困りごとを助けるお礼にご飯を頂いてた」

「むう、聖職者でももっと要求するぞ」

「いや、争いごとよりはよっぽど好きだったよ。喜ぶ顔が僕の救いだった」

「そうか。だがここの飯も誰かの喜ぶ顔と同じくらい幸せだぞ」


魔王はガハハと笑うと、アルスに注文を促す。

「さあ、何が食いたい?」


アルスはメニューをしばらく睨みつけるが、やがて観念したかのようにメニューを魔王に返した。

「あー、総督は何にするの?」

「ん、我か。我はこの”魔王鶏のたっぷり親子丼”だな。食堂に来たときはいつもこれを頼んでいる」

「なんか、不敬な名前じゃない......?」

「そうか?結構な人気メニューでな、我としても鼻が高いもんよ」

「そうか......。なら僕も同じものにしようかな」

「む。言っとくがこの親子丼は量が多いぞ。巨体な魔族でも満腹になるよう作られたメニューだからな。」

「え、そうなの?流石に食べきれないかな」

「ああ、だから別のを選んだ方がいい」


だが一向にアルスはメニューを開く気配がない。訝しむ魔王を前に、アルスはバツが悪い顔をして言った。

「実は、その、文字が読めなくて」

「なぬ、言語は同じだったはず......ああいや、勘違いだった。忘れてくれ」

「総督、気を使ってくれて有難いけど、演技下手」

「む。それはすまない」


勇者は庶民の出であった。人間国の国王は傲慢で、貴族の利権と領土の拡大のことばかり。義務教育が設置されているのは王都ぐらいで、識字率は二桁もいけば良い方であった。かくいう勇者も文字は読めない。

「ならカウンターに行こう。あそこなら上に見本写真が貼ってある」

「あ、本当だ。すごく美味しそう。魔族は毎日あれが食べれるんだ」

「フハハ、その通り。そしてこれからはアルス、お前もな」


言うや否や、席を立ってカウンターに向かう魔王。アルスは慌ててアビスの後を追う。その足取りはどこか軽やかに見える。


カウンターからは奥のキッチンが見える。中にいる魔族は忙しそうで、どうやらコックさんが明日の仕込みをしているようだった。

そして、カウンターの前には二人の魔族。アルスは反射的にアビスに体を寄せる。

「あら、かわいいお客さんじゃない。その子が例の?」

「初めまして。勇者の、じゃない、元勇者のアルスです」

「今日から増える新しい仲間だ。スネア、カラス、仲良くしてやってくれ」

「......ふん」


蛇のような細く長い舌をちらつかせる妖艶な魔人。もう一人の男はフードをかぶっていて顔は見えない。だが、アルスには聞き覚えがあった。

「四天王、賢者と聖騎士が足止めしてた......!」

「アルスよ、引き合わせたのは我のミスだ。だが」

「分かっているよ。ただ、二人はどうなったのかは聞きたい」


仲間が戦っていた相手が生きている。つまりはそういうことだろう。

「殺した、と言ったら?お前は俺をどうする?」

「ちょっと、カラスちゃん!」

「......どうもしない。ただ供養はしたい」


じっとアルスの目を見るカラス。まっすぐに見つめ返すアルスの目は澄んでいて、人類の希望足る力強さが、そこにはあった。


「......フン、奴には逃げられた。今頃は国に戻って泣いているさ」

「......!」

「あらあら、素直じゃないんだから。ウチは痛み分けってとこかしらね。どっちも足止めしたいだけだったから、向こうもそう深手は負ってないはずよ。」

「......そうか。ありがとう」


涙を隠すように俯くアルスの後ろで、魔王は黙って見守っていた。

「ほれ、アルス。さっさと頼むものを選べ。我は腹が減ったぞ」

「うん。何か総督のおすすめはあるかい?」

「......総督?」

「あら、魔王様ったらまたなの?」


睨まれる魔王。肝心のアルスはきょとんとしている。


「......総督は魔王様の趣味だ。実際に呼んでいる奴はいない」

「えぇ!?僕騙されてたの?」

「趣味ではない。我の肩書は正しく総督であるぞ」

「もう、みんな魔王様って呼んでるんだから。諦めなさいな」

「いや諦めん!我は総督だ!」

、そろそろご注文を」

ずっと世間話を続けるアビスとアルスを前に、痺れを切らした料理長が詰め寄ってきた。


「むう、弱ったな」


八方ふさがりな魔王様に、四人はドッと盛り上がるのだった。

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