7-07

 彩音が目を覚ますと、そこは病院だった。全身を倦怠感が包む中で、それでも身を起こそうとした時、右腕に鋭い痛みが走ったのを、彩音は今でも鮮明に覚えている。


 その時は、まだ何も分かっていなかった。その右腕が、もうピアノを奏でることは出来なくなったことも、そんなこと、考えもしなかった。


 彩音が思い出したのは、意識を失う直前の記憶。服が水を吸って重くなったのを感じながら、沈んでしまいそうなダンボールへと、ようやく辿り着いた、その時だった。


 何か――それが何なのかまでは覚えていない。ただ、濁流に流されてきた何かが彩音に衝突し、身体の右側に激しい衝撃が走ったというだけだ。その直後、彩音は意識を失った。


 意識を失う直前に見たのは、自身と共に流されていくダンボールのこと――


 だからこそ、彩音は目を覚ました当初、子猫はどうなったのかと、そればかりを心配していた。だけど周りの家族や医師は、それどころではない、と言わんばかりに慌ただしい。


 何が起こったのか、彩音は徐々に理解していく。いや――理解していっても、納得に至るのはずっと後だった。何度も通院と診察を重ね、再三に渡って『そのこと』を告げられて、ようやく納得に至ったのだ。




 ――彩音の右腕は、もう二度とピアノを奏でられないのだと――




 リハビリをすれば、日常生活に不自由しない程度までは、回復する可能性もある。


 だけど――ピアノは弾けない。少しでも重い物を持つのは無理だし、右手を使う運動だって出来はしない。不自由になったのは、何もピアノのことだけではないのだ。


 ただ重くて、煩わしくて、時々走るように痛むだけの右腕。その右腕に、彩音の心が引きずり落とされていくのにも、それほど長い時は要さなかった。



 結局、猫は助かっていた。しかし、彩音が助けたわけではない。溺れている彩音を救助した者達が、そのついでという形で猫も助けていたのだ。


 自分は何も出来なかったのだ、と彩音は思う。ただ、己の無力を鑑みず、無謀にも濁流へと身を乗り出して、勝手に怪我をし、勝手に大切なモノを失っただけなのだと。


 ――つまらない事故の、なんともつまらない結末だ――

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