7-05
彩音はナナシに連れられて、大きな客間のような部屋へとやって来た。以前、リリエラに料理を作ってもらってからは、よく訪れるようになっていた部屋だ。
今日はよく引きずられる日だ、と彩音は落ち着きを取り戻した頭で考えている。とはいえ表情は沈み、屈み込んでいる彩音の顔を、ナナシが横から覗き込むようにして見た。
「おねえちゃんさ、やっぱり猫、嫌いじゃないでしょ」
「……そんなこと、ない……」
呟いた彩音の右腕が、つきりと痛む。体育座りの体勢になっていた彩音が、左手で右腕の痛む箇所を握り締め、小さく呟き始めた。
「……猫のせい、なんだもの……私の右腕、こんな風になっちゃったの……だから、嫌いなのよ、猫なんて……大嫌い、なんだから……」
俯く彩音の脳裏には、怪我を負った際の記憶が蘇っていた。
――それほど珍しくもない、つまらない話だ――
―――――――――――――
ピアノに触れれば神童と、誰もに褒められ称えられようと、彩音はただの女の子だった。
楽しければ普通に笑うし、悲しいことがあれば落ち込むこともある。少し内向的で世間知らずな面もあるが、他の子と同じように学校へ通う、普通の女の子だった。
ある日のこと、彩音は下校中に、河川敷で捨てられている子猫を見つける。
生まれてから二、三ヶ月経っているかいないかという程度の、真っ白な毛並みの子猫。お決まりの『拾ってください』とさえ書いていないダンボールを見て、彩音はその無責任さに腹を立てた。
拾って帰ろうか――彩音はその場で、どれほど悩んだだろう。家は一戸建てだし、猫を飼うには問題ない。飼えないにしても、誰か飼い主が見つかるまで、居場所をあげることくらいは出来るはずだ。
だけど、父親が猫嫌いだったような気もする。侵入してきた野良猫に庭を荒らされ、目くじらを立てていたこともあったくらいだ。猫に怒っても仕方ないだろうに。
迷い続けた彩音だったが、結局、猫を連れて帰らなかった。他の誰かが拾ってくれるかもしれないし、元の飼い主が考えを改める可能性だってある。
いや――それは言い訳か。彩音はただ単に、積極的になれなかっただけだ。
ピアノ以外のことには自信が持てず、些細な人付き合いさえ敬遠してしまうほど、消極的な性格。だからこそ彩音は、か細く縋りつくような鳴き声に後ろ髪を引かれ、再三に渡って振り返りながらも、それでも連れて帰るという決断には至れなかったのだ。
――間違いがあったというのなら、それが最初の間違いだった。
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