7-03
もし、ナナシの言うことを鵜呑みにするのなら、大男がしつこく彩音を狙ってくるのは、それが原因なのだろうか。
そう思うと、彩音の心は微かに痛む。大男が《理性》を失った原因が、ロケットの女性と関係があるのか、そんなことは分からないが――彩音は、何だか無性に寂しさがこみ上げてくるのを、鮮明に感じていた。
「……お、おね、おねえちゃん……あの、ごめん、ちょっと……」
大男は、失った《何か》を求めて、万魔殿を彷徨っているのだろうか。失った《理性》のために、それが二度と戻ってこないことに気付けず、彷徨い続けているのではないか。
「おねえちゃんってば……ねえ、ねえってば!」
目の前に現れる人々に《その人》の面影を投影して――彼はただ、求め続けているだけではないのか。寂しくて、悲しくて――《理性》を失ってしまうほど、狂おしい想いを――
「おねえちゃん聞こえてる!? ホントに……やばいってば!」
「……もうっ。ナナシくん、さっきからなにが――」
ナナシの呼び声にようやく顔を上げた彩音が、ナナシ以外の視線に晒されていたということに、ようやく気付く。
「グルゥ……オォァア……?」
「…………」
彩音が恐る恐る顔を更に上げると――大男の異様に大きな眼球の中に、自身の姿がくっきりと映っているのが見て取れた。
「………きっ」
「グボァアァァァア!」
「きゃあぁぁぁぁっ!」
彩音の悲鳴と同時に、大男が勢い良く襲い掛かってくる。その丸太のような腕が、あわや彩音を捕らえようとした、その寸前――
「おねえちゃん、危なーいっ!」
「あっ……きゃあっ!」
間一髪、ナナシが飛びついて、彩音を救出した。噴水脇から二人して転がり落ち、ナナシが先に地面に叩きつけられ、その上に彩音が覆い被さる。
「むぎゅっ」
「あっ……ナナシくん、ご、ごめんねっ!」
「う、ううん、いいよ、コッチこそ誘った責任あるし、ごめんね? あーでも、今は……そんなコト言ってる場合じゃないかなぁ?」
「あっ。……っ!」
ナナシの言う通りだ、謝っている場合ではないことを、後ろから迫ってくる気配によって彩音は察した。
けれどそこで、彩音は果敢にも振り返り、大男と真正面から向き合う。
「ちょ、ちょっと待ってっ!」
「……グォ?」
彩音の思わぬ行動に、大男が首を傾げていた。もしかしたら言葉が伝わっているのかもしれない、と判断した彩音が、説得に取り掛かる。
「あ、あの……あの、ね? そんな風にして、人を襲ったりしちゃ、ダメだと思うの。あなたが何を失っているのか、何がしたいのかなんて、私には解らないけど……でも、あの、そんなことしたって、あなたの欲しいものは、手に入らないんじゃないかな~……って。だからもう、こんなこと、やめて……ね?」
「……グルゥ……?」
彩音の説得は、大男に伝わっているのだろうか。相変わらず首を傾げて低い唸り声を上げ続ける彼からは返答などないし、全く判らない。
ただ、ナナシは横から、こう口を挟んできた。
「いやあ、おねえちゃん……コイツは《理性》を失ってるわけだからさ」
その続きをナナシが紡ぐのと、ほぼ同時に――
「説得しても、意味ないと思うよ?」
「グボォオァァァ!」
雄叫びを上げた大男が、気を取り直して襲い掛かってきた。
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