7-02

 複雑に入り組んだ万魔殿の中でも、初めての通路だった。ナナシが先導する先には、一階と二階とが階段で繋がった、吹き抜けの広間がある。


 広間の中心には――相変わらずどこから水が来ているのかなどは分からないが、大きな噴水があり、透明な水を緩やかに吐き出し続けていた。


 その噴水の脇側に、例の大男が腰掛けて俯きながら、時々小さく唸っている。


「ぐる……るぅ……」


 手に持っているのは、写真や絵を入れることの出来るロケットだろうか。大男が持つにしては明らかにサイズが合わないため、不自然なまでに小さく見える。


 大男はそのロケットの中に、何を見ているのだろうか。何であれ、いつも暴れ回っている彼がそのようにして佇んでいるのは、彩音から見れば物珍しく思える。


 と、そこでナナシが、得意満面の表情を彩音に見せ付けた。


「ねっ? アイツ、休んでるでしょ?」


「な、ナナシくんっ……声出したら、気付かれちゃうわよっ」


「だーいじょうぶだって! よいしょ、っと!」


 声を潜める彩音とは対照的に、ナナシはいつも通りに明るい声を上げ、軽やかに跳ねながら大男に近づいていった。


「そ~れっ、つんつんっ!」


「な、ナナシくん~……! もうっ、危ないったらぁ……!」


「今なら平気だってば、ほら、見てごらんよ」


「見て、って……あ、あれ?」


 ナナシにつつかれても、大男は微動だにしない。相変わらず俯いてロケットを眺め続け、たまに低く唸っているだけだ。


「……? ほ、本当に、大丈夫なの?」


 彩音は忍び足で、大男に恐る恐る近づいていく。いつでも逃げられるよう心の準備はしていたが、その心配は杞憂に終わった。


 ――思った以上にあっさりと、その傍らまで辿り着けてしまったのだ。


「……あ、あの~……?」


 彩音自身、信じられないことだが、勇敢にも大男へと声を掛ける。しかし何の反応も返ってこず、彩音は更に勇気を出して、ナナシがしたように大男をつついてみることにした。


「え……えいっ」


 彩音の小さく細い指先が、大男の大木のような腕をつつく。しかしやはり何の反応もなく、相変わらず低い唸り声だけ発している大男を見て、彩音はようやく警戒を解いた。


「………はぁっ」


 襲われないと分かれば、妙な緊張感もどこかへと消え失せるものだ。


 こうして大人しくしている分には、ただの大きな人だとさえ思える。俯いて小さな唸り声を上げている様子は、何だか動物のようで、愛着まで湧いてしまいそうだ。


「……ふふっ、変なの」


 大男にしてみれば深々と腰を下ろす体勢で座っていた噴水脇に、彩音も座ろうとする。彩音から見れば少し高い位置にあったため、僅かばかりの苦労は伴ったが。


 何だか彩音には、不思議だった。いつも顔を合わせれば追い掛け回され、最近は慣れてきたといっても、怖い思いばかりさせられてきたというのに、今はこうして隣に座っている。


(――彼は一体、どうして《理性》失ったのかしら――)


 不意にそんな思いが頭をもたげ、彩音は大男のほうを見た。


 大男は、小さなロケットの中身を、ずっと眺めている。彩音は腰を下ろしていた噴水脇に立ち、大男の異常に大きな肩越しに背伸びをして、ロケットの中身を覗き込んだ。


 そこにあったのは、精細に描かれた人物画。その絵の中心で微笑んでいるのは、女性だった。彩音と同じくらいの年頃だろうか、幼さは窺えるが、美しい造形である。


「その絵の人さ、おねえちゃんに、ちょっとよね」


「……えっ?」


 彩音にはそんな自覚などなかったものだから、ナナシの言葉に思わず戸惑ってしまう。


 大男の隣に座りなおした彩音が、沈んだ表情で俯いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る