6-06 第六幕ラスト

 ナナシの部屋には、簡素な作りの木のベッドと、こじんまりとした机に、腰掛けるための椅子くらいしか置いていなかった。最初からこういう部屋だったわけではない。最初など、藁で作った寝床くらいしかなかったのだ。


 色々な住人と交流し、時々部屋の中を見せてもらって、ナナシは多くの世界を知った。その中で、特に必要とした物だけが、ナナシの部屋にいつの間にか湧いて出ていた。


 ちょっと欲しいな、と思った程度の物は、出てくることもなかったが。


「あ、おねえちゃん、適当なトコに座っててよ」


「えっ? あ、うん……」


 立ったまま部屋の中を眺めていた彩音に声を掛けたナナシが、明らかに緊張している彼女の様子を訝しがった。


「……おねえちゃん、なんか緊張してる?」


「へあっ!? ち、ちがっ……違わ、ないけどっ。わ、私その、男の子の部屋って、初めてだから……っ」


「そうなんだ? あははっ」


 軽はずみに笑うナナシだったが、彩音の緊張が伝染してしまったのだろうか、何やら気恥ずかしい気分になってしまう。ベッドの横腹に腰を下ろして、少しだけ赤くなって俯く彩音を横目で見ていると、その気恥ずかしさが増してしまうようだった。


 二、三度、自分の顔を両手で叩いたナナシが、変な気分になってしまいそうだったのを自制する。それを見ていた彩音は、不思議そうに首を傾げていた。


 さて、と口にしながら、ナナシは机の辺りで探し物を始める。


「え~、っと……どこに仕舞ったんだっけ」


「ナナシくん、探し物?」


「うん、おねえちゃんに、あげたい物があるんだ」


「……えっ?」


 呆気に取られた声を上げる彩音を尻目に、ナナシは探し物を続けた。ここでもない、ここじゃなかったっけ、と何度か捜し続けてから、ようやく目当ての物を見つけ出す。


「あったあった! よかったー、無くしちゃったのかと思ったよ」


 そう言ってナナシが取り出したのは、一本の鍵だった。


 いつのことだっただろうか、ナナシが万魔殿を探検していて、その時に見つけた鍵だ。


 どの部屋にも鍵穴はなく、施錠されているところなど見当たらない万魔殿において、何のための鍵だろう、と悩んだナナシは、主であるアスモデウスに直接尋ねた。


 アスモデウスはその鍵を見て、こう言った。


『意味の無い、単なる鍵の形をした飾り物じゃ。欲しければ別に、くれてやるぞ』


 特に大切な物、というわけでもなかったらしい。


 だけどナナシは、せっかくだからと、その鍵を貰うことにした。その理由は、この鍵を見て惚けている彩音が示すように、酷く単純である。


「綺麗――」


 思わず彩音が呟いた通り、その鍵は見る者を魅了する美しさを秘めていた。


 金色に輝くその鍵には、錆びなどまるで見当たらない。取っ手の部分には、室内を照らす蝋燭の灯りを反射して煌めくアメジストが、悠々と佇んでいる。


 ただ単に美しいというだけではない。深遠な輝きを放つその宝石は、じっと眺めているだけでも、文字通り吸い込まれてしまいそうになる不思議な魅力を持っている。


 ナナシはその鍵を、半ば放心状態にあった彩音に差し出した。


「はいっ、おねえちゃん」


「……あ、えっ? な、なに?」


 その意図を理解できず戸惑う彩音に、ナナシは白い歯を見せながら微笑んだ。


「この鍵、おねえちゃんにあげるよ」


 いきなりそんなことを言われても、と混迷を深める彩音が、ナナシに尋ねてくる。


「でも、これ……ナナシくんの大切な物じゃないの?」


「ん~、確かに綺麗だし、お気に入りだけどね。でもさ」


 ナナシは、回りくどい言い方は出来ない。ただ素直に、言葉を投げかけるだけだ。


「おねえちゃんにあげたいって思ったから、そうしてるだけだよ」


 真っ直ぐな言葉と視線をぶつけられた彩音は、ぼっ、と顔を赤くする。ナナシからは目を逸らしながらだが、差し出された鍵は受け取ることにしたようだ。


「……そ、それじゃ、ありがたく……あの、頂くわね」


 遠慮がちに受け取った鍵を、彩音はまだ赤いままの顔に近づけ、しげしげと眺めた。


「でも、これ……何の鍵なの? 万魔殿で鍵穴なんて、見たことないんだけど」


「うん、アスモデウス様が言うにはね、ただの飾りなんだってさ」


「……ふふっ、なにそれ。変なのっ」


 口元を指先で軽く押さえて笑う彩音を見て、ナナシはまた、不思議な気分に陥る。それがなんなのかは、相変わらず分からない。だけど嫌なものでは、決してない。


 けれどナナシには、その感情を上手く形容できなかった。ただ、この人のために――彩音のために、何かをしてあげたいと、心からそう思うことがある。


 どうしてそんな気持ちになるのかも、説明することはできない。だけどナナシは、彩音の笑顔を見ながら、度々こんなことを思うのだ。


「ナナシくん……本当に、ありがとう」


 ――ああ、この人に『ありがとう』と言われるのは、なんて心地よいのだろう――と。

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