6-04
それから先、ナナシは《案内人》として、万魔殿への来訪者を案内し続けた。
意外と素直に言うことを聞く者もいれば、錯乱して話にすらならない者もいたし、初めの大男のように聞く耳を持たぬ者もいる。中には、アスモデウスの下へ挨拶にも行かず、勝手に万魔殿へ住み着く者もいた。
数え切れない来訪者を案内し続けてきたナナシだが、少なくともそうしていて退屈はしなかったし、新たな住人から面白い話を聞くことも出来た。
万魔殿から去っていく住人も数え切れなかったが、それを寂しいなどと思うより、新たな来訪者を案内するのに手一杯だ。
ナナシよりずっと後に、リリエラもやって来た。一度は万魔殿を追い出される形となった彼女だが、再び戻ってきて、それからはずっと万魔殿に住んでいる。まともに――まともにとは言えないかもしれないが、ちゃんと会話できるという意味では貴重な住人だ。
あの不思議な黒猫――ナナシは勝手にクロと名付けたが、クロは一体いつから万魔殿にいたのか、見当もつかない。いつの間にか万魔殿にいて、ナナシを驚かせた。
もしかしたらナナシが知らなかっただけで、先住人……先住猫という可能性もある。
万魔殿にいる者は、主を含めて誰もが変わり者で、恐らくナナシ自身もそうなのだろう。そう思うと――独りではないのだと思うと、ナナシの心は何だか時々、締め付けられるような、たまらない気持ちになってくるのだ。
数え切れない来訪者を案内し続けていたナナシが、万魔殿の入り口の扉を眺めながら、小さな疑問に駆られる。
――自分がここから出たら、どうなってしまうのだろう、と。
アスモデウスからは、禁じられていた。ナナシにとって決して犯してはならぬルールと、何度も釘を刺されていたのだ。
ナナシ自身、自分が元いた世界になど、何の未練もない。あの場所にいても、死をただ待つばかりだったし、楽しかったことなど一度もなかった。
だけど、なぜアスモデウスはナナシに、あれほど念を押したのだろうか。好奇心旺盛な少年は、興味を持ってはならないのだと頭の片隅で理解しながら、それでも考えてしまう。
ナナシが万魔殿の入り口の、見るからに重そうな扉の前に立つ。他の人間がこの扉を前にどのような印象を覚えるのか、ナナシには知る由もないが、彼にとって扉の隙間から微かに流れ込んでくる空気は、刺すような冷気に感じた。
ごくり、生唾を飲み込み、少年の小さな手は扉に触れた。
それと同時に――不思議なことだ、ナナシは全てを理解する。
ここを出れば、自分は生きてはいけないのだということ――存在そのものが、一瞬にして消え失せてしまうのだということ。
次に扉へと触れた時は、もう何も感じなかった。開けようと思えば開けられる、見た目には酷く重そうだが、羽毛のように軽い扉が目の前にあるだけだ。
だけどナナシはもう、扉を開けようとは思わなかった。
もしかしたら、先ほど扉を触れた時に全てが理解できたのは、アスモデウスによる最後の警告だったのかもしれない。だとすれば、何ともお優しい大悪魔である。
扉の向こう側に、ナナシの求めるモノは何もない。扉の向こう側は、ナナシを必要としてなどいない。
扉の向こうの《世界》には――もう、自分の居場所はないのだ。
ナナシの存在を許してくれる《世界》は――万魔殿だけなのだ。
ナナシは万魔殿でしか存在できない。そのことを理解しても、ナナシが悲嘆にくれることは全くなかった。
どちらにせよ、元いた場所に未練はない。ただ辛いことばかりだったあの場所で、何も知らず、何も考えずに朽ち果てていくよりも、ここに居るほうが楽しかった。
――万魔伝に、居たいと思った。
少年はその時から、万魔殿をこそ《世界》の全てとして見ようと決めた。
それで良いのだ。ナナシが、そう決めた。自分が何を失ったのかなど、どうでも良い。
それこそが、万魔殿における――ナナシの《自由》なのだから。
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