5-06
リリエラの部屋には、リリエラが必要とする物は全てが揃っていました。明日からは万魔殿の掃除をするのだから、ここにある使用人の服を着ることにしよう、とリリエラの心は弾みます。家具やベッド、身だしなみを整えるための大きな鏡台まで用意されていました。
そして鏡台に視線をやったリリエラは、自身の目を疑いました。何よりも大切な――大切だった方の姿が写った、あのセピア色の写真さえも、そこにあったのですから。
あの家を追い出され、せめてこれだけはと懇願しても、叶わず写真立てと共に取り上げられてしまった、大切なモノ。
リリエラは、久方ぶりに愛する人と再会できたような気がして、涙を流しました。大きな声で、あまりに大きな声で泣くものですから、ナナシ様が心配して様子を見に来てしまったほどです。それでもリリエラの涙は、一向に止まりませんでした。
ああ、ここには自分の必要とする《全て》があるのだと――リリエラは不器用な頭でそんなことを考えながら、その日は眠りにつきました。
万魔殿での日々は、リリエラにとっては何もかもが不思議で彩られていました。
上がっていたと思ったのに、いつの間にか下りていた階段。
どこまで歩いて行っても果てが見えない回廊は、だけど振り返れば、すぐに元の場所へと通じる扉が佇んでいます。
万魔殿の東の離れには合わせ鏡の部屋があり、鏡の中には時折ですが、見知らぬ誰かさんが現れるのです。
万魔殿は、それはそれは不思議な場所でしたから、リリエラは時々、やはり怖い思いもしたようです。とはいえその大半が、例の大男に追い回されている時であったようですが。
しかしそんなことよりも、リリエラには万魔殿での《楽しみ》が出来ていました。毎日の掃除もそうでしたが、それ以上に夢中になるものがあったのです。
それは、料理を作ることでした。
どこから出てくるのかも分からない食材で、リリエラは知り得る限りの料理を、ナナシ様や――時々ですがアスモデウス様に振舞いました。そして、万魔殿に訪れる新たな客人や、部屋に篭もっていたものの気まぐれに出てきた住人にも、なけなしの腕前を振るったのです。
特にナナシ様は、リリエラの作る料理を食べて、いつも笑ってくださいました。
『うん、すっごくおいしいよ! こんなの、今まで食べたことないや!』
『えっ? えへへ……あっ、ありがとうございますっ』
不器用だったその女は、リリエラは、料理にだけは唯一の自信を持っていました。愛する夫のため、昔はそれだけを考えて磨き続けていたものが、一度は居場所を無くしながらも、こうして再び蘇ったのです。
リリエラにはそれが何だか、嬉しくて、嬉しくて、たまりませんでした。
自分はこの万魔殿に居ても良いのだと、こうして笑って暮らしても良いのだと、誰かのために料理を作っても良いのだと――それが嬉しくて、どうしようもないほどに嬉しくて、堪らなかったのです。
――リリエラの心は、《幸せ》で満たされました――
――いいえ――《幸せ》で満たされてしまったのです――
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