4-04

「それで、アスモデウスさんは……なんて答えたの?」


「うん、それがねぇ……聞いてもさ、毎回答えが違うから、よくわかんないんだ」


「答えが、違う? ……毎回?」


「うん。はぐらかされてるのか、もしかして、からかわれてるのかなぁ?」


 は~、と長い溜め息を吐いたナナシが、一つずつ例を挙げ始める。


「《秩序》を失ったとか、背中の《羽》を失ったとか、信ずる《神》を失ったとか、果ては愛する《恋人》を失ったとかさ。アスモデウス様とは、そりゃあ長い付き合いだけど、正直なところ、僕はあの人のこと、ほとんど知らないよ。適当な性格ってことくらいしかね」


 その中に一つだけ真実があるのか、それとも全てが真実なのか、あるいは全てが嘘なのかもしれない。確かに、はぐらかされているようにも思える。


 それにしても、と彩音は疑問を口にした。


「アスモデウスさんとは長い付き合いって、ナナシくんはどれくらい、この万魔殿にいるの? 一年くらい?」


「えっ? 一年って、三百……何日くらいだっけ? いやあ、まあ……」


「あ……そんなに長くいるワケないわよね、ナナシくん、まだ子供だし……」


「その何百倍は、ここにいると思うよ。まあいちいち数えてないし、ここでの時間の流れ方って特殊だから、正確には分かんないんだけどね」


「――――――」


 これも何度目だろうか、彩音は耳を疑った。


 あまりにも予想を超えすぎている。桁違いの数字だ。


 真っ先に思い浮かんだのは、ナナシが失ったのは《年齢》――あるいは《歳を取ること》という可能性。しかし、それが生きるために必要なものなのかと、そしてどうすればそれを失えるのかと問われれば、甚だ疑問ではある。


 大いに混乱している彩音が、何とか振り絞るように質問した。


「え、え~っと……じか、時間の流れ方が、特殊? っていうのは、その……どういうこと?」


「あれ? おねえちゃん、気付いてない? ここではさ、時間なり空間なり、外とは完全に切り離されちゃってるんだよ。まあ万魔殿には時計とかないし、太陽も見えないから朝とか夜とかもないし、わかんないかもね」


「と、時計ならあるわよ、ほら、ここにっ」


 言いながら彩音がスマートフォンを取り出すと、ナナシが目を輝かせた。


「あっ、それ前に来た人が、なんか似たようなの持ってたかも! 折り畳んだりできるやつで……あれ? でも、なんか形が違うねー」


「折り畳む、って、携帯電話のことかしら……ま、まあ移り変わりが激しいっていうか、そういう物だから……とにかく、ほら、時計――あ、あれ?」


 スマートフォンの画面を表示した瞬間、彩音は違和感を覚える。画面に表示されているのは圏外のまま、それは昨日と変わらない。だがしかし、それが変わらないだけなら、まだ納得もできる――変わらないのは、時刻と日付も同様だったのだ。


 朝も夜も分からないような万魔殿ではあるが、さすがに一日程度は経っているだろう。それなのに、ここへ来る前と日付が全く変わっていないというのは、明らかに異常だった。


「……どうなってるの? こ、故障かしら……でも、ちゃんと操作できるのに……」


「だからさ、ちょっと特殊なんだよ。ここで過ごしてる限りは、歳だって取らないしね。それと時計が動かないっていうよりは――時を刻んで知らせようとするモノは、使えなくなっちゃうってだけだよ。その時計に他の使い道とかあれば、そういうのは使えるんじゃないかな」


 時計ではなくスマートフォンなのだが――しかしそれをいちいち説明するより、ナナシの話を理解するほうが労力を要する。ナナシの言葉を簡潔に飲み込むのであれば、つまり時計の機能は使えないが、アプリや通話などそれ以外の機能は使えるという――といっても、圏外なのだが。


 ――ひとまずそれは置いておくとしても、ナナシの言い分が本当なら、もしかしたら万魔殿から出ると、浦島太郎のようになってしまうのではないだろうか。しかしナナシは、それも立て続けに説明してくれた。


「アスモデウス様が言うには、本当に時間も空間も切り離されちゃってるらしくてさ、ここでは歳を取らないし、ここを出た場合は、その時計に出てるのと同じ、元いた時間と場所に戻るらしいよ。一回、外に出て帰ってきた人から聞いたんだけどね」


「そっ……えっと、そういう、ものなの……? ううん……」


 ますます混乱する彩音だが、とりあえずナナシが《年齢》を失ってここにいるという可能性は除外されたことを、付いていけず取り残され始めた思考で理解する。


 目を回しそうになる彩音を気遣ってか、ナナシは軽快に笑った。


「あははっ、まあまあ、適当でいいと思うよ、適当でさ」


「そ、そういうわけにもいかないわよ、もう……次々と変なことばっかり……」


「あはは……おねえちゃんは、気にしぃだなぁ」


 他人事のように笑うナナシは、本当に気にも留めていないようだった。


 と、そんなことを言っている間に、彩音とナナシの部屋の前まで到着したらしい。


「はあ……もう、頭がパンクしそう……」


 溜め息を吐きながら自室の扉を開けた彩音に、ナナシが部屋の外から声を掛ける。


「ね、ね、おねえちゃん、今日も部屋に入れるか、試してみていい?」


「えっ? あ、う、うん……い、いいけど……」


 躊躇いながらも了承の返事を返すと、ナナシは嬉しそうに足を踏み出そうとした。


「やったっ! よーし、今日こそはっ」


「……あっ」


 刹那、彩音の脳裏によぎったのは、ナナシの本当の年齢に関すること。

 ここでは歳を取らないというが、それはつまり肉体的な話であって、精神的には長い時を過ごしているのに変わらないのであるからして、だからつまり、それは――


「それじゃ今度こそ、お邪魔しま――」


 ナナシは彩音より、ずっと年上の――《男性》ということになるのではないか。


「――ぶぎゅるっ」


 踏まれた蛙のような声を出したナナシが、見えない壁にべったりとへばりつく。そんな彼を見て、彩音は申し訳なさそうに目を逸らしながら――


「……ぱ、パントマイム、うまくなったわね、ナナシくん」


 冗談を言う余裕くらいは出てきたようだ。

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