4-03

「それはね、僕も気になってアスモデウス様に聞いたんだけど、簡単なことだったよ。実は僕らだって、本当は言葉そのもので会話してるわけじゃないんだってさ。万魔殿にいる人達は、魂で会話してるんだよ」


「……? え、っと……魂、で?」


 ナナシが言うほど、それは簡単な答えではなかった。ナナシは純粋にそれを信じているようだが、ではなぜ口を動かし言葉を発しているのか、彩音の疑問は尽きない。


 しかしナナシは、そこまで見透かしていたわけでもないだろうが、疑問に答えてくれた。


「口を動かして喋ったりするのは、あくまで習慣なんだってさ。そうしないと相手に伝わらないっていう《思い込み》と、そうしてもらわないと聞こえないっていう《思い込み》があるから、僕ら人間は結局、喋るようにしないと会話できないんだよ。でも、言語? っていうのが違っても、イシソツーっていうのは出来るってことらしくて」


 軽い調子のナナシの説明で、ああそうか、と彩音の中で痞えていたものが流れ出す。


 正体が不明瞭なアスモデウスならともかく、リリエラやナナシは彩音と同じ人間に違いないが、しかし元いた世界の――生まれ育った国などは、全く別だろう。

 けれど今まで、会話に不自由したことは一度もない。ナナシはたまに単語などでつまづくことはあるが、たどたどしくなりながらも、きちんと言葉は伝わってくる。


 何気なく会話していたが、本当はとんでもないことだったのだ。本来なら言語が違う者同士で、こうも容易く会話が成り立つということは、つまり――


「まあ、会話に不自由しないから便利、ってことだよね」


 ナナシにあっさりとまとめられ、彩音は複雑そうな顔をする。散々複雑に思いを巡らせるより、適当な一言で充分なのだろうか。


「はあ……本当に、もう」


 なんだかなあ、とため息を吐きながら、彩音は万魔殿の通路を歩いていくのだった。


 ――――――――


 彩音とナナシは、途中でリリエラと別れた。どうやらリリエラは、まだ他の場所を掃除し終えていないのだという。


 あの大男に捕まるのでは、と危惧していた彩音だったが、リリエラの『見つからないよう出来るだけ気をつけます』という言葉と、ナナシの『まあ捕まって無茶苦茶されても、そのうち元に戻るんだしさ』という発言で、色々と諦めることにした。


 今は自分の部屋へ帰ろうとしている彩音が、ふと、万魔殿で出会った者達を脳裏に思い浮かべる。


 ――自らを《案内人》と名乗る少年、ナナシ。彼が何を失ったのかは、彼自身にも分からないのだという。


 ――《心》を失ったという、リリエラ。以前は《幸せ》を失っていたのだという。あの美しい人の中には、どれほどの事情があるというのか。


 ――《理性》を失った大男には、何度追いまわされたことだろう。漠然と彩音がイメージする《悪魔》を思い浮かべるなら、アスモデウスよりも彼のほうが、よほどそれらしい。


 ――そして、あの不思議な黒猫――何を失ったのか、想像さえつかない。


 ただ一つ解るのは、この万魔殿には生きるために必要な《何か》を失った者が集まってくるということ。彩音もその一人ではあるが、しかし猫でさえ《それ》を失えば、万魔殿へと足を踏み入れることもあるのだ。


 だとすれば――


「……あのアスモデウスさんも、《何か》を失ってここにいるのかしら」


 それとも、万魔殿の主である彼女だけは別なのだろうか。本人に聞かなければ分からないようなことだが、彩音がひっそり呟いた疑問に、ナナシが反応する。


「……おねえちゃんも、やっぱり気になる?」


 その言葉から、ナナシでさえ知らないのだということが判る。さすがのナナシも、大悪魔であるアスモデウスには気を遣うのか――と思ったが、


「僕もさ、気になって聞いてみたんだよ。アスモデウス様に直接ね」


 どうも、そういうことでもないらしい。


 勇敢なのか命知らずなのか評価の分かれるところだが、この話は彩音も気にするところ、せっかくだからその先を尋ねてみることにした。

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