2-02
「って言っても、外から持ってきた怪我とかは治せないみたいだけどね。
「っ、そっ……う、なの……」
落胆する彩音には特に気付く様子もなく、ナナシは話を続ける。
「でも、アイツにめちゃくちゃされてる時の記憶は、思い出そうとすれば思い出せるんだって。忘れたままにも出来るんだけどね。あと死んでる時の記憶は無くなるみたい。アスモデウス様が言うには《死》そのものの記憶っていうのは、人間には耐えられないんだってさ。前にここへ来た人は死とかに興味があったとかで、積極的にアイツに向かっていったけど、やっぱりどうしても――……あれ、おねえちゃん、なんか元気ない?」
長々と一人で喋り続けていたナナシが、ようやく彩音の様子が変わっていたことに気付いた。彩音は少しばかり肩を落としながら、相変わらず精彩を欠いた表情で応じる。
「ううん……別に、なんでもないわよ」
「そう? それじゃ……あ、そうだ。おねえちゃんの部屋を探すんだったね」
ナナシが思い出したように手を叩いた頃には、二人は部屋が居並ぶ例の通路まで辿り着いていた。右へ左へと視線を動かす彩音に、ナナシが声を掛ける。
「この辺りは、空き部屋が多いからさ。おねえちゃん、どこの部屋がいい?」
「えっ……っと、出来れば、ナナシくんの部屋と近いほうがいいんだけど。私、ここはまだ不慣れだし、それに正直、心細いし……」
「えっ、ホント? ああ、よかったぁ。僕もさ、おねえちゃんとは、部屋は近いほうがいいなぁ、って思ってたんだ。おねえちゃん、話しやすいしさ。ホントに久し振りなんだもん、普通にお話できる人って。あんまり話が出来ないような人は、勝手に入り口のほうの部屋を選んじゃうから、僕は逆に遠めの部屋を選んだんだ。ちゃんとお話できそうな人には、こうやって僕と近い部屋を案内してるんだ……って、また喋りすぎちゃったね」
そう言って延々と続きそうなお喋りを中断したナナシが、立ち並ぶ扉の中にある、一つの扉の前まで歩み寄った。
「ここが、僕の部屋だよ。右隣の部屋は、もう埋まっちゃってるから、近い部屋なら左隣の部屋か、真向かいの部屋か……まぁ、近ければどこでもいいのかなぁ?」
やや適当なことを言うナナシに、しかし彩音は特に反論もなく、とりあえず真向かいの部屋を選んで歩み寄っていった。
「じゃあ……この部屋にするわ」
「うん、りょーかいっ。そこを開けたらもう、おねえちゃんの部屋だよ」
そういうものなのだろうか、と首を捻りながら、彩音は金属質の取っ手に左手を伸ばす。万魔殿の入り口やアスモデウスの部屋と違って、確かな重量感を覚える扉だった。
「……? 空き部屋にしては、何だか……」
小奇麗な部屋だ、と彩音は思う。
通路まで仄暗く思えた万魔殿の色調とは違い、室内は彩音の好みであるピンクや淡い水色の色彩で飾られていた。あまりにも厚手の遮光カーテンがやや不自然ではあるが、その色取り方も彩音にとっては好ましかったし、不思議と落ち着く雰囲気の部屋で、この異質な空間にありながら現実的な装いを醸し出している。
――いや、やはり異常だ。中世の古城を思わせるこの万魔殿において――照明器具は蝋燭やランプなどでなく、彩音の家にもあった室内灯と同じ物を使っている。
それだけではない。通路からの蝋燭で照らされ、薄っすらとしか見えないが、机の上にはCDプレイヤーまで置いてある。文明の利器ともいえるようなそれが、この明らかに異界とも呼べるような場所に存在するのは、どう考えても不釣合いだった。
「この部屋……なんなの?」
よくよく見れば、彩音にはその机にも何となく見覚えがあったし、CDプレイヤーにしてみても、彩音の部屋にある物と同じ型だった。部屋の壁際には、彩音が愛用していたベッドと全く代わり映えしないものがある。
「……私の、部屋?」
そんなはずはない、と頭を振っても、思わずそう錯覚してしまうような部屋だった。
それでも、違う部分はたくさんある。彩音の部屋はここまで広くなかったし、薄っすらと見える部屋の色彩にしてみても、彩音が好むのは確かだが、実際の彩音の部屋はもっと地味な色調を保っていた。ここは、やはり彩音の部屋とは違うのだ。
「でも、何でこんなに……」
似ているのだろうか、と考え込みながら部屋へと入っていった彩音が、室内灯から垂れ下がっている紐を引っ張る。明かりは数回ほど点滅して、通常通りに灯った。
明かりの灯った部屋の内部を、改めて一つずつ確認していく。
見覚えのある机、同じ型のCDプレイヤー、愛用のベッド――
そして――そして、部屋の片隅にあったのは――
「―――ひぁ!?」
真っ黒な、アップライトピアノだった。
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