第二幕 《それ》はなぜ、まだそこにあるのか
2-01
「えっとね、ここにはさ、色んな人が住んでるんだけど、一人につき一部屋だけ、自分の物にできるんだよ」
歩きながら説明するナナシに、
「それでね、他の人の部屋には、その人の許可が無い限り絶対に入れないからね。なんだったかな、相互不干渉? っていうの? どっちかがそう決めたら、勝手に部屋の扉を開けることは出来なくなるんだ。鍵穴、ないでしょ? 開けたくないって思った時は開かなくなるし、開けてもいいやって思ったら開くようになるから、鍵なんて必要ないんだ。本人が部屋にいない時に開けようとしても開かないし……って、おねえちゃん、大丈夫?」
「はぁっ、はぁっ……だ、大丈夫、よ……」
息を切らして説得力の無い彩音を見て、ナナシは慌てて速度を落とす。
「ごめんごめん、速く歩きすぎちゃったね。お喋りに夢中で、気付かなかったや。なにしろおねえちゃんみたいに、ちゃんとお喋りできる人、久し振りだったからさ」
「はぁ、はぁ……そ、そうなの? 前はどんな人がいたの?」
「前はねー、生きる《気力》だったかな、それを無くした人が来たんだけどさ。もう、話しかけても返事しないし、案内しようとしてもアスモデウス様に挨拶しに行こうともしないしで、勝手に部屋を作って、今もずっと自分の部屋に引き篭もってるよ。多いんだけどね、部屋から出てこなくなっちゃう人。その人が部屋で何してるのかは知らないけど……」
「な、ナナシくんっ! また、歩くの速くなってるっ……!」
「わわっ、ごめんごめん! あははっ」
あまり悪びれていない様子で謝るナナシだが、彩音はそれどころでなく、ゆっくり歩きながら呼吸を整えた。
「ふう……でも、アスモデウスさんは怒らないの? 挨拶なしって……」
「ぜーんぜん! ただ、つまらないとは言ってたけどね。でも僕が《案内人》になる前なんて、挨拶どころかアスモデウス様の部屋がどこだかわかんないし、自分の部屋のほうを先に作って勝手に住み着くか、そのまま出て行っちゃうか、ってことばかりだったらしいよ。もしも僕がアイツより後にここへ来てたら、出て行く人はもっと増えてたかもね」
「……? アイツって、誰のこと?」
「アイツだよ、ほら、おねえちゃんを追いかけてた、あの大男」
そう言われて先の恐怖感を思い出した彩音が、何度目かの身震いをする。ナナシは人差し指を立てながら、軽くため息を吐いた。
「アイツもさ、アスモデウス様に挨拶へいかなかった住人の一人だよ。いっつも万魔殿をうろついてるから、自分の部屋があるかどうか分かんないんだけどね。アイツはここへ来た時からあんな感じで暴れまわってるし、先に住んでる人だろうと、後から来た人だろうと、構わず追い掛け回して捕まえようとするんだ」
迷惑な話だよ、と再びため息を吐いたナナシに、彩音がおずおずと尋ねる。
「……あの大男に捕まったら、どうなっちゃうの?」
「うん。男の人なら、手足とかぶちーっ! てやられて、ポイって捨てられちゃうよ」
「……お、女の人だったら?」
彩音の更なる問いかけに、ナナシは《その時》のことを思い出そうとするように、人差し指を顎先に当てながら唸る。
「うーん……えっとねぇ、まずは服を引き裂かれて……」
「……ご、ごめん、もういいわ」
「それで、身体を押さえ込まれて無理やり……」
「も、もういいってば!」
顔を真っ赤にして中断を促す彩音に、ナナシは顔にクエスチョンマークを浮かべるようにして首を横へ傾けながら、軽く笑って言葉を続けた。
「まあ、アイツは《理性》ってヤツを失ってるから、欲求に基づく衝動に身を委ねておるだけなのじゃろう……って、アスモデウス様が言ってたよ」
「そ、そうなの……」
いまだ気恥ずかしさが抜け切らず伏し目がちになっている彩音だったが、少年はお構いなしに喋り続けた。
「うん。それに、ここではどんな目に遭ったって、時間が経てば身体は元に戻るしね。ここでどんな大怪我しても、そのうち自分の部屋で目を覚ますことになると思うよ」
「……えっ? そ、それって」
ナナシの説明に、彩音が勢い良く顔を上げる。
(――それが――それが本当だとすれば――)
彩音は自由に動く左手で、痛む右腕を握り締めた。
(――私の右腕も、元に戻るということ?)
その瞳に《希望》を取り戻しかけた彩音だったが、続くナナシの言葉によって、それは無情にも打ち砕かれることになる。
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