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「よくわかんないんだ」
「……そ、そうなの? アスモデウスさんは、何も教えてくれなかったの?」
「うーん、アスモデウス様はねぇ、なんか、知っても仕方のないことだから、って言ってたかなぁ。僕も、あんまり興味なかったしね」
「そう……そうなんだ。いきなりこんなこと聞いて、ごめんね」
今さらながら不躾な質問であったことを反省する彩音に、ナナシはやはり笑っていた。
「謝られる理由はよくわかんないけど、僕は別に気にしてないから、全然構わないよ。でもきっとさ、おねえちゃんは気にするんだよね。おねえちゃんの、その、失った《モノ》のこと。ここに来る人は今までもたくさんいたんだけど、気にする人ってやっぱりいたからさ。おねえちゃんも、えーっと、何となくそんな感じだったし」
喋り続けながらもナナシは、どことなく遠慮がちな口調になる。その様子が、人好きのするこの少年にはどことなく不釣合いで、彩音は思わず失笑してしまった。
「ふふっ……」
「あっ! おねえちゃん、やっと笑ったね!」
「えっ? ……私、笑ってた?」
「うん、初めて見たよ。おねえちゃんの笑ってる顔」
そう言われて一番驚いているのは、彩音のほうだった。
右腕が以前のようには使えなくなって――生きる《希望》を失ってから、こんな風に笑ったことなど、これが初めてだったのだ。
指先を口元に当てて何か考え込む彩音に、少年は明るく語りかける。
「やっぱりさ、女の子は笑ってる時の顔が、一番輝いてるよね」
「……え、ええっ? な、なに? 急にそんな、ませたこと言っちゃって……」
「って言ったら女の子は喜ぶって、ずっと前ここへ来た人からの受け売りなんだけどね」
「……あ、あらそう」
みっともなく慌てふためいた彩音が、取り繕うように姿勢を正し、こほん、と一つ咳払いをして息を整える。
「それで、あの、アスモデウスさんにはさっき、これから好きにすればいい、って言われたんだけど」
「うん、どうする?」
「……ど、どうするって言われても」
「帰ってもいいし、ここに住んでもいいんだよ。おねえちゃんの自由なんだから」
自由、と言われて、彩音は更に困ってしまう。今まで生きてきて、そんな選択を迫られたことなど、今までなかったのだ。
ピアノさえあれば、ピアノさえ弾いていれば、それで全てがうまくいった。他に何もする必要はなかったし、ピアノさえ弾けば誰かが手放しで褒めてくれる、称えてくれる――未来を疑うことなんて、一度だってなかった。
――なら、それを失った今は?
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