1-06

 部屋の中は、まるで書斎のようだった。大きな室内に無数の書棚が敷き詰められ、どこもかしこも本が一杯に溢れかえっている。本棚だけでなく、その辺にまで積み上げられている無数の本の山で、室内を一目で見渡すのは困難になってしまうほどだ。


 本の住む部屋、と呼んでも過言ではないこの場所の中心に、彼女はいた。


 妙齢だがどことなく威圧感のある、長い黒髪の、眼鏡をかけた美しい女性。鮮やかな装飾の大きな椅子に座り、机の上では何やら忙しなく書類のようなものを片付けている。


 ふと、彼女の視線が彩音のほうへ向いた。その瞬間、氷の刃が下腹部を貫いたような感触を覚え、彩音が身震いする。しかし対面する彼女は意にも介さず、厳かに口を開いた。


万魔殿パンデモニウムへようこそ――皆月彩音よ」


 妙齢の女性らしく高い声ではあるが、多大な威圧感を孕んでいる。しかしそれよりも、彩音は自分の名前を呼ばれたことに戸惑いを覚えていた。


「ど、どうして、私の名前を?」


「くくっ、どうして、か。どうしてもないが、余はここへ足を踏み入れた者のことなら、大抵のことは知っておるよ。例えば……」


 妙齢の女性が、長く形の整った人差し指で彩音の右腕を指差す。


「汝はその大事な大事な右腕を、つまらぬ事故によって使い物にならなくしてしまった、とかのう」


「……っ!」


 心の中を土足で踏みにじられたような気分になり、彩音は彼女から目を逸らした。強く歯噛みをした彩音が、この得体の知れない女性に対し、強く反発する。


「放っておいてくださいっ……!」


「くくっ、すまぬ、すまぬ。ちと無粋が過ぎたか。さて、皆月彩音よ――汝は余に、何か聞きたいことがあるのではないか?」


「…………」


 いまだ心の中にわだかまりが残ってはいるものの、彩音は視線を女性のほうへ戻した。


「あの、さっき――?」


 視線を外していた間に、彩音は女性の姿を見失ってしまった。先ほどまで椅子に座っていた女性の姿は、まるで夢幻のように消え失せてしまっている。


「えっ? あの……えっ?」


「どこを見ておる。ここじゃ、ここ」


 キョロキョロと室内を見渡す彩音に向けて、甲高い声が飛んできた。


 その声は、部屋の中央――先ほど妙齢の女性が座っていたほうから聞こえてきた。しかしそこには、やはり妙齢の女性の姿は無い。


 しかし代わりに――幼い少女が座っている。


「えっ……? あ、えっ? さ、さっきの人は?」


「それは余じゃ。余は先ほどから、ここを全く動いてなどおらぬぞ」


 そうは言われても、彩音は信じられなかった。さっきまで座っていた女性とは同じ程度の視線で言葉を交わしていたはずなのに、今は見下ろして話をしている。


 視線の高さが明らかに変わったせいで気付かなかったのだとしても、いつの間に入れ替わったというのか。


「やれやれ、疑い深いことじゃ。ま、信ずるも信じぬも、汝の自由じゃがの。まぁ汝が信じようと信じまいと、余は余じゃ」


「……だ、だって、さっきとは、全然……服装まで……」


 先ほどまで彩音が話していた妙齢の女性とは、何もかもが全く違った。先ほどの女性は黒髪だったのに、この少女は金髪だ。眼鏡もどこかへ行ってしまっているし、体躯が明らかに違うのは言わずもがな、声まで打って変わって少女らしく甲高い声になっている。


 それでもどこから来るのか、威圧感だけは相変わらずだったから、それがなおさら不自然だった。


 怪訝な表情を崩さない彩音に、少女は少し面倒臭そうに続きを促した。


「そんなことよりも、ほれ、余に聞きたいことがあるのではないか?」


「あっ、うん……あ、いえ、はいっ」


 見た目は何となくナナシと同年代のようでありながら、雰囲気だけはやたらと落ち着いていて、彩音はどうも話し辛い気分に陥っていた。しかし呆けてばかりはいられないと、少女に対して改めて疑問をぶつける。


「さっきあなたが言っていた、パンデモ……ニウム? って、一体なんなんですか?」


「それは、余がこの宮殿に付けた名称じゃ」


「宮殿? ……ここは、宮殿なんですか?」


「ふむ、別に城でも馬小屋でも、汝が見えたように思えばよい。汝の自由じゃ」


 やや適当な返し方をされたものの、とりあえず答えてはくれるらしい。分からないことだらけの彩音は、立て続けに質問を投げかけた。

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