11-6 偽物はあるか

* ルシア・エクエシス



 切れたのは二の腕のあたりで、大事なものは切れていない。傷口の痛みを忘れ去って、拳を中断に構えた。

 ユリアは両手に短剣とリボルバーを握り、短剣をこちらに向けている。無覚醒者と、底辺覚醒能力。この手合わせでは、あの銃すら価値を落とす。

 私はまだ半殺しをためらっていた。でもユリアの顔を見て、もう容赦しない、と思った。

 それはきっとユリアも思っていることだ。

 ユリアが動いた。

 彼女は屈んだ。予備動作がない。投げられた短剣の煌めきが胸に飛来する。

 軸足で回転して避けつつ反撃——いない。想像よりもずっと下、足を舐めるような位置にいた。

 下から蹴りが飛んでくる。異能を込めた手で払う。けどそれは囮だった。銃口がこちらを見上げていた。

 体を反った。顎スレスレを弾丸が通過した。体勢が崩れる前に距離を取る。

 ユリアはくるりと|軽業(かるわざ)みたいに素早く立ち上がって、もう一方の短剣を投げてから距離を詰めにきた。

 後ろの足で踏ん張った。


「上等!」


 本気の殴りを空中に叩き込む。短剣は風圧で跳ね返され、ユリアの体は文字通りに吹き飛んだ。

 その体を足で追う。銃口がこちらに向いた。宙を滑りながら射撃態勢を取っている。

 引き金にかかった指から、腕全体に力がこもった。

 来る。

 銃声が——しなかった。

 フェイント。私の避ける動作を見て確実に撃ち抜くための。

 でもそれは、


「読んでるよ」


 避けることなく突き進んだ。私の間合いに追いついた瞬間に、遅れて弾丸が放たれた。狙いは完璧。だから斜め前に上体を倒して避けた。そこから一歩踏み込んで、宙を舞うみぞおちに拳を叩き込んだ。

 撃ち落とされたユリアの体が地面で跳ね、彼女が血を吐くのと同時に、道に大きなくぼみをつくった。

 戦闘用インナーを着ているとしても、私の一撃なら充分だった。ユリアはくぼみの上で仰向けになったまま、ぐったりと動かなくなった。

 私は気を失ったユリアのそばに近づいて、その顔を数秒間眺めた。

 寮で見る寝顔とそう変わらないはずなのに、受ける印象は随分違っていた。

 勝っても嬉しくない手合わせは、初めてだ。


「私ね、たぶんハルに憧れてたんだ」


 口にしてから、ユリアに聞こえているかどうかわからないことに気がついた。

 でも続けた。


「入隊当初の私にとって、一つの目標だったんだよ。だからハルが異能を扱いきれなくなった時、すぐに克服してほしいと思ったし、ハルなら簡単に乗り越えられるはずだって思ってた」


 ユリアのそばでしゃがんだ。

 こんなことを話して何になるのだろうと思った。後から気づいたことに意味なんてないのに。だってハルはもうこの世にはいないんだから。


「だから……だから私じゃダメだった。ユリアじゃないとダメだった」


 あるはずのない返事を少し待った。

 私はしゃがんだまま空を見ていた。何も見えない黒い平面に、星が微かに輝いている。何の変哲もないはずのその光景が、ひどい混沌に感じられた。

 ユリアに対して負の感情を抱いているわけじゃない。これは確認で、宣戦布告で、贖罪で、……なんでもいい。あとはその他諸々の何かだ。そういうことにしておいた。

 立ち上がって、デバイスを取り出した。ユリアは重症だ。骨は何本か折れただろうし、内臓も無事じゃないかもしれない。担ぎながら連絡を入れて——


「ダメじゃない」


 声がして、視線を戻した。戦慄した。

 ユリアがそこに立っていた。

 口についた血が嘘であるかのように棒立ちして、若干の上目遣いで私を見つめていた。


「……なんで、立てるの?」


 気づけば、私は一歩退いていた。怖かった。 


「ねえルシア。私って、そんなに特別かな」


 彼女はそう言って、少し首を傾げた。

 何が言いたいのか、わからない。言葉を返すことができなかった。だって、特別に決まってるじゃないか。

 彼女は微動だにせず私の言葉を待っていた。普段通りのユリアの目だった。その目が私の声を奥へ奥へと押し込んでいく。

 やがて彼女は、黙ったまま少しだけ笑った。そして空を一度仰ぎ見ると、再び私を見て、拳を構えた。

 短剣を投げ切った彼女の手には、あのリボルバーだけが握られている。

 間違いなくユリアに継戦の意思があることを意味していた。


「お願いだから負けを認めて」と私は言った。

「そうしたいところだけど、ごめんね」とユリアが言った。「ルシアが負けるか、私が死ぬかしかないんだ」


 そうか、そうだ。きっと、彼女にとってそれは最初から当然のことだった。彼女の言う「手合わせ」は、そういう意味の言葉だった。

 予定通りに、抵抗できないくらいに半殺しにして無理やり連れ戻すことはできる。けど、彼女はきっとその結末すらも「死ぬ」という言葉に含めた。私はそれをほとんど本能的に理解した。言葉通り、彼女には二つの結末しかない。

 私はまだ、構えを取れずにいた。何も変わらない彼女の表情を、絵画を鑑賞するみたいに眺めていた。

 今彼女を立たせているのは、強い意志とか、本能とか、そういうものじゃない。頑固者なんていう次元じゃあ決してない。

 だったら、なんなのか。

 なんなんだろう。

 私の中の彼女は、私が勝手に定義していたものだった。人間という幻想で象った偽物。偽物? どっちが?

 何もわからない。わからなくなった。

 友達。ルームメイト。初めての同類。心地よかったはずの記憶全てが、罪悪感に変わっていく。

 一つだけわかった。

 私にはどう頑張ったってユリアを”殺す”ことはできないということ。



* ユリア・シュバリアス



 ルシアの目から涙がこぼれるのを見て、私は構えた腕を下ろした。

 私を見つめていたルシアは、視線を下に向けて、自分の両手を一瞥した。そしてまた私を見て、今にも破裂しそうな声で言った。


「私の負け」


 真剣な表情だった。涙がなければ泣いていることに気づけないくらいの。綺麗なルシアの瞳がほんの少しくすんだように見えた。

 何かを言おうと思ったけど、何も浮かばなかった。言葉がふさわしくないんだとすぐに気づいた。

 私は歩き始めた。立ち尽くすルシアの横を通り過ぎて、元の道を行く。体が受けたダメージは深刻で、さっきと比べて随分歩きづらくなったけど、それでもなんとか歩行と呼べる動作は取れていた。


「必ず連れ戻すから」


 背後から聞こえた。

 振り返ったけど、ルシアは振り返っていなかった。

 その小さくてたくましい背中だけでは、彼女の感情は何も読み取れなかった。


「イロハのこと、よろしくね」


 とだけ返して、私はまた歩き始めた。


(ユリア)


 ニルの声。あまり聞いたことのない声だった。


「どうしたの?」

(……いや、忘れてくれ)

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生きるためなら死んでもいい〜異能も魔術も使えないけど超能力集団にぶち込まれた〜 紳士やつはし @110503

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