10-5 この人たち

 ムキムキの男性店主がやっている八百屋でセロリを買い、その後エリン国道をぶらついていた。

 考えなしに持参してきたバッグは思いのほか小さくて、セロリのふさふさした部分が飛び出してしまっている。まあ手に持つよりはいいだろうと言うことで。

 噴水の平場に差し掛かったくらいで、空がすっかり赤くなっていることに気がついた。不思議な気分になって、こんな時間まで何をしていたんだっけと思い返してみるけど、ほとんどお店の商品を見ているだけだった。

 エリン国道を経験するのは三回目。一回目は任務中で暇がなくて、二回目はヤシロさんのカレーを食べた後に少し見て回ったけど満足とまではいかなかった。だから今回は思う存分に徘徊した。もはや行ったり来たりしてた。楽しかった。

 ——だからだ。

 だから気づかなかったんだなあと思う。

 私はもう一度、黄昏時のエリン国道を見回した。

 行き交う人は少なくない。けど、人が明確に減少したことで、今まで見え隠れしていた闇の部分が露わになっていた。

 そこかしこにいる浮浪者。狭い路地に座り込んだり横たわっている彼らの姿が、人の減ったエリン国道からはよく見えた。

 そしてこれは勘だけど……


「ニル。あの人たちって、もしかして覚醒者?」視線で示しながら、小さく呟いた。

(一人残らず覚醒者だ)


 ぜんっぜん喋らなくなっていたニルだけど、聞けば答えてくれるらしい。

 そっかあ。全員覚醒者かあ。

 決して多い人数じゃない。けど少なくもない。覚醒者は総人口の二割と言われているが、もしかして彼らは数えられてなかったりするのでは。

 パッと見回しただけで十人弱。ほとんどが子供だった。街の人々の格好からは明らかに浮いた、汚れてボロボロになった服を着ている。

 目に止まったのは、十歳前後の兄弟。たった数十メートル程度向こうで、おそらく兄であろう若干背の高い方の男の子が、食べ物なのかすらわからない何かを、弟に分け与えている。背の小さい男の子は、悲しげな表情や不快そうな顔は一切せず、無表情でそれを口にした。

 彼の顔からは単に表情だけでなく、決定的な何かが欠けていた。

 彼のような子供がたくさんいた。兄弟や姉妹だったり、一人だったり。

 助けたい欲が働いたけど、この場合は一部だけを助けるのは、別の不幸のタネになるから不可能だ。もちろん、私に全員を救える力はない。

 仕方ないから諦めようと心を切り替えた時、さっきの兄弟の方から微かに声が聞こえた。


「兄ちゃんが絶対なる一ファーストみたいになって、必ずなんとかしてやるからな」


 弱々しくても、力強いものがこもった声。本当にトレース・マグナになろうとしているのだろう。

 絶対なる一ファーストか。一番強い覚醒者の人だっけ。確かにトレース・マグナにでもなれば、弟の人生を救うことなんて容易いはずだ。

 けど、それは碧選軍でも可能なはず。彼はどうして特務部隊とは言わないのだろう。特務部隊もかなりの狭き門とはいえ、世界で三人しか枠がないトレース・マグナよりは圧倒的に楽なのに。

 子供の夢を深く考えてる時点で間違ってるか。

 いや——

 特務部隊は深刻な人手不足だ。だったらなぜ、目と鼻の先にある国道にこんなにも溢れている覚醒者たちを拾わない?

 真っ当な理由があるのかもしれない。でも、それは考えてもわからなかった。確実なのは、この状況を放置しているという事実がある以上、碧選軍にこの子達を救う力はないということだ。

 今の私と同じように。

 なんとなくその場にはいられなくなって、カイル港の方に歩き始めた。

 そうしてまた考えた。

 あの子はきっとトレース・マグナになれないだろうな、と。

 教える人がいなければ強くはなれない。一人でなんとかできるほど世界は甘くない。私は小さい頃にそれを痛感した。

 ふと、一人の少年を思い出した。覚醒者の血に苛まれて、自身の力を暴走させた少年。彼は今どうしているだろうか。確かあの時は、ハルが碧選軍に話をつけてくれたんだったっけ。

 その後何とかなっているといいのだけど。

 いつの間にかカイル港が近くなったのか、海風が顔に当たった。

 直後に横で紙がバラける音がした。


「ああ!」

「おおいおいちゃんと固定しとけって、ったく仕方ねえな」

「ごめんよおっちゃん。へへ、ありがと」


 客のおじさんが、新聞屋のお兄さんの代わりに散乱した新聞を拾っていた。

 私の近くにも何枚かひらりひらり。拾おう。


「わりいねお嬢ちゃん。いやあただでさえ風が強いってのに、この小僧がなにぶんドジなもんで」

「いえいえ! お気になさらず」


 新聞屋のお兄さんが礼を言いながら、照れ臭そうにしている。おじさんの言い方からしても、色んな人に愛されているんだなあと思った。

 一通り拾い終わって、新聞屋のお兄さんに手渡そうとした時、ふと大きめの見出しが目に入った。


——壁に続く失態。特務部隊、務めを果たせず。


「どうかしたのかい?」


 お兄さんが優しい声と顔で言った。


「あの、この記事って」


 私がその記事を指先で示すと、彼はおじさんと一緒に、受け取った束ごとそれを凝視した。


「ああ、昨日の事件だよ。ここいらに大規模な避難命令をさせて特務部隊が出たんだけど、結局犯人は捕まえられなかったっていう」

「せっかく一日分の売り上げを犠牲にしたってのになあ。それどころか、壁の件も相まってみんな不安がっちまってよ、見ての通り人が激減して商売上がったりだ。化け物集団が仕事しねえって、この辺の商人はみんな怒ってるよ」

「まあ、俺は少し言い過ぎだとは思うけどな。でも大丈夫さお嬢ちゃん。いざというときはトレース・マグナがなんとかしてくれるから」

「確かに、そうですね! じゃあ不安がらずにまた来ます!」


 トレース・マグナはそんなに融通の効く制度じゃない。

 無覚醒このひとたちにとって、トレース・マグナは尊敬の対象らしい。特務部隊とどんな違いがあるのだろう。

 多分、この人たちが怒るのは無理もないことだ。なぜなら、現場と言う過程を知らないから。結果的に私たちが失態を犯しているのは紛れもない事実だ。

 じゃあ私には何ができるだろう。

 この人たちに。

 あの覚醒者の兄弟たちに、何ができるだろう。

 考えて考えて考えて、考えるのをやめた。

 私はその場を去った後、セロリが入ったカバンを先程の兄弟の背後に置き、足早に中央拠点にもどっていった。

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