10-4 そうですか
「あの、私からも一ついいでしょうか」
師匠について覚えていることを私に一通り喋った後、彼女は少し顔色を変えてそう言った。
それは無表情だったが、ただの無表情ではなかった。まるで生まれたての赤子が泣くのをやめて唐突に喋り出したかのような、無垢と不気味さを兼ね備えた顔だった。
私が困惑まじりに承諾すると、彼女は体を後ろに傾けて、曇り空の方を仰ぎ見ながら続けた。
「例えば、そうですね、あなたの分隊——ああ、常衛部隊なら班でしたね。あなたの班員が、使命のために仕方なく別の班員を殺したとして。そのことを殺した方の隊員はなんとも思っていないとして。あなたは殺した方の班員に対してどう思います?」
頭の中が一気にごちゃごちゃになった。
なぜそんなことを聞くのか。私はおそらく恐ろしくなっている。
これを本当の意味での何の変哲もない例え話として捉えるほど、私は馬鹿じゃない。
目の前の少女が、得体の知れないモノに変化していた。だがそれではダメだ。このまま彼女を忌み嫌ってしまえば、私は覚醒者を憎んでいた頃に逆戻りだ。
「私たちの使命は数多くの人命に関わる。そのためなら犠牲を割り切らなければならない場面が訪れるのは、仕方のないことだ。きっと理想は、それを引きずらずに進むことなのだろう。だからその班員には何も思いたくはない」
思ったありのままを伝えた。だが直後に、それが自分の言葉ではないもののような気がした。
あの光景を思い起こした。班長が食われているのに、何もできなかった時間。彼の命と引き換えに、私が生かされていると言う生々しい感覚。
——これを、言うべきではないのかも知れない。
「だがその班員が、犠牲になった人の命を本当になんとも思わないと言うのなら」しかし気づけば、言葉は滑り出ていた。「私はそいつを絶対に許さないだろう」
彼女は例の無表情のまま、少し俯いた。
「そうですか」
その言葉にどんな感情が含まれているのか、はたまた何も含まれていないのか、私にはわからなかった。
こうして私に質問をしていると言うことは、彼女も自分の精神にそれなりの衝撃を受けているのだろう。だがどんな事情があろうとも、私の答えは変わらない。
なぜなら、その精神構造が人として正しくないものだからだ。
* ユリア・シュバリアス
ペトラさんと別れた後、私は寮に戻って私服に着替え、理由もなしにエリン国道に来ていた。
この間の休暇を思い出す。今日は深い緑のワンピースを着ている。碧選軍への入隊が決まったとき、孤児院の優しい院長が買ってくれたやつだ。
別に気分が上々というわけでもないけど、軽めのスキップをしながら歩いていたので、スカートの部分がよく揺れた。
目的地はなんとなく決めていた。犬壱亭だ。とりあえずヤシロさんに会いたくなった。何かを話したいとかそう言うのではなくて、本当にただ、ふと会いたくなった。
エリン国道はいつもと変わらず賑やかで……とは流石にいかなかった。壁を破壊されたり凶悪な覚醒者が出てきたりしたのだから当然だ。人が以前の半分以下になっている。
騒がしいくらいの人の声が私は好きだったのだけど、随分寂しくなってしまった。
閉まっているお店もちらほらある。その代わり、風に舞う新聞の量が増えた気がするが気のせいだろうか。
犬壱亭は多分大丈夫だろう。ヤシロさんがそのくらいの出来事で店を閉めるとは思えない。
しかし。
「あれ」
犬壱亭の看板は出ていなかった。見事に閉まっていた。両脇の大きなお店は普通に営業しているのに。
ドアのガラスに張り紙があった。
本日の営業はおやすみさせていただきます。ごめんなさい。
——店主ヤシロ・ヒイラギ
「うわー……」
がっかりした。その場で膝に手をついて。正直言って結構心にきた。なぜならもうカレーを食べる口になっていたから。馬車も使わずにここまで歩いてきたから、腹も空いていた。
でもヤシロさんにも事情があったわけだし、ここでがっかりしていても仕方がない。大丈夫、ヤシロさんのお店なら、このまま気づいたら潰れてたなんてことはないはず。
さて、そしたらこのあとどうしようか。お腹はこの辺りのお店で適当に満たすとして、他には……何も浮かばない。
「とりあえずセロリ買うか……」
せっかく時間が余っているのだから、今のうちに済ませておこうと思っていた。
そういえば、ニルに餌付けって可能なのだろうか。
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