10-6 使えません

* ルティー・バークンス



 窓から夕日が差し始めた頃。

 彼は私の執務室に入ると、敬礼しながら「お疲れですか」と言った。


「ええ、とても」


 私が机の上に置いていた肘を引っ込めると、彼は顔に困り顔を浮かべ、肩を落とした。

 暗い緑のかかった、長めの髪。顔は真面目さに若干の陽気な雰囲気を含んでいて、中年に差し掛かり始めた男性特有の魅力を纏っている。

 ルシウス・ヴェスカー。その肩章が示す階級は、最高位の上等特務士官。

 その位は、軍司令に優秀さを認められていると言う意味でもある。故にこうして相談役に呼ぶには十分に信頼できる人物だ。

 今夜の部隊長会議で私が有力な案を持ち込まなければ、私と特務部隊が他の部隊から総攻撃をくらうことになる。音を上げたくない気持ちはあるが、既に一人ではおかしくかなりそうだった。

 ヴェスカーが改まって言う。


「確か、ライブリー、でしたね。その組織と言うのは」

「ええ」


 さっきまで睨みつけていたレンの報告書を手渡した。彼の視線が紙の上を走る。


「無覚醒の殲滅、ですか。なるほど、公開なんて到底できませんね」

「故になんとしても早急に片付けなければなりません。しかし絶望的に人が足りない」

「この”無覚醒”という単語は、全世界の無覚醒を示しているのですよね」ヴェスカーは報告書を持った手を下ろした。「それならばトレース・マグナ制度が発動可能なのでは?」

「それは私も考えましたが、そうだとしてもあれは究極の最終手段であって、後手に回らざるを得ない制度です。何か被害が出るまで何もせずに待っていることはできません」

「確かにそうですね……」


 彼は報告書を机の上に置き、顎に手を触れて思案した。朝には剃ったのだろうが、もう髭が伸び始めていた。


「防衛に割ける人員は足りていますか?」

「なんとか足りていますが、今は調査と攻撃の人員を犠牲にしています」

「では、国民に外出禁止命令を出した上で、境護と巡回のバランスを見直し、教官に当たっていた特務兵を一時的に駆り出して、」

「それらは既に実行済みです」私がそう言うと、ヴェスカーは微笑した。

「これは失礼しました。わたくしが心配しすぎているようですね」

「いえ、もとより遠慮は不要です。最優先は防衛であるという意見は、部隊長間でも一致しています」


 最優先は人命。相手が転送の魔術を使うこともあり、警戒を怠ることはできない。だが、


「しかし、このままでは、捜査と攻撃に割ける余力がありません。相手を潰さなければ、永遠に続く警戒を味わうことになります」

「それはわたくしにお任せください。皆が疲弊する前に、他国に援軍を依頼してみます」


 彼の言葉に、私は咄嗟に顔を上げた。


「そんなことが可能なのですか?」

「簡単ではないかもしれませんが、必ず交渉してみせます」


 本当に簡単ではないことだ。しかし彼ならば、と私は考えた。


「なんとしても。お願いします」

「了解しました」


 望み薄とはいえ、やるしかない。それ以外の選択肢がない。

 ヴェスカーは敬礼して返事をした後で、また口を開いた。


「ところで、シマザキはどうしたのです」

「ああ……」一瞬で頭が痛くなった。「彼には単独で魔物の討伐任務にあたらせています」

「魔物、ですか」


 彼は拍子抜けしたように言った。この大変な時に、魔物、である。


「正直なところ、彼は今、使えません。隊員のシュバリアス二等兵も」

「それは……かなり痛いですね」


 ヴェスカーは私の言葉の真意を察して深刻な顔をした。

 本当に深刻なことだった。

 とはいえ、ユリア・シュバリアスについては、使えないと判断するほどかどうか自分にも疑問が残っていた。

 しかし私の感性が訴えてくる。彼女をこのまま任務に出してはいけない。使ってはいけない。理由はわからないが、そういう強い声が頭の奥から叫んでくるのだ。

 彼女は、何者なのだろうか。

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