9-9 助けて
地面を転げ回って悶えたあと、私は震える体でハルのそばまで這った。
ハルは崩れた壁の側で、仰向けに倒れていた。
「……フウ……ハア——フウウ……」
自分の胸に手を置いて、息を震わせながら、ゆっくりと呼吸をしていた。手を置いた胸の中心からは、光が漏れ出ている。
彼女は顔をこちらに向けて、這い寄る私を虚な視線で見ていた。殴られた際に切れたのか、口から血の混じった唾液が垂れている。
「ハル。ハル!」
呼びかけると、虚な視線が私の姿を捉えた。
そしてそのまま、しばらく黙って私を見つめた。
(自ら爆発を抑えている。……凄まじく高度なエネルギー操作だが、……)
ニルは続きを言わなかった。
このままだと、ハルはさっきの若い女性みたいに爆散する。
リブが解除できるのは、私と弾丸にかかる覚醒能力だけ。なんとかするにはデュークを殺すしかない。
でも今の私じゃ……
そうだ、分隊長とイロハ。あの男がいないなら、二人と合流でき——。
追う方法は?
相手は魔術で瞬間移動ができるのに……
「ユリア」
絞り出すような強い口調でハルが言った。
「……うん。なに?」
「私、わかるようになったの。あんたの銃が、どれだけすごいのかとか、あんたの中に住んでる子が、どれくらいの、量を、持ってるのか、とか」
それは、外理エネルギーが見えるようになったということだ。トラウマを乗り越えた影響だろう。
「そう……そうなんだ。すごいよハル……」
「おかげでね、私が爆発したら、どれだけの被害が出るかも、わかるの」
どれだけの……って、人によって爆発規模が違うってこと?
もしも持っている外理エネルギーの量で爆発が決まるのだとすれば、ハルはさっきの女性の……何倍に——?
「私は、なんの罪もない人を焼き殺した。なのに、巻き添えにもっと殺すなんて、嫌。わかるでしょ?」
「……私だって、ハルが死ぬのは嫌だよ……」
ハルは、悲しげに笑った。
悲しげだけど、それは今まで見たハルの表情の中で、きっといちばん、あたたかかった。
その表情で、ハルがもう助からないことを理解した。
ねえ、ハル。
自分で爆発を遅らせたり、外理エネルギーがわかるようになったり。
そんなことができるなんて、見違えるほど成長したね。
ニルはね、「凄まじく高度だ」なんて、そんな簡単に言わないんだよ。
すごいことだよ。
私、嬉しいよ。
ハルに出会えて、嬉しいよ。
口に出そうとした言葉が、何かにつっかえて出て行かない。
「ユリア。私ね」ハルが優しい声で言った。
「うん」
「自分のことばっかりで、馬鹿で危なっかしいあんたを……、」
「……うん」
* ハニエル・コンテスティ
「支えるために、戦いたいと思ったの」
眼から涙が溢れ、こめかみに落ちて広がった。呼吸が音を出して震える。
周りを気にせずに突っ走って、茨の道ですら迷わず進むこの子を、ただ守りたいと思った。そのために力を使いたいと思った。
そうしたら、乗り越えられた。
「でも、遅かった」
ユリアは泣いていた。十歳くらいの子供に見えた。この子も泣くんだな、と思った。
私は胸に置いていた手で、ユリアの頬に触れた。
「…………ささえたかったな……」
ユリアの手が、力強く私の手を包んだ。
彼女は何かを言おうとして下を見た。涙が地面に落ちた。
彼女は何も言わない。まるで今初めて、自分が泣いていることに気がついたみたいだった。
その時、忙しない二つの足音がした。
「ハル!」
「おい何があった」
遠くからイロハと分隊長の声がする。
「分隊長! ハルが……」
ユリアは途中で言葉を止めた。
懸命な判断だ。二人の目の前で済ませる訳にはいかない。
「ユリア。お願い——」
この子について、わかったことがある。
勝手に一人でロイ・グレシアンと面会した時、私はユリアの異常性を知った。そして彼女との記憶を思い起こして、理解した。
この子は、自分の外に感情が無い。
私に嫌いと言われても、きっとユリアは表情ひとつ変えなかったのだろう。
今泣いてるのは、私のことを好いてくれている証拠だ。つまりは私の死を嘆いているというより、私に二度と会えなくなることを悲しんでいる。
でも、それもユリアにとって優先度の高いことではなくて、彼女の道を塞ぐ理由にはならない。
ユリアは今、私が喋っているから待ってくれているだけだ。
その証拠に、彼女はずっとその手に短剣を構えていた。短剣は、私の方を向いて一切の震えを見せていない。
イロハと分隊長の駆け寄ってくるのが音でわかった。
胸の光もどんどん大きくなっている。限界が近い。
「——最後にもう一度、」
多分、ユリアの行動理念はたった一つしかない。
だから私は、こうお願いすることができる。大切な友人に「殺して」だなんて、言いたくはないから。
頬に触れた手を開き、ユリアの顔を確かめるように、包み込んで、言った。
「私を助けて」
「……うん。わかった」
ユリアが体を起こして、私の手がその顔から離れて落ちた。
そしてユリアは、膝立ちになって、短剣を振り上げた。
「……何やってる。やめろ!」
分隊長の声が聞こえた。直後に私の周りを氷の幕が覆った。短剣は行手を阻まれる。
そう、きっと、普通はそうなのだろう。
でも、彼女は——
透ける氷の向こうに、ユリアの姿がぼんやりと見えた。
ユリアは短剣をほっぽり投げて、胸の光の中からリブの名を持つリボルバーを取り出した。
彼女は寸分の迷いもなく、それを私に向けた。リボルバーが光を放つ。
一つ、言わなければならないことを思い出した。
一番大事なことを。
かつて抱いていた、理解し切れないくらいの嫌悪感。
他人のために人助けをしていた私と、自分のために人助けをしていたユリア。
無意識にその違いを察していた。彼女の生き方は、自分が霞むほど圧倒的に美しかったのだ。だから嫌いだった。
でも。
「もう、嫌いなんて言わない」
今はそれをただ美しいとは思わない。醜く愚かで、でも魅力的な何かだ。
けど今の私は、それをあえて「美しい」と呼べる。
今はその美しさが——、
「大好き」
ユリアはまだ悲しげだったその表情を一変させ、笑った。
そして、甲高い銃声とともに、私の全てが溢れんばかりの光に包まれた。
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