9-5 私の分

* ユリア・シュバリアス



 ハルはまだうなだれていた。多分まだ中身が戻って来ていない。

 そのことに気づいたのか、デュークが青ざめた表情でハルの元に走る。今のうちに触れて確実に仕留めるつもりらしい。

 

「ニル」

(ああ。やれ)


 光の中。己の体に手を触れて、掴み取る。重い威圧を纏った灰色のリボルバー。それをデュークに向けて構えた。


「させない」


 引き金に指を触れた。シリンダーを光が包み込む。体の中が何かに染め上げられる感覚。


「チッ、無駄だ!」


 気づいた彼は立ち止まって、もう一度私に向かって手を開き、そして握った。

 何も起こらない。

 焦り切った様子でもう一度、手を伸ばして握る。同じことを二、三度繰り返す。何も起こらない。

 

「なぜ発動しない! ……なんだそれは。そんなものを一体どこで」


 リブの特殊魔述式によって生み出された、異次元と言わざるを得ないほど高密度なエネルギーは、同じ外理エネルギーによる干渉を一切受け付けず、私と弾丸にかかる覚醒能力を強制解除する。

 彼はリブの異常性を認識し、焦りの表情が恐怖と絶望に変化して歪む。その表情で未だに手を開閉する姿が哀れに思えた。

 彼も無能側の苦しみを理解したことだろう。めでたく仲間入りだ。

 指に力を込める。撃鉄が上がり、

 撃ち鳴らした。

 青白い発火炎、強い衝撃。腕が跳ね上がる。

 デュークの左腕が弾け飛んだ。

 腕?

 はずした。

 

「いッ——」


 全身を刺し駆け回る痛み。悶絶し、膝をつくことすらままならない。昏倒しそうになって、肘を地についてなんとか耐える。

 外した原因は感覚でわかる。引き金を引く瞬間、その後に襲ってくるであろう痛みに萎縮して力んだせいだ。

 必死の思いで顔を上げ、デュークの方を見た。苦悶の表情を浮かべながら、二の腕から下が無い左肩を押さえている。その千切れた断面は焼かれて塞がっていた。爆破でうまくやったらしい。


「やってくれたなガキ……」


 言いながら、今度は私に向かって駆け出した。


「その銃がなんだか知らんが、借りはきっちり返させてもらうぞ!」

「借りを返すのはあんたよ」


 赤が視界を覆った。私とデュークの間に、炎の壁が出来上がった。

 細く高い火柱の集合体。高圧縮されたその炎は、まるでハルの復讐心を表しているかのようだった。

 ハルはレイピアを握った状態で、ただ自然に立ってデュークを見ていた。


(まるで別人だ。何があった)


 ニルが唸るほどの豹変。私にはわからないけど、ちょっと誇らしかった。


「ハルは最初から強いんだよ」


 続く痛みに悶えつつも、そう言いたい衝動には勝てなかった。

 デュークはハルから距離を取っていた。

 それが恐れ故じゃないことは、すぐにわかった。

 彼は人質のそばに寄り、ハルを見た。

 炎の壁が消えて、無表情で他人を利用する男の顔がはっきりと見えた。


「シマザキ対策をしていてよかった」


 デュークはそう言うと、一人の青年の腕を掴んで無理やり起こし、自分の前に立たせた。

 人間の爆弾の威力は私がさっき身をもって体験した。このままだと良くない。


「私は、あんたが本物の外道でよかった」


 ハルの言葉を気にせず、デュークは生きた盾を構えてハルに近づいていく。

 でも突然、デュークの足元が光った。


「なにッ!」


 地面から鋭く尖った氷の柱が生え、デュークのみに襲いかかった。

 彼はすぐに青年から手を離して横に回避したけど、太もものあたりが深めに切れている。

 足元からの奇襲。ハルの手が光るのは見えた。けど彼女はノーモーションだった。

 そもそも異能を動作なしで発動することって可能だったのか。それは多分シマザキ隊長にすら不可能なことだと思う。

 デュークは苛立ちながら、右手でコートの右ポケットをまさぐる。

 そして握ったものを投げて撒き散らした。

 さっきの小さい袋だ。

 空中に放り出された小麦粉は……、突如発生した氷塊に一瞬にして飲み込まれた。

 ハルはまた一才動いていない。

 私は痛みが引いてきた体を動かし、なんとか地面に座った。

 今のハルが分隊長よりも劣る点があるとしたら、それは最大出力と、特に近接戦闘が大きいだろうけど、これじゃあ近接戦闘の距離まで近づくのは至難の技だ。


「クッソタレが……」


 デュークが氷塊を見ながら悪態をつくと、今度はハルが手を伸ばし、手のひらを氷塊越しのデュークに向けた。

 閃光が漏れ、収束し、

 太い火炎の激流が放出された。

 それは氷塊を溶かして貫通し、屋敷の壁の内側と奥にある民家の壁にまで到達して、赤い風穴を残した。

 でもデュークはかわしていた。

 彼は笑った。やっとハルに隙ができたから。ついに攻撃が通ると確信したから。

 でもハルは動じない。

 デュークの足元は、溶けた氷で濡れていた。

 落雷。


「グアあぁぁぁ!」


 そもそも最初から隙なんてなかった。ハルは避けさせたんだから。

 ハルは手をしっかりと空に向けた。

 膝をついたデュークの周囲、濡れた足場の全範囲に、次々と雷が落とされる。

 鳴り止まない轟音。続く断末魔。鼓膜が悲鳴を上げそうだったけど、私は耳を塞がずにそれを見ていた。

 やがて雷が止み、ハルが手を下ろした。デュークは倒れそうになって、寸前で手をついた。そして肩で息をしながらハルを睨む。本物の雷じゃないとはいえ頑丈すぎないか。

 ハルが落ち着いた声で言う。


「今のはあんたが利用した人質と、ガネル分隊の分」


 彼女は、今度は両手を前に突き出した。

 突如、私の周りを厚い氷のドームが覆った。

 いや、私だけじゃない。ハルと、人質の周りにも。


「で、これは私の分」


 周囲の景色が微かに赤みを帯びた。

 唯一氷に囲われていないデュークは、異変に気づいて立ち上がった。

 ハルとデュークの間の上空に、いつの間にか太陽にも似たオレンジ色の球体が出現していた。その球体は徐々に徐々に大きくなっていき、それに反応するように周囲は赤みを増していく。

 彼の体は、恐怖のせいかダメージのせいかわからないけど、震えていた。


「待て。何をする気だ」

「あんたがこれから行く場所の先行体験よ」

「やめろ」


 歩くことすらままならないデュークには、どうすることもできない。

 彼は既にありえないくらいの汗をかいていた。

 発生した陽炎が激しく躍り、氷のドームの外側をいくつもの水滴が伝う。

 周囲の情景はさらに赤みを増していき、球体は両手で抱えるくらいの大きさになっていた。 

 そして……ハルは拳を握ると同時に言った。


「さよなら」


 球体が弾け、オレンジ色に輝く奔流ほんりゅうが視界を覆った。

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