7-5 良い奴
* ノード・フォルマン
コンクリートの壁に目をやりながら、珍しく革手袋をはめた。手を汚す事態はできれば避けたいが、念の為だ。
こじんまりとした部屋の真ん中に、椅子がひとつ。先の騒動の先導者であるロイ・グレシアンは、背もたれに括られた腕をさっきまであれこれ動かしていたが、今はおとなしくしている。俺は傍にある台に置かれた報告書を手に取った。
「それにしても随分若いんだな。二十七か」
「別に普通だろ。歳食うと現状維持が好きになる」
「ほう、言ってくれる」
グレシアンは覚悟を決めたような真顔で床を見つめている。
さっきから口を開けば愚痴ばかりだ。
「気になっていたんだが、倉庫に女を連れ去ったのはお前の指示か」
「なにッ!」
男はものすごい剣幕で顔を上げた。
「やはり違うのか」
「くそッ! あの野郎勝手なことしやがって」
「寄せ集めをまとめるのも大変だな」
報告と俺の分析によれば、この男は本来、情の厚い人間だ。あんな所業はこいつの行動から明らかに浮いている。
「それにしても死人は無し、か……」
任務内容は明らかに凶悪犯の制圧という雰囲気だった。確かに囚人の解放という行為は凶悪だが、外に放したわけでもない。全員があの倉庫か建物の中にいた。それでいて誰も殺していない。ただ覚醒者差別に対抗しようとしただけ。むしろ殺したのは俺たちの方だ。
この事実が公に知れればかなり厄介だ。特務部隊の中にも少なくない”迷い”が広まることになる。
……らしくないな。俺ごときが考えることでもないだろうに。こればかりはバークンス嬢と軍司令に任せるしかない。
「まあいい。質問を続けようか」
「さっさとしてくれ」
「お前の仲間から聞いたが、居場所がバレることは絶対にないと思っていたようだな。なぜだ」
「……」眉間のシワが僅かに深まる。
「今度はだんまりか?」
「情報の細工には自信があっただけだ」
「嘘をつくな。言ったはずだ、俺に嘘は通じない」
俺の異能は”共有”だが、本人が無意識的にでも開示を拒否すれば、その情報が俺や範囲内の人間に渡ることはない。よって質問はしなくてはならないが、こういう場面で本当のことを喋る時、大抵の人間は「本当なんだ信じてくれ」と願う。この男のようにその声が共有されない場合、嘘をついている事になる。
「……」
また黙る。
「デュークとかいう奴に関係があるのか」
男の瞼がぴくりと動いた。
その直後。男は俯いて、顔面を両手で覆った。
数秒して、くぐもった声が発せられる。
「裏切られたんだよ」声が震えていた。
「ほう?」
「襲撃は、俺たちがあいつの配下に加わるための試験だった。あの後迎えが来て、囚人を含めて全員が仲間になる算段だった。だけど急に連絡が途絶えて、このザマだ」
どうやらこの男、リーダーとしての才覚は人間性の魅力に限られるらしい。優秀な片腕がいれば状況は違っただろうに。
「それで、そのデュークとかいう奴はどんな奴だったんだ」
「名前くらいしか知らねえよ」
「嘘じゃないな。まあ当然か。なら、会った時そいつは一人だったか?」
「そうだ」
その時点で気づけ。もしも本気の勧誘なら複数人の方が自然だ。だが、いくらこいつが馬鹿とはいえ、そいつにはたった一人で一組織のリーダーを納得させるだけの、知性と凄みがあったと考えて良いだろう。
「見た目はどうだ」
「見た目……あんまり覚えてねえが……そういえば、顔の半分にでっけえ傷があって、右目が潰れてたな」
「なに……?」
「だから右目が」
水。雨。記憶の洪水が押し寄せて、飲み込んだ。
目の前の情景に、とある任務の指令内容、そのたった一行が蘇った。
右目が抉れた長身の男
一年前の任務。ガネル分隊が、一人の覚醒者によって壊滅させられた任務。
応援に駆けつけたが、間に合わなかった。死体とコンクリートの瓦礫が転がっているだけの現場が、目の前に広がった。
「おい、聞いてんのかおっさん」
「とんでもないもん寄越してくれたな小僧」
「は? 何言ってんだ。それより俺の身の安全を」
もう既にこの案件は、ただの任務の域を超えちまったわけだ。このことが本人の耳に入るのは、防ぐべきなのではないか?
いや、本人だけじゃない。あいつにも——
ノックの音がした。
「失礼します」
その声が耳に入った瞬間、反射的に異能を解いた。個室の簡素な扉が開く。
「すみません遅れました。調子はどうです?」
「……レン」
その名が、無意識に口から溢れた。
「げ、シマザキ」
「げ、ってなんだ。もっと喜べよクソガキ」
こいつはただ、尋問の補佐を命じられ、遅れてやってきただけだ。
ここに来ることは既に決まっていたわけだから、偶然だと分かってはいるが、それでもこのタイミングには恐怖すら感じる。
「どうしたんですかそんなにジロジロと」
言われて咄嗟に目を逸らす。石材の地面と睨めっこをしながら、自分自身に選択を迫った。
「レン。落ち着いて聞け」
俺の顔を見て、レンは期待の表情を一変させた。
「……何か分かったんですね」
「ああ、……そうだ。この男を陥れた奴は——」
口を閉ざすものの重みが増した。体が室温に似合わない温かみを帯びている。
「コンテスティ二等兵の仇だ」
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