4-1 バケモノ
* ハンス・べンラー二等常衛官
「何してんだ」
「へ? は! し、失礼しました」
様子を見にいくと、部下のアラン一等常衛兵が座り込んで居眠りしていた。彼は唾液で濡れた頬を気にするよりも早く立ち上がり、慌てて敬礼でお茶を濁す。
まったく、よくもまあこんな場所で居眠りができるものだ。ここは防護壁の上。視界には、魔物どもの領域が広がっているというのに。
「まったくお前は……気を引き締めろって今朝言ったばかりだろうが。魔物の被害が去年に比べてどれだけ増えてるのか知ってんのか?」
「二倍……?」
「五倍だバカ」
「す、すみません」
恥ずかしそうに後頭部を撫でるアラン。
本当は努力家でいい奴だが、アランはどこか抜けている。別に仕事を蔑ろにするつもりはないのだろうが、結果的にはそう見えてしまうわけだから、知り合った当初はだいぶ苦労した。壁の上で居眠りまでするし、こいつといるとこっちが平和ボケしそうになる。よく一等兵まで昇進できたなとつくづく思う。
「あの、班長」
濡れた頬を軍服の袖で拭いたアランは、壁の外にある草原の、その向こうに広がる森林を見た。
「なんだ」
彼の目は、珍しく真面目だった。仕事中にこの目を見ることは少ない。登り切った昼の太陽が眩しいだけかもしれないが。
「この壁、本当に奴らには通用しないんですよね。危機感を持とうとはしてるんですが、やっぱり俺、まだ信じられてないみたいです」
「それは……、俺もそうだ」
まるで城壁のような作りをした、十メートルほどの高さの壁は、都市をぐるりと囲むようにして聳え立つ。二、三人が匍匐して連なることができそうなくらいの厚みがあり、壁に等間隔で開けられた穴からは、カノン砲の砲身が覗いている。
この安直とも言えそうな強固な守りが、つい半年ほど前に突破された。
破壊されたのは、四番都市フィリエルの北端の壁。その一件から、魔物の被害は爆発的に増えることになる。
ここ三番都市の危機感も必然的に上がることになったわけだが、問題は、凶暴化する魔物への対策が今のところ確立されていないということ。今俺たちが立っているこの壁も、破壊されたフィリエルのものと同型のままだ。つまり、この壁が絶対的な防御である確信はもうどこにもない。
学者や技術者連中は、防御力強化の方法に頭を抱えているらしいが、それまでこの見掛け倒しの壁を守り続けなければいけないのは俺たちだ。
「班長、またアランがサボりですか?」
「げっ」
背の高い女性(さすがに俺よりは低い)が歩いてきた。アランがあからさまに、おそらく敢えて見せているだろうというくらいあからさまに、嫌な顔をした。
「ああ、そうだ。ペトラ、お前も何か言ってやれ」
彼女はペトラ。アランとは違い、まさに理想の軍人と言えるほどに優秀な人間だ。ただし多少の、ほんのひとつまみの毒がある。
俺の班には一番後で配属され、その時点で階級は一等兵だった。アランと同じ階級だが、それでも入隊してから一等兵になるまでは、彼と比べて二年早いそうだ。本人がアランに対して煽り気味にそう言っていた。
ペトラはそのキリッとした目で、アランを見る。
「どうせまた、遅くまで絵を描いてたんだろう?」
なるほど、と俺は思った。
ペトラは意地の悪い顔をしている。
彼女の言葉に対し、アランはさっきとはまた違う、照れた表情を浮かべた。
「なんでわかんだよ……」
ペトラはからかったつもりなのだろうが、彼女はこれでもアランの絵を尊敬しているのだと思う。真面目さの強いペトラと、天然質のアランのことだから、最初は馬が合わなかった様子だった。それでも今は、これはこれでなんだかんだいい関係になったと、俺は見ていて思う。
何にしても、上官の前でするようなものではない会話を二人は続けているわけだが、こうして若い部下二人のやりとりを見ているのも、存外に悪くはない。
おっといけない、おっさんの思考に耽りすぎてしまった。俺もサボりになってしまう。
「ほら、二人とも仕事に戻れ」
「は、はい」
「失礼しました、班長」
二人それぞれ、人格がそのまま出たような敬礼を俺に向ける。それからアランは大雑把に服装を整えつつ壁の外を向き、ペトラは踵を返して駆け足で離れていった。
さて、俺も戻るか。
しかしまあ、俺だって嬉々としてこの仕事をやっているわけじゃない。早く帰って、酒の欲を紛らわすためのコーヒーでも飲みつつ休みたいと、人知れず考えている。故郷に帰るのはいつになるやら……。そもそも、帰るその時まで生きていられればの話だが。
冷えてきたな。そろそろコートを用意したほうがいいか。
ザザッ
胸につけた小型無線機が鳴る。
境護班に無線が入ることはそう多くない。誰かしらが召集でもされるのだろう。
そう思い、少しだけ耳を傾ける。
その瞬間、警報が鳴り響いた。
「何!?」
「班長!」
アランが慌てた声をあげ、俺に視線を送る。そこには明らかな不安が垣間見得ている。
こいつはこの班に配属されてそう短くはないが、この音を聞くのは初めてじゃないにしても、まだ慣れないようだった。何せ最近になって聞くようになった警報だ。無理もない。
壁の中から鳴り響く不快な音。これは、壁の数キロ外側にある常述式対魔物結界が、突破された事を意味する。この三番都市では、並の魔物を拒絶する結界で、二重の防御構造を巡らせている。この結界の存在が、四番都市にはない堅牢な防御を実現し、今日まで三番都市を守っているわけだが、それは裏を返せば、この壁に近づく魔物は必ず強力な個体であるということでもある。
『ハンス二等官。応答願う。ハンス二等官』
無線機が続けた。俺はそれを手に取る前に、アランに言う。
「アラン、落ち着け。訓練通りだ」
彼が頷くのを確認しながら、無線機をとった。
「ハンス・ベンラーだ。状況は」
『一分前に一瞬だけ、結界に穴が空いた。特務部隊到着まで約五分。おそらく個体数は一。方角は二百十。牽制の指揮を頼む』
二百十か。ペトラがいる方角だ。
「了解」
そう言って無線機を戻す。五分間の牽制か。おそらく敵の姿を見る前に過ぎる時間だろうが、油断もできない。
「アラン、」
アランは背中に背負っていたライフルを構えつつ、無線機を持ちながら周囲を見渡している。
壁の上にいる俺たちの役目は、目標の発見と砲撃の誘導だ。侵入地点に対して正面なのはペトラの位置だが、魔物というケダモノが直線的に移動してくるとは考えづらいため、周囲を隈なく見張る必要がある。
くそ、森さえなければ視界が晴れるってのに。だからあれほど伐採しろと言ったんだ。平和ボケした偽善者どもめ。
とはいえ、正面が最も遭遇の確率が高いのは確かだから、俺がペトラと交代して、そこで指揮を取る方がいいか。他の方角は別のメンバーで十分カバーできるはず。
「はい、班長」
「ここは頼む。俺はペトラと交代する」
「了解しました」
真剣なアランの声。どうやら、スイッチが入ったようだった。
俺は遠くのペトラを見た。壁の外を見て立ったまま、動かない。武器は構えているが、明らかに普段通りの彼女ではない。ペトラも慣れない警報だが、今まであんなになったことがあっただろうか。
その時、違和感に気づいた。ペトラは、虚空を見つめているのではなく、壁の外の一点を見つめていた。彼女は、何かを見て、絶句している。
俺は反射的にその方向を見た。
森の木々が、揺れていた。
風のせいではない。
揺れる木。かき分けられるようにして何かに揺らされている木々の揺れが、視界の向こうからこちらに向かって急速に近づいてきている。
「なん、だと……」
結界から壁まで約四キロある。
速すぎる。
大砲なんて当たるのか?
いや、撃たなければやられる。
俺は走り出しながら、無線機を手にする。
「二百十番砲台、方位角三七三三、射角マイナス五五〇」
砲身は指示通りに動きはじめた。
相手は何故か直線上にこちらに向かっている。
だが奴も森でこちらが見えないはず。
姿が見えた瞬間に奇襲の一発を叩き込むしかない。
同時に三発撃った方がいいか?
揺れはものすごいスピードでこちらに近づいている。
森から出るまで、あと五秒。
だめだ、砲台の向きを指示する時間はない。
「砲撃用意……」
撃破しなくてもいい。当たらなくてもいい。恐れさせる。警戒させる。五分間この壁に手を出させなければ、こちらの勝ちだ。さあ、貴様はどうするバケモノ。
来る。……3……、2……、……
「撃て」
轟音で空気が震え、目標地点に爆煙と土煙が舞う。俺はその場で立ち止まった。
長距離射撃すら可能とする砲身から放たれたひとつの塊は、容易に目視が可能な地点に一瞬にして着弾した。
走り抜ける奴の後ろに、着弾した。
あり得ない。
俺は確かに見た。奴は砲撃の瞬間に、加速をした。それ自体は想定内だった。想定外だったのは、その加速度。くそったれが。エンジンでも積んでるのか。
醜いその姿を見せた奴が、その四肢で我々目掛けて突き進んでくる。四足歩行。ガルム種だ。それにありゃあ……クソッ。
銃声が二発鳴る。ペトラとアランのライフルだ。あの図体にライフルは効きそうにないが、これは牽制射撃だ。ケダモノに対してならば十分に効果を発揮する。
銃弾は二発とも、敵の目の前に着弾した。完璧だった。
だが、止まらない。
クソが。あとは壁を信じるしかない。砲身の射角も限界だ。壁で受けてから、俺たちが上から射撃を続ければ、少しは後退りをしてくれるか。それしかない。
その時。化け物が一瞬だけ、ペトラを見た。まさかこのケダモノ、人間を認識し、人間目掛けて走ってるっていうのか。
奴は更にスピードを上げた。なんという速さだ。壁との距離は、約百メートル。体当たりがくる。
「衝撃に備えろ!」
できる限りの速さで無線に怒鳴りつけた。すぐにしゃがみこみ、両手を壁の上につけて、全身に力を込める。
頼む。どうか耐えてくれ。
そう願った時。何かが、光った。周囲が眩く照らされた。
少し前を見たその瞬間に、視界に入ったのは奴の姿だった。奴は跳躍していた。
そして、光っていたのは、奴が振りかぶった右前足だった。それはデタラメなほどに強い、白い光だった。
まさか……
浪洩現象だと……?
このままいけば、奴は壁の中腹あたりに到達する。そこに右前足を叩き込んで、壁を破壊するつもりだ。
それも、一撃で。
まずい。
まずい
まずい
まずい。
「逃げろペトラ!」
攻撃点の真上に、ペトラがいる。
俺の指示通り、衝撃に備えてしゃがんでいたペトラは、俺の声でその危機に気づき、立ち上がりつつ足を踏み出す。
彼女が虚ろな目で、こちらに手を伸ばした。
わかっている。
間に合わない。
だが関係ない。
それでも、目の前の部下を見殺しにするわけにはいかない。
地面を蹴ろうとした時。何かの風圧が俺の髪を揺らした。
俺の横を通り過ぎ、誰かがペトラの方に駆け抜ける。
アラン?
なぜだ、ここまでくるのが速過ぎる。判断も速度も、はやすぎる。
「ペトラぁぁぁぁぁ!」
全力疾走。アランは叫びながら、ペトラをタックルで突き飛ばした。
ペトラは反対側に飛ばされ、よろけたアランの体は、
壁と共に吹き飛んだ。
「アラン!!」
すっぽりと、壁の一部が消え去った。
亀裂が広がり、俺の足元をも一瞬にして飲み込んだ。
すまない、アラン。すまない……
対岸で、ペトラが目を大きく開いている。
すぐに視界が揺れた。浮遊感が体を覆い、そのあとで、激痛が全身を支配した。
*ペトラ・クローディエ
体を起こした。体の上で壁のかけらが転がる。
しばらく気を失っていたらしい。全身が痛むが、動ける。インナーのおかげか。
魔物の素材を混ぜて作られる強固な壁が、ただの瓦礫となって周囲に転がっていた。両側を、崩れた壁の断面が挟んでいる。
班長が近くに倒れていた。息はあるが、頭から血を流していて動かない。早く手当をしないと……。
瓦礫の中には、同じ境護班の砲兵たちや、大砲の折れ曲がった砲身なども混じっていた。
そうだ、魔物はどこに。あの恐ろしい化け物はどこに行った?
周囲を見回して、戦慄した。
化け物は、壁の外側にいた。ソレは、人を食っていた。おそらく砲兵の一人。逃げたところを捕まって、食われたんだ。
近くにあったライフルを拾った。奇跡に近いが、まだ使える。
私はソレに向けて構えた。
怖い。
どうしようもなく怖い。
でもそれ以上に、遥かに憎かった。
あいつはみんなを、アランを、殺した。全部あいつのせいだ。
簡単だ。これを頭にぶち込めば、どんな生物でも死ぬに決まってる。
せいぜい食事を楽しむがいい。
殺してやる。…………
コ ロ し て や る !
「よせ」
引き金を引こうとした時、私の肩に手が触れる。
「班長」
「それ貸せ」
班長は私のライフルを奪い取って、魔物の方にゆっくりと歩いて行った。彼は、足を引きずっていた。
班長のグレーの後ろ髪が、赤色に侵されていた。配属された当初、私はその髪色を見て、彼の実力を疑っていた。だが今では、それが尊敬の証に変わっている。なのに。
「待ってください班長!」
「よく聞けペトラ」
私の意図が、班長の言葉で遮られる。彼は一度立ち止まり、私に背を向けたまま続けた。
「奴を壁の中に入れたら、全てが無駄になる。何もかもだ。幸い奴は腹を空かせている。お前はしばらく何もするな。俺が死んだ後も、時間稼ぎを最優先にしろ。逃げるのは許可しない。だが、死ぬことも許さない。最後まで諦めるな。生きて、勝て」
全て。何もかも。その意味も、班長の言おうとしていることも、容易に理解できる。でも、それでも、感情が言うことを聞かない。
「ダメです、班長……。いかないでください。あなたこそ諦めずに……!」
「こういうのは年配の仕事だ。最後くらい上官らしくさせてくれ」
「そんな、あなたは、あなたはっ……!」
私には十分すぎるほどの上官じゃないですか。
その言葉を口に出そうとしたときにはもう、班長は歩き去っていた。
やがて魔物が、食事を終えた。ソレは近づいてくる班長を、次の獲物として真っ先に認識した。
班長は発砲した。弾はソレの頭部に命中したが、血が飛び出す様子すらない。
魔物が班長に向けて走り出す。班長は排莢し、続けて頭部に発砲。
二発。
三発。
結果は同じだった。全くの無傷にさえ思えた。
魔物は班長の目の前まで来ると、口を大きく開けて、班長の頭を……
「チッ、クソッタレが」
班長はライフルを後方に投げた。
グチャ。
途切れる音。
私は、必死に声を抑えた。悔しさで、涙が止まらない。
班長が投げたライフルを拾った。魔物に向けて、構える。
発砲はしない。ソレがいつ壁の中に意識を向けるかわからないから、有効かどうかは別として、迎撃の準備をしているだけ。
今最善の手は、アレが食事に使う時間をいっぱいに使い切ることだ。
だけど、魔物が班長を食べるところを、気を張りながら見ていなければならない。この時間を地獄と言わないのならば、この世に地獄は存在しない。
溢れ出る涙と鼻水で軍服が濡れる。
息が苦しい。
噛み締めた口からは血が垂れた。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
私は何もしていない。
夢を抱くアラン。優秀な人材であるハンス班長。生き残ったのは、何もない私。
どうして。どうして……。
私に力があれば。覚醒能力があれば、こんなケダモノ……ぶっ殺してやれたのに。どうして私は弱いんだろう。どうして私は、無覚醒なんだろう。
覚醒者を批判してきた。力を持つ者の振る舞いを批判してきた。それは、力が欲しかったから。妬ましかったから。無覚醒に生まれた自分が、憎かったから。
足が震えて、膝をついた。涙が地面に吸い込まれていく。
最低だ。
顔をあげる。
魔物がこちらに走ってきていた。もう飽きたっていうのか、化け物。
ソレは私を捉えて、口を大きく開く。
身を任せようと、そう思った。
私だけ生きたって、仕方ないじゃないか。
もう、全部どうでもいい。
きっと、その方が楽なんだ。ずっとずっと、楽なはずなんだ。
(生きて、勝て)
「了解……!」
ライフルを構えた。狙うは、奴の口の中。どんなに強くても、口内まで頑丈な生物はそういない。望み通り食らわせてやる。最高の逸品を。
引き金に力を込めた。
カチリ。
絶望の音が鳴った。
排莢を、していなかった。
「あ……」
化け物の口が、太陽の光を遮った。
いやだ。こんな、こんな終わり方は……
「だれか……」
ドゴォ
その瞬間、化け物が吹き飛んだ。
風圧。腕で顔を隠して堪える。
魔物は壁に叩きつけられた。見れば横腹のあたりに、青い半透明の剣が何本か刺さっていた。傷は浅い。だが確かに、それはダメージだった。
魔術だ。
遠くの方に、魔法陣を展開した青年が見える。
特務部隊が到着したのだ。
魔物はすぐに体勢を立て直し、その青年に目をつけた。そしてすぐにソレは駆け出し、彼めがけて真っ直ぐに跳んだ。
青年は、何かに集中していた。いけない。特務部隊といえども、アレの膂力をまともに受けられるはずが……
「はあ!」
化け物は再び吹き飛ぶ。いや、ぶっ飛んだ。
私は一瞬目を疑ったが、確かに見た。銀の髪の少女が人間離れした速度で飛び出してきて、奴の顔面を拳で殴りつけたのを。
魔物は数十メートルほどの距離を転がり、受け身をとった。その踏ん張った四肢が、地面を抉る。そのあとソレは少女をじっと睨みつけながら、姿勢を低くして動かなくなった。
私たちの攻撃では少しの足止めもできなかった化け物が、はっきりとダメージを負い、そして今確かに、臨戦態勢に入ったことを意味していた。
私は呆然とした。特務部隊の戦闘をこんなに間近で見るのは、初めてだった。そして、ふと思ってしまった。まるで縄張り争いだ、と。
「下がっていてください。すぐに救護班が到着します」
ピンク髪の女の子が私に駆け寄ってきた。赤い肩章に、キャンセラー。間違いなく特務部隊だ。
「すみません、もう少し早く到着していれば……」
彼女はこの惨状を見てそう言った。その通りだ。君たちがもう少し早ければ、壁も、アランも班長も……!
……違う。悪いのは何もできなかった私たち。いや、私だ。そして、あの汚らしいケダモノだ。
しかもある意味では、彼らは間に合っているのかもしれない。私と、街を、アレに奪わせなかった。アランと班長と、班員たちが命をかけたものを、奪わせなかった。
そして、もう彼女たちに託すしかないという事実を、私は認識した。再び悔しさが溢れ出た。
涙も鼻水も、すでになんとも思わないのに、その事実だけが受け入れられない。私は、表情筋で力いっぱいに押し出すように、掠れた声で、言った。
「……たのむ。あいつを……、ころしてくれ……!」
歳も階級も自分より下の女兵士に、そう言った。
「……あとは任せてください」
彼女は鋭い眼差しを、魔物に向けた。その直後、彼女の両腕が淡く光りだす。彼女は目を閉じ、集中を始めた。
銀髪の少女と魔物は、未だ膠着していた。
ふと少女の腕に目がいった。
キャンセラーが、ついていなかった。
つまり……無覚醒者?
そんな、おかしい。
なんでだ。変じゃあないか、そんなの。
……
「アラン」
寸前で思考を踏み留めた。
アランの死体を探さなくては。意味もなくそう思った。
私は壁の内側に走り出した。
壁の内側は、しばらくの距離は建造物がない。そこに大抵の瓦礫が散らばっていた。アランの姿はない。
正面に、木造の小屋。その壁に、穴が空いていた。
どうやら空き家のようだった。そこにひとまず安堵して、中に入る。
小屋の中央には瓦礫が積み上がっていて、
アランはそれに半身埋もれていた。
体にひどい損傷は見られない。私は急いで瓦礫をかき分けた。
私は身勝手な希望を抱いていた。彼の体を目にした瞬間、インナーがあるのだからと、可能性が十分にあるような気がした。
お願いだ。生きていてくれ。絵で有名になって退職するって言ってたじゃないか。また私にお前の絵を見せてくれ。お前が生きていれば、私は救われるんだ……。頼む。もう、一人は嫌だ。
アランを引っ張り出した。
出血がひどい。骨もそこら中折れている。
「班長……ハンス班長……」
アランの軍服に涙が溢れる。その水は、さっきまでとは全くの別物だった。
「アランは、生きてます……」
アランの心臓は動いていた。命の危険はまだあるけれど、救護班が来るなら十分助かる。
「ありがとうございます、班長……」
私は急いで外に出た。
*ユリア・シュバリアス
イロハの身体強化魔術は、かなりいい感触だった。拳を武器にするのも悪くないかも。
問題は、イロハに魔術を使ってもらわなきゃいけないから、彼がそこに意識を割かなきゃいけないということ。それと、思ったよりも相手に効いていないことだ。
ベースは狼のような風貌。四本の足は大きく発達していて、しなやかに隆起した筋肉に覆われている。全高は三メートルくらい。魔物の中では中くらいか、少し小さいくらいの大きさ。爪や牙などにあまり発達は見られず、あくまでそのスピードと膂力を武器にしていることが窺える。
ガルム種。
彼らは本来、中級魔物。人類にとっては十分な脅威だけど、三番都市の結界を超えられる種じゃない。でもさっき見せた規格外のスピードと、あの藍色の体毛。多分あれは、生きていく過程や環境でガルム種と言う種族の壁を越えた、独自の特徴をもった強力な個体。唯一個体。
唯一個体と戦ったことはないけど、かなり危険らしい。倒したあとで、公的に名前をつけられたりするのかな。ブルーガルムとか。ダサいかな。
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