3-2 ユリアという生き物

* ユリア・シュバリアス



 燃えていたのは、エリン国道の中腹あたりから分岐した道にある、大き目な大衆酒場だった。周囲に人が集まっているが、炎上からまだ時間が経っていないようで、消化班はまだ到着していない。


「よかった、確かこのお店は、昼間には閉まってるはず」


 ハルが肩を上下させながら言う。

 それなら、中に客はいないということ。不幸中の幸いってやつだ。でもまだ、隣の建物に燃え移る可能性がある。どうしようか。


「なあ、あの人が店主じゃないか?」


 イロハが指差した先に、腰を抜かしながら炎を眺める男性がいた。様子を見る限り、ひどく怯えている。

 咄嗟に駆け寄った。二人も後からついてくる。


「何があったんですか」


 男性にそう聞くと、彼は目線を炎に向けたまま、答えた。


「……奴の周りから突然、炎が……。やっぱり覚醒者なんて、雇うんじゃなかった……」


 うーんなるほど、これは厄介な一件になりそう。覚醒者が火災を起こしたなんて知れたら、覚醒者批判が勢いを増すことになる。


 あれ? この人、炎を見ながら「奴」って言った?



「その覚醒者って、もしかしてまだ中に?」


 尋ねると、男性はやけになって声を荒げる。


「そうだ! あいつだけ逃げようとしなかった! 化け物には、炎も効かねえんだ……」


 間違いだ。例え炎の異能や炎の魔術を扱う者でも、燃え広がった炎を無効化するにはかなりの練度を要する。そこまでの練度を持った優れた覚醒者は、そういない。


(中だ。入口と反対側の壁にいる)


 消化班を待っていれば、おそらく間に合わないだろう。今はまだ、火の手はそこまで強くない。小柄な私一人なら……私なら、いける。


「ちょ、待ちなさい! ユリア!」


 私は、酒場の入り口に向かって駆けていた。


「二人は外で待ってて!」


 いざと言う時、覚醒者の二人ならなんとかできるはずだ。そんな時のためのデバイスもある。こっちの役目は……ハルならいけなくもないかもしれないけど、彼女は満足に力が使えないみたいだし、やっぱり私が適任だと思う。

 地面を蹴って、酒場の扉から勢いよく飛び入った。できるだけ姿勢を低くする。大丈夫、私はこの姿勢にも慣れている。


(おい、何をしている馬鹿者。判断は冷静にしろと)

「したよ」


 ニルが怒ってる。私の危険は彼女の危険でもあるから、仕方ないけど。


「ごめん、あとで謝るから、今は我慢して」

(……死んだら許さんぞ)


 私を心配してくれているのか、自分を心配しているのかはわからないけど、どちらにしても心配させるのは申し訳ない。それは、外の二人も同じ。すぐに救出してここを出よう。それはもう目にも止まらぬ速さで。

 視界が赤みがかって眩しいので目を細めつつ、袖で口元を抑えて周囲を見渡す。

 何も置かれていないテーブルと椅子がいくつもあるが、それらはまだ燃えていない。入口と反対側の壁は、すでに半分ほど炎の中だ。

 結構広い。右手の奥にカウンターがあって、その向こうに厨房が見える。

 厨房はすっかり火に包まれている。そうか、お酒って引火するんだ。どうやらそこから燃え広がったようだ。


「いた」


 カウンターに寄りかかって、地面に座り込んでいる少年がいた。

 若いなあ。おそらく、十二歳とかだ。

 彼は恐怖しきった表情で、自分の両手を眺めていた。炎ではなく、手を眺めていた。


「君、大丈夫? 逃げるよ。さあ立って」


 手を差し出すと、少年はハッと私の方を見て、さらに表情を歪めた。


「ダメだよ! お姉ちゃんも燃やしちゃう!」


 燃やしちゃう。やっぱりそうか。店主の発言からして、彼の目的がわからなかった。放火なら外から火をつければいいし、店主を殺したいなら店主を燃やせばいい。「周りから」火を出す必要はない。つまり答えは癇癪か、もしくは、制御不良。どうやら私の予想通り、後者だったようだ。


「安心してよ。私、最強だから」


 もちろん嘘だ。火をぶつけられればひとたまりもない。しかし、ここは嘘でも安心して貰わなければ困る。


「お姉ちゃん、覚醒者……なんだね」


 ん? ああ、特務部隊の制服は知っていても、キャンセラーのことは知らないってことか。親近感も生まれるし、これは都合がいい。


「そうだよ。最強だよ。だからほら、行こう」


 私はそう言って、少年の腕を掴み、その手を引く。少年も驚きと同時に、少しは安心したようだ。抵抗する様子はない。

 だが、その時、カウンターの真上の天井が崩れた。木材がすごい音を立てながら、燃え盛る槍となって、少年の頭上から襲いかかる。


「うわああ!」


 少年の悲鳴より先に、私は素早く後方に飛び退いた。目の前に瓦礫が雪崩れ落ち、火の粉が散って、風圧が広がる。

 危なかった。私じゃなかったら間に合わなかったね。

 両腕には、しっかり少年を抱えている。これは確か、お姫様抱っこと言うんだっけ。

 いやいや、早く出なければ。今の咄嗟の運動で、呼吸が増えると危険だ。


「え」


 歩き出した直後、声が出る。入口付近の天井も崩落していた。


「まずいなあ」


 よりによって入口付近が落ちるなんて。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


 少年の無垢な問い。私が本当に最強の覚醒者なら、確かにこれくらいは造作もないかもしれない。

 さて、このままだと嘘がバレてから死ぬ。早く二人に協力を……


 光。


 入口を塞いでいる瓦礫が一斉に、白く淡い光を放ち始めた。

 浪洩現象だ。

 直後。瓦礫が一斉に空中に浮かび上がり、天井にめり込んで静止した。間違いない。イロハの魔術だ。


「ユリア!」


 これで出られると思って走り出した時、入り口からハルの声が聞こえてきた。外からの声かと思ったが、その直後に、ハルが入ってきた。


「ハル……ってうわあ!」


 ハルは氷を纏っていた。アイスマンだった。いや、ウーマンだけど、とにかく結構怖い。


「もう、この馬鹿! 説教は後。早く出るわよ」

「う、うん」


 駆け足で外に出る。多分、無事じゃないって思われてたんだろうな。


「ユリア!」


 十分に離れてから少年を下ろすと、今度はイロハの声。イロハは私に駆け寄って、面と向かって私の両肩を掴んだ。


「大丈夫か!? 怪我してないか? 煙吸いすぎたとかは?」

「大丈夫だよ。心配かけてごめんね、イロハ。さっきはありがとう、助かったよ」

「お、おう、それは別に構わないけどさ……」


 本当に心配そうなイロハの顔が、呆気に取られたような顔に一変する。何か気になることを言っただろうか。


「で?」


 ハルの声だ。すごい。一文字でめちゃくちゃ怒ってるのがわかる。


「さっきの勝手な行動は何? 死んでたかもしれないんだからね」


 彼女はそう言って、私の胸の中心を指先でとんとんつついてくる。いや、どついてくる。


「ごめんね。勝手な行動で心配させちゃって。でも、許してほしい。無理だって判断してたら行かなかったからさ」


 ハルはさらに苛立ったようで、指にこめられた力がさらに強まる。


「その判断が正しいとは限らないでしょ。正常に判断できてるとも思えないし、そもそも本当に無理そうなら諦めるのかしら」


 ハルの鋭い疑いの目。誰かにこうして、面と向かって怒られるのはいつぶりだろうか。そして、仲間のことを想って怒ることのできる人に巡り会うのはいつぶりだろうか。

 だけど、ハルにはわかってほしい。完璧に理解しろとまでは思わないけど、私、ユリアという生き物を、わかってほしい。


「うん。本当に諦めるよ。判断も精一杯正常にしてる。私が死んだら台無しだからね。もしも判断ミスをして、それで死んだとしても、仕方ないよ。そのリスクを考慮して行動できないなら、その時点で私は私として死んじゃうから」

「あなた、どれだけ……」


 ハルが目を細めて私を眺める。引いているのか、苛立ちなのか、呆れなのか、またはそれ以外なのか、私にはわからない。

 ハルは一度目を閉じてから、言う。


「言いたいことはたくさんあるけど、今回はあまりうるさく言えないのも事実ね……。今の私だと、全身に氷を纏うのにはそうとう時間かかるし。あなたが行かなかったら、この子を救えてなかったかも……」


 ハルは少年を見る。

 彼は傍で、黙って佇んでいた。


「ありがとう、お姉ちゃん」


 少年が、気恥ずかしそうに言った。私は少し屈んで、彼と目線を合わせる。


「私はユリア・シュバリアス。君の名前は?」

「僕は、リアン。リアン・フラモー」

「リアンは、最初から力を制御できないの?」


 彼が覚醒能力を制御できない理由は、できれば突き止めておきたかった。

 覚醒能力を発現する年齢は、平均が五歳だと言われているから、この歳で最近になって発現したとは考えづらい。つまり、最初から制御できていないか、もしくは最近になって力が制御を外れ始めたかのどちらかだ。


「……最近だよ。出せる炎の力がどんどん強くなって、同時にどんどん制御できなくなっていったんだ」


 彼は俯きながらそう言った。その言葉からは、強い恐怖心を感じた。きっと、私には想像もできないくらい怖いことなんだろう。覚醒能力が制御できないというのは。


「ふーん……」


 だけど、結論は見えてこない。


「二人は、どう思う?」


 ハルとイロハに問いを投げる。自身で覚醒能力を鍛えてきた彼らなら、何かわかるかもしれない。

 イロハは既に思案に入っていて、ハルは腕を組んでただリアンを見つめていた。


「それは、多分……」

「怒りや憎しみが原因ね」


 さすがは国立魔導学院首席卒業生だが、イロハの言葉は、残念ながらハルに遮られる。ただしセリフを取られたイロハも同じ意見だったようで、うんうんと頷いている。

 怒りや憎しみか。精神的な原因だとは思わなかった。

 すると、ハルがリアンに尋ねる。


「ねえ、それって、あの酒場で働き始めたのと同じくらいの時期?」


 リアンは静かに頷いた。その反応を確認した彼女はすぐに私の方を見て、あまりにあっさりと、私に言った。


「原因はあの店主よ」


 その目は、なんだかとても冷たかった。

 さっきの店主はすでにどこかへ去ったようだった。なるほど、あの店主がリアンにひどい扱いをしたから、そういう負の感情がリアンの中に溜まっていったということか。ただ、リアンの様子を見る限り、彼は優しい気弱な少年だ。あくまで潜在的な感情のようだが、それでも影響が出るものなのか。

 イロハが捕捉する。


「異能使いには、そういうことがたまに起こるんだ。異能は精神の力って言われてるからな。精神状態が大きく変化すると、覚醒能力自体に強く影響するんだよ。しかも、制御できない恐怖でさらに悪化していくから、一度そうなるとかなり厄介なんだよな」


 なるほどなるほど。力が暴走してる時点で、リアンの覚醒能力は異能ってことになるのか。

 彼の精神状態の大きな変化というのは、多分恐怖がメインだったんだろう。乱暴な店主への恐怖にはじまって、そこに「なんで僕がこんな目に」という、理不尽への憎しみが芽生えた。そうなってから異能の暴走までは、きっとそこまで時間はかからなかっただろう。


「でも、今は安定してるみたいだね」


 彼の様子を見て、そう言ってみた。彼は、顔を赤くした。

 代わりに二人が答える。


「恥ずかしかったんでしょうね」

「お姫様抱っこはきついよなあ」

「違いますよ!」


 思わず笑ってしまう私。多分そうなんだろうなあと思った。年頃の少年には少々刺激が強すぎたかな。

 さて、となれば考えなければならないのは今後だ。おそらく火を付けた罪に関してはなんとかなるだろうけど、問題はリアン本人の話。


「リアン、ご両親は?」


 笑いを収めてから、私は再び目線を合わせ、リアンに言った。

 彼は、悲しそうに首を振る。

 私も他の二人も、表情を曇らせる。

 特に珍しくもないことだ。覚醒能力と言うのは、ある程度遺伝する。つまり、覚醒者の家庭は家族全員が、差別される。それが原因で、破滅する家族もいるということだ。一人になった彼は、必死に生きようとしたのだろう。だが、社会はそれを受け入れなかった。

 ハルとイロハと、目を合わせた。

 そして、イロハと私でハルを見る。


「……ああ、わかったわよ」


 そう言って、デバイスを操作するハル。優しくて察しのいいリーダーでよかった。

 私は再度リアンを見る。


「碧選軍に来なよ、リアン」

「え、碧選軍?」

「うん。君の異能なら、認めてもらえるはず」


 相応の能力さえあれば、碧選軍はどんな人物でも受け入れる。孤児院育ちの私でさえ。そして、軍には覚醒者のための養成所もある。そこならば、彼も自身の力を使いこなせるようになるかもしれない。


「でも僕、まだきっと、無覚醒者が憎いんだ。こんなんで、軍に入ってもいいのかな」


 自分の感情が軍に相応しくないと言いたいのだろう。そんな人は、特務部隊では特に珍しくないような気もするが。


「大丈夫だよ、リアン。だって……」


 言いながら、私はリアンの耳元に顔を近づけた。


「そう、だよね。うん! 僕、頑張るよ!」


 リアンは私に向かって、元気にそう言った。私は思わず笑顔になる。


「ありがとう、ユリアお姉ちゃん」


 その言葉を聞いた瞬間、悦びが私の全身を満たし、駆け巡り、騒ぎ立てた。ああ、ご褒美最高。

 悦びに浸っていると、イロハがそばに寄ってきて、私に尋ねた。


「なんて言ったんだ?」

「ん? えっとね、……あれ」


 言おうとした時。視界が大きく揺れた。いや、私の体が倒れたんだ。

 膝から崩れて、地面に手をついた。視界が歪んでよく見えないが、今見えているのは多分、地面だ。


「ユリア」

「ちょっと、大丈夫?」

「お姉ちゃん!」


 三人の慌てた声が聞こえる。

 ハルが目の前に座って、上体を起こしてくれた。


「やっぱり、煙吸いすぎてたんじゃない。ほら、とりあえず座ってなさい。深呼吸して」

「ご、ごめん。ありがとう」


 意味もなく額を抑えながら、そう謝罪を入れる。

 すると、視界の下の方で、何かが大きく光った。おそらくデバイスだ。


「まさか……」

「残念だけど、そのまさかみたいだ……」


 イロハとハルのデバイスも光っていたようだ。デバイスを確認したイロハが、残酷な現実を告げる。そしてハルが、そこに想定外のトドメをさす。


「任務よ。緊急のね」


 私は大きく息を吸って、吐いた。緊急の任務。つまり、急を要する任務。


「ほんとに?」

『シマザキ分隊、ハニエル二等兵、応答願う』


 私の問いに二人が答える前に、ハルのデバイスが声を発した。

 ただの任務なら、文面のみで指令が来るはずだ。

 嫌な予感がした。

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