2−2 瞳

 夜更けにデカい握り飯を食う可憐な少女。

 圧倒的な個性の暴力に、驚きというかショックが強すぎて、挨拶の余裕などなかった。

 小さい頃から体を鍛え、日常生活にも惜しみなく気を使っていた私には特に、特攻じみたクリティカルヒットとなってしまったのかもしれない。

 しかし。当然と言えば当然だけど、彼女が私の受けた衝撃に気づくことはないようで。ずんずんとこちらに歩いてきて、私の顔を間近で(本当に割と近めで)見つめると、彼女はニカっと笑顔になって言った。


「私、ルシア・エクエシス! あなたは?」


 その笑顔に、目を奪われる。


「ゆ、ユリア・シュバリあす……」


 言葉が自動で出て行ったかのように名乗った後、ハッとして「よろしくね!」と言った。

 ルシア・エクエシスとユリア・シュバリアス……なんだか語呂が似ている気がする。


「よろしく、ユリア!」


 とても綺麗な目だな、と思った。

 ほんの僅かに青を乗せたような暗い紺の大きな瞳は、透明な水晶が虹色に輝くような、色鮮やかな光を奥底に宿していた。

 そのきらびやかな瞳は、強烈な笑顔とともに、大胆に広げられた瞼の間からこちらに向けられている。それを見つめていると、何かに眉間を撃ち抜かれたような、そんな独特の感覚に襲われた。


「あ、ユリアってもしかして」ルシアが斜め上方を見て言う。「軍司令に推薦されたっていう、無覚醒の子?」


 その言葉で、私は一気に現実へと引き戻された。

 そうか、彼女が知らないはずもない。ハルはあの時、「若手の間で噂になっている」と言っていた。ルシアの年齢は、見たところ私と同じくらい。まあ、知られていたところで何かあるわけではないんだけど。


「うん、そうだよ」


 普通に肯定すると、ルシアはその目の輝きに好奇心の色を足し合わせて、「へえ……」と声を漏らした。


「ちょっと羨ましいなあ、軍司令に認められるなんて。そうだ! ねえ今度さ、手合わせしよ。その実力、私も体験してみたい!」


 ルシアは自身の机の椅子に腰掛けて、握り飯を一口頬張った。そしてそれを咀嚼しながら続ける。


「わはひの異能、ほんなに強くないから、がんばったんだお。だから完全な無覚醒者がどほまでつよふなれるのか、気になるんだよね」


 嫌味に聞こえなくもないけど、多分そうじゃない。でも、心からそう思っていると言うことは、それはそれで怖い。

 きっと、彼女は散々馬鹿にされてきたんだ。無覚醒者にも、覚醒者にも。それでもひたむきに努力して、この特務部隊に入れるまでの力を得た。私とルシアは似てるかもしれないな……って何を勝手に推測しているんだ私は。

 けどまあ、私は私であって、無覚醒と言うくくりで舐められては敵わないというのが正直なところ。


「いいけど、油断してると痛い目みるよ?」


 ルシアは私の言葉を聞くと、私の目を見たまま一瞬固まった。そして、口に含んでいた握り飯を瞬く間に飲み込むと、私に顔を近づけて言った。


「私、ユリアのこと好きになったよ」

「え、あ、ありがとう」


 平然とした様子で、ルシアはまた笑顔を輝かせた。

 その無邪気な言葉と笑顔にほっこりすると共に、なんだか寒気を感じた。


「ねえユリア、さっきまでこの椅子に座ってた?」


 ルシアが唐突に言う。意外と勘が鋭いようだ。

 私は知らないふりをした。



 数日後。

 三番都市スレイル。目抜き通り「エリン」

 太陽が輝かしく照り、人々の表情はまるでそれを反射するように煌めいている。冷たくなり始めた秋の風が気持ちいい。艶のあるレンガと漆喰で作られた色とりどりの建築物が立ち並ぶ中、目の前にどっしりと構えた大通りの中心で、噴水が元気よく自己主張している。その道の数キロ先には、天高くそびえる刺々しい宮殿の屋根が、信じられないほど横に広がっており、大通りに栄える都を見守っている。

 この大通り、エリン国道は、碧選軍中央拠点から馬車で二十分ほどの地点にある。いや、この場合、中央拠点がエリン国道から馬車で二十分ほどの距離にあると、そう表現した方が自然だと思う。

 私たちは、港からの出入り口となる大きな門を背にして、待機していた。背後から聞こえる、故郷でもよく聞く競りの声と、前方のエリン国道からくる商人たちの声が、いくつも折り混じっている。この場所が、今回の現場だ。

 首都スレイルは、港町を発展させた都市だ。その活気はまさに溢れんばかりで、建物の数、質、そして人通りのどれをとっても、私がいた二番都市ヴァニエを凌駕している。せっかく首都に転属したのに、軍務のせいで観光に来れていないことが非常に悔やまれる。

 この街の港は、他三国との交易を世界で最初に実現した、かの有名なカイル港だ。それ故に、スレイルは世界有数の交易都市として知られている。特にネリウス王国との交易が盛んで、彼の国の進んだ魔導技術を最前線で取引または導入しており、まさにフェオストにとって最先端技術を迎え入れる玄関とも言える。エリン国道は、そんなカイル港とレニオール宮殿を繋ぐ偉大な道であり、今ではフェオスト王国の栄華と平和のシンボルとなっている。


「ユリア。こら田舎もん」

「いたっ」


 軽い痛みが、コツりと後頭部に響く。振り向くとそこにはハルがいて、イロハはクスクスと笑っている。


「ユリア、目が輝いてるぞ」


 後頭部を押さえつつ、イロハの言葉に赤面した。

 その直後に、「田舎もん」と言われたダメージがじわじわと効いてきた。でも、今になって振り返ってみれば、この大都市に見惚れて動けなくなっている私の姿は、誰が見ても田舎者にしか見えなかったのかもしれない。とはいえ、私の故郷である二番都市ヴァニエは、都会というには少し勇気がいるとはいえ、決して田舎じゃない。

 この国における人間の居住区は、六つに分けられていて、それぞれに番号が振られている。その六つの都市のうち四位の経済力(情報源不詳)を持つヴァニエは、決して田舎ではない。

 各都市の間には魔物が蔓延る地帯が広がっていて、人間の手による開拓は進んでいない。魔物の被害を防ぐために、都市の境界線には必ず、壁や砲台、魔述結界などの防衛機能が備わっている。つまりどの都市も等しく人類の拠り所であって、二番都市ヴァニエは決して田舎ではない。

 断じて、田舎じゃない。と思う。


「巡回も立派な任務。観光は後にしなさいよね」

「……はい」

「よろしい」


 田舎者と言われた傷を再び抉られる。きっと、観光する暇もないんだろうな。

 ハルは言った後、内ポケットから手のひらサイズの丸いペンダントを取り出した。その金色の表面には、軍章が彫り込まれている。

 彼女がそれ見つめると、ペンダントとそれを握った掌がほんの僅かに白く光り、軍章の上に青い光の画面が現れた。そこには文字やら図やらが映し出されているが、反対側から見ているので意味はわからない。数秒後、画面に人の顔が映し出された。直後、ハルがそこに向かって敬礼し、喋りかける。


「ご苦労様です、分隊長。ハニエル・コンテスティです。シマザキ分隊、現地に到着しました」


 それを聞くと、彼は若干笑って言った。


『オーケー。いやあ、すまない。特務部隊長に呼ばれてしまってね。本当は同伴したかったんだけど』


 彼は私たちに「どうしても外せない用事がある」とだけ伝えていたけど、なるほどそれなら、確かに外せない用事であることは間違いないようで。分隊長の軽さ故に、少しでも疑ってしまった自分を恥じる。


『でもまあ、俺は君たちをそこそこ信頼してる。さっきも言ったが、ハル。君が臨時のリーダーだ。もし何かあれば、覚醒能力の使用と武器の使用許可は、君の判断に任せる。責任は俺が取ろう』

「了解いたしました」

『じゃ、みんなで頑張って』


 ハルは、「失礼します」と言って再度敬礼した。スクリーンが暗転し、先程の文字と図の画面に戻る。チラリとハルの方を見ると、彼女は私をじっと見ていた。


「情報送るから、”デバイス”開いて」

「あ、ごめん」


 このペンダント型の装置は、「デバイス」と呼ばれている。見ると、イロハも既に開いていた。

 デバイスは、持ち主が碧選軍の特務部隊に所属している証としての役割と、先程のように魔述機構を用いた連絡手段としての役割を担っている。極限まで簡略化した魔述式をあらかじめ組み込んだ最新の魔述機構は、外理エネルギーを扱えない無覚醒者でも操作が可能だ。業務上、複雑な情報交換を必要とする特務部隊にのみ与えられる、大変貴重な代物。だそうだ。

 もちろん私は知らなかった。人類の技術がかくも偉大だなんて。

 私はペンダントを内ポケットから取り出し、軍章に触れて、デバイスを起動させた。先ほど初めて触ったばかりなので、まだ操作には慣れないが、どうやら送られてきたのは巡回ルートと周辺地図のデータらしい。


「そういえばイロハ、キャンセラーはちゃんと起動した?」

「おう、ほら」


 今朝、巡回という初任務の概要を私たちに説明したシマザキ分隊長は、二種類のものを私たちに手渡した。一つは、この”デバイス”を私とイロハに。もう一つは、今イロハがハルに見せている腕章のような器具を、分隊長はイロハに手渡していた。

 キャンセラーは、覚醒能力の発動を無効にする装置で、そのオンオフの履歴を残すことができる。覚醒者の社会的地位を守るために開発された装置だ。これなら私も新聞で何度か単語を見た記憶がある。一般にも普及しているとはまだまだ言えないようだけど。

 分隊長曰く、民間用と違って、特務部隊ではこの装置を装着中であることと、それが起動済である事が周りから見て取れなければならないのだとか。つまり、自身が覚醒者であることと、その覚醒能力の発動可否が、周囲の人間にわかるようにしていると言う事。まあきっと、責任問題とかその他色々あるのだろう。


「よし、じゃあ行きましょうか」


 ハルはそう言ってデバイスを内ポケットにしまい、正面にそびえる宮殿に向けて歩き始めた。

 イロハが「了解、リーダー!」と陽気に応え、嬉々とした様子でそれに続く。

 デバイスに表示された地図を見る。大まかな巡回ルートは……エリン国道の往復がほとんどだ。私は小さくガッツポーズをして、二人に続いた。



 巡回ルートはこうだ。まずは宮殿の手前まで、真っ直ぐにエリン国道を進む。そして折り返し、今度は小道に逸れつつ元の位置に戻る。

 分隊長不在のシマザキ分隊は、エリン国道を宮殿に向けて進んでいる。歩く方向はまっすぐだけど、私の気分はあちこちに逸れていた。

 見たこともない、黄色く細長い果実。嗅いだことのないくらいの甘い香りを放つお菓子。最先端の素材やデザインを用いた衣類。そして、ヴァニエ産の魚介類。

 商売のプロである店主たちは、私の視線を感じ取るや否や、例外なく怪訝な眼差しを私に向け、その度に私はハルに怒られた。

 ハルとイロハは、私のように街には気を止めたりはせず、巡回中の軍人としての視線を周囲に向けていた。


「魔物の脅威が増しても、ここの雰囲気は変わらないわね」

「ま、そうだな。少なくとも表向きは、だろうけど」


 考えてみれば、あれから数日間、分隊で訓練を続けてきたわけだけど、外で活動するのは初めか。

 チームワークはだいぶ向上したんじゃなかろうか。分隊長の優れた鬼畜指導のおかげでもある。

 特に二日目。あの日はすごかった。共に修羅場を潜り抜ければ、チームワークが伸びるのも自然というものだろう。

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